推しが「キラポエ嫌い」というので、過去のキラポエと進化系キラポエを比較してみた。
私の推しは「キラポエが嫌いだ」という。
しかも「嫌い」の度合いが異次元。
奴らがいかに低俗で下品で愚かで悪徳であるかについて語り出すと、推しは悪霊が憑依したかのようにいつもの冷静さと穏やかさを失い、プチパニックになる。
推しのそんな姿も愛おしい。
過去のキラポエ女子はわかりやすかった
私も推しほどではないが、「キラポエ」は苦手。
推しの嫌いなキラポエは主に介護の世界にいるようだが、私が苦手なのはいわゆる「キラポエ女子」で、彼女たちは音声配信が登場する以前はインスタ、その前はブログを主戦場としていた。そして私がキラポエ女子を好きになれない最たる理由はわかりやすい「インチキだから」だった。
加工した自撮りや粉飾した日常でキラキラした「私」をこれでもかと演出し、自称金持ち風の下品な女性が「あなたもこうなれる」とアジる。ちょっと見てみれば中身はカラで、すべては「雰囲気」。それなのに、信じられないほどの数の養分たちが、キラポエ女子から謎の情報や講座を高額購入し、その結果「1日で数桁万円稼いだ!」とか「これが新しい時代の働き方♡」とポエっていた。スピリチュアル界隈にも多かったな。
キラポエ女子になる上で一番大事なことは「素直さ」。「私たち(キラポエ女子)のやり方をよく学び、徹底してまねて、仲間入りすることで、あなたも人生を変えられる。欲望に忠実に生きるほどに、お金にも男にも愛される女になれる」これがかつてのキラポエ女子の常套句。
馬鹿なのか?!
いや、控え目に言って馬鹿でしょう?
だって極め付けが謎の当て字!
一万円→一万縁。頑張る→顔晴る。仕事→志事。人材→人財。副業→復業/福業、お裾分け→お福分け。etc.
こんなキラキラワードを1つでも使っていたら、そっと「×」ボタンを推して画面を閉じたのは私だけ? 彼女たちから学ぶことは何もない。知性や教養や羞恥心がある人がこんな当て字を使うはずがない。そう思ったのは私だけなの?
私にはまったく理解できなかった。
なぜこんなにも養分が多いのか。なぜこんなにも承認欲求が強い人が多いのか。なぜ自分以外の何者かになろうとするのか。なぜ地道な努力を嫌うのか。なぜ盛るのか。なぜそんなに大金が欲しいのか。キラポエ女子に遭遇すると、私の脳内に「なぜ?」の嵐が吹き荒れる。
やがて初期の頃のキラポエ女子にハマる養分には、ある共通点があることに気づく。それは「収入が不十分で自由がない」ということ。
うん、ごめん、可哀想。でも、私ごときに可哀想と思われることが一番可哀想だよね……
マウントではなく、私は自分が無理なくできる仕事をしていて、今のところ自分一人が食べて行く分には困らない。いざとなったらどんな仕事でもする覚悟もある。私を大事に、そして自由にさせてくれる夫もいる。だから私は心のどこかで養分たちを下に見ていたのかもしれない。
よって私はキラポエ女子を舐めていた。こんな奴らすぐに消えるだろうと。
消えなかった、キラポエ女子たち!
私は2003年頃(20年以上前ってどういうことよ?!)から個人ブログを楽しんでいた。私が愛用していたプラットフォームは、今はない「ヤプログ」。あの頃のネット世界は牧歌的で、みんなが好きなことを自由に書き、それでいて平和だった。ヤプログでキラキラしていたのは当時イケてる女子大生だった「はあちゅう」くらい。ネット広告なんてほとんどなく、自分の「好き」や「知らない世界」にリーチできる、巨大な百科事典のようだった。振り返れば「インターネット」の恩恵を一番得られた時代だったのかもしれない。
雲行きが怪しくなってきたのはアメブロが台頭し、そこに芸能人がこぞって参戦するようになったあたりだろう。ステマが一気に増え、ブログを読む楽しみは無くなった。ブログを見る時間は広告に踊らされ消費欲を刺激される不毛な時間になってしまった。あるいはキラキラしているように見える誰かと自分を比較し、不要な焦燥感やコンプレックスを感じずにはいられない無駄な時間に成り下がった。
おまけに誰もが口にするようになった「SEO」。Google様のせいでろくな情報にアクセスできないと感じるようになってもう10年は経つ。しかもその状況は悪化するばかり。
この20年、景気は良くならなかったし、庶民の給与は一向に上がらない。生活はどんどん苦しくなり、街中で周囲を見渡しても老人ばかり。私は「時代が厳しくなるほどに、キラポエなんて通用しなくなるし絶滅する」と踏んでいた。「いくら自由が欲しい、お金が欲しいと言ったところで、時代が厳しくなればなるほど自撮りして自分を盛っている場合じゃない。踊らされているバカ女(養分)たちも腹を括ってパートでもするはず」。そう思っていた。「うさぎとかめ」じゃないけれど、最後は地道にコツコツしかないと固く信じていたのだ。
でも私の読みは大きく外れた。
絶対消えると思っていたキラポエ女子は「mixi→フェイスブック→アメブロ→インスタ→ Twitter(x)→YouTube→ハンドメイド界隈→ワーママ界隈→オンラインコミュニティ→音声配信→note」と主戦場を変えて、未だ生息し続けている。いや、むしろ増殖して至る所に生息し、もはやカオス!
まさかの進化系キラポエ、ネット民を支配!
しかもいま至る所に生息しているキラポエ女子は、自撮りしたり、派手に盛ったりしない。そう!「進化系キラポエ」の登場だ。進化系は手強い。「一万円を一万縁」と書いてくれないから、キラポエかどうかの判断もしずらい。
進化系キラポエのやり方は「自撮り」でも「粉飾した日常」でもない。彼女たちがフックにしているのが「ちょっと先のことを知っている」「ちょっとおトクなことを知っている」「ちょっと役に立つことを知っている」と「学びと成長を促す情報」。しかも「ちょっとだけ」。
だから顔出しもしない。派手なこともしない。「ありのままの私」「私の生活そのものがコンテンツ」というポリシーだから、「あくまで私の経験では〜」とか「あくまで私の意見ですけど」と前置きやエクスキューズをつけ、養分たちに過度な課金をさせたりもしない。多くてもサブスク形式で月に5000円程度。「もしよかったら」「もし興味があれば」と、営業も随分と上品に進化している。
新しい養分たちも当然「大金」や「自由」やキラキラを求めてはいない。進化系キラポエに学び、「みんなよりちょっと先に知っている」「お得なことをシェアして喜んでもらいたい」「それを褒めてもらいたい」「それを役にたててもらいたい」「それがうまくいったら数万円のマネタイズになっちゃう♡」といった「手に届く自己承認」を求めているのだ。
時代だね。承認欲求も随分と小さくなったものだ。誰も渋谷公会堂なんて目指してない。通っている学校で一番「できる子」くらいのレベル感。
何より厄介なのは進化系キラポエに出会ってしまうキーワードが「いかにも知的」だから。
「副業」「起業」「在宅ワーク」「フリーランス」「WEBライター」「ワークライフバランス」「手帳術」「ライフハック」「TIPS」「ソフト老害」「お片づけ」「更年期」「セックスレス」「個性のある子ども」「ワーママ家電」「NISA」「ビットコイン」「ジェンダー格差」「世代間格差」「シルバー民主主義」「サードプレイス」「コスパ」「タイパ」「ダイエット」「美肌」「若返り」「マインドフルネス」「丁寧な暮らし」「断捨離」「ミニマリスト」「シンプルな生活」「おうち起業」「稼げる資格」……。
今の時代、ちょっと気になることをググるだけで、進化系キラポエの発信に出会ってしまい、憧れてしまい、信頼してしまうとついつい課金するように作られている。しかも進化系キラキポエは教祖になることも村長になることも望んでいない。あくまでクラスで1番〜3番人気のポジション。1万人前後のフォロワーが「最適」。「ゆる〜く、長〜く、一緒に成長して行きましょうね♡ わ〜素敵!」と、寄り添う姿まで見せ、どこまでも上品なのだ。
推しは言う、「自分だけの言葉を持て」と
私だってSNSやネットは楽しみたい。でも進化系キラポエにはできれば出会わずに生きていきたい。でもそんな方法あるのだろうか。あるなら誰か教えてよ。
「結婚する・しない」も「産む・産まない」も「子育て」も「夫婦関係」も「働き方」も「賃貸か持ち家か」も「投資」も、正解なんて存在しないし個々で深く考えるべき案件だ。「ググれカス」だって古すぎる。
結局のところ、私が真っ当だと感じるのは「自分で考え」「自分だけの納得いく結論に辿り着き」「自分だけの言葉を持つ」こと。それを「自分軸」なんて軽く言わないでほしい。だって自立した人間としてあまりに当たり前のことだから。私はキラポエに憧れたくないし、自分で考え、自分で行動したい。失敗を恐れてキラポエに相談したり、レビューを読みまくって時間を浪費するって、自分の人生を放棄しているようなもの。「自分で考える」「自分だけの納得いく結論に辿り着き」「自分だけの言葉を持つ」ことが、この低迷した時代を生き抜く、一番の自衛でリア充につながる術ではないか。
私の推しは泥臭い。
検索よりリアルな人の話を聞くのが好きらしい。
でも。だから。
自分の考えと自分の言葉を持っている。
推しの言葉は私の心に深く刺さる。
でも私の人生の役に立つかはわからない。
そこが私の推しの魅力なんだ。