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【雑記】結局、自分が一番わからない

若かった頃は、何者かにならねばならぬ、というプレッシャーを常に感じていたし、社会の大多数に迎合できない自分を捻くれ者だと思っていた。今でも、少数派であることの悲哀は毎日感じているし、孤独感に苛まれて悲しくて仕方ない日もある。

だけど、本当は全く興味のないものに対して興味があるフリをしたり、優しくないのに優しいフリをしたり、そういう嘘を毎日重ねて生きていると、ひどく疲れてしまうのだ。こんな私が何十年も勤め人をやってこられたのは、もしかしたら奇跡かもしれないな、と時々思う。

出世とか、お金持ちになるとか、有名になるとか、どうもそういうものに情熱を傾けられないから、相変わらずせっせと生きるために働いている。明日のご飯のために労働する。
好きな事を仕事にしたいと思ったことはなく、ただ大嫌いな事(職種云々ではなく、自分の倫理観に反した仕事、の意です)を生業にはしたくない、と考えて働いている。

いくつまでに結婚して、出産して、家を買い、子供をいい学校に入れて…家を買うなら、どのエリアが良くて、会社から補助を受けるためにはアレとこれをこうして…
そんな話をしている同僚を見ていると、じわじわ嫌悪感が生まれてくる。
でもこれって単なる嫉妬なのかもしれないな、と、はたと我にかえる。私はどうやっても、彼らみたいには生きられないから。だから私は自分ができない事を成し得ている人々に嫉妬し、彼らを嫌悪して自分のエゴ正当化しようとしている。私はどうやっても、どう足掻いても、彼らみたいには生きられないのだ。そう、逆立ちしても無理だ。
もう大人だからそれは理解している。

じゃあどうなれれば、私は心から安らぎを感じて、安心して生きていけるのか?自分のことを、まぁまぁいい奴なんじゃないの?と感じられて、ぼんやりとでもいいから、着地点とやらを見つけられるのか。
それがまだ判らない。

特別な善人でもなければ、悪人になりきり人を踏み台にして財をなせる訳でもない。(善人で財をなす人もちゃんと存在する、と信じてはいます。)孤独を心底愛する事もできなければ、集団に合わせて、本当の自分を殺すこともできない。

私は何になりたくて、どう生きたかったのか。よくわからない最近だ。

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