#101 🍼選択のための死🍼
午前2時の授乳室は深夜の高速バスのターミナルみたいに孤独で、そこにいる全員が同じチューリップ柄のパジャマを着て黄色いライトの下でおっぱいをあげたこと。
母乳をあげるという人間社会から切り離された動物的な行為。
それは惨めで屈辱的で、だけど「それがどうした」というあっけらかんとした強い気持ちを静かに感じていた。そこは社会とは無関係の部屋だった。
寝不足でぎこちなく小さな声で赤ちゃんに話しかけた午前3時の記憶。
出産の苦しみは人それぞれでそこにはあまりにも不公平な差があり、肉体の痛みは反芻されないように作られている。だからこそ女性たちは「共感する」という能力に長けているのだと知った。
わかりやすく伝えようとするなら、陣痛とは単なる強烈な生理痛と強烈な下痢の苦しみの、ハイブリッドな痛みのことだった。
だけど何十時間もそれが続くと心が折れる。それはよくある拷問のテクニックと同じで、不規則に襲う痛みは、絶望感を加速させる。
隣の部屋から怪物が地を這うような呻き声が聞こえ、「ああ、次は私の番だ」と震える諦念、そう思ってる間の失神と復活の反復。
無表情で涙を流して叫ぶ牛のお産の映像を遠い記憶の中から思い出した。
子供を持つことは前向きではなかったけど、それでもコロナ禍で初めて真剣に考えた私たちの未来のための選択だった。
その選択のためには、自分という人間像を掴みかけ、やっと軌道に乗り始めたこの人生を一度終わらせなければいけなかった。
新しい選択のための死。
それを最悪だとは思いたくなかったが、この経験については一文字も記録を残さないと決めた。
だからお腹から赤ん坊が出てきた時、喜びや感動よりも「そういうことだったのか」と思った。これが答えで未曾有の始まり。
出産後、雑然とした待合室で不安そうに座っていた夫の横をストレッチャーに乗せられて通った時、私が言った言葉は「ありがとう」だった。
長すぎる妊娠期間、困惑と倦怠感が詰め込まれ70キロまで増えた体重、陣痛のアホらしいほどの苦しみ、そして出産の恐怖の果ての、私の選択の結果が今ここにあってそれはシンプルな感謝に集結された。
子供を産んで、今までの私の人生は終わってしまったけれど、いまは前世の記憶を引きずりながら新しい人生が始めているような気分で生きている。
🐶小説トリッパー2024年春季号にエッセイ「宇宙に放つ」が掲載されています。
また、倉本さおりさんによる「無敵の犬の夜」の素晴らしい書評もどうかお読みください。
🐶3月15日読売新聞夕刊「もったいない語辞典」にエッセイが掲載されています。
祖母の使うかっこいい古い言葉について、病室の電動ベッドの上で一生懸命書きました。
お手元にある方はぜひお読みください。
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