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noteで戯曲賞をはじめませんか? という提案

 この文章を書いている今、北九州は第二波の懸念が薄れてきた一方で、東京都は感染者数が47人と急増、第二波が来るのではないか、というニュースが立て続けに報道されています。僕は東京都に住んでいますので、そのニュースに一喜一憂してしまうところもあるのですが、それはそれとして。どうも綺麗に収束しないで、長いあいだ地味にこの問題について悩まされ続ける未来のことを思うと、せめて疲れに疲れた演劇人たちのために、オンライン上で楽しめるコンテンツが今後より充足していたほうが良いのは、確かなことでしょう。

 緊急事態宣言の最中、37.5℃以上の熱を数日間、出したことがありました。体が弱いことで知人たちに名を馳せている僕です。毎年、季節の変わり目に頻繁に風邪を引いていますから、決して珍しいことではないのですが、流石に状況的に家で2週間、じっとすることにしました。最初は、映像配信でこの退屈な時間をやり過ごそうと考えていたのですが、しばらくすると、これは厳しい、と思い至りました。映像配信は面白さに関わらず、かなり体力を持っていかれます。元気なときでさえ、日に2本も観れば、相当頑張ったほうです。僕はこのあいだ、たまたま手元にあったからという理由で、『悲劇喜劇』に掲載されている「1984」という戯曲を、1ページ読んだり、2ページ読んだりして、あとは寝ていました。やがて「1984」も読み終わり、他の作品を探している時に、

「新しい出会いがここにはない」

と悟りました。図書館は開いていませんし、手持ちの戯曲は限られていて、そのどれもが既に知っているものです。新しい映像配信と比べると、新しい戯曲を探すことは、とても難しいことでした。どうしても、既に知っている劇作家や知り合いの戯曲ばかり読んでしまいます(それはそれで大切なことですが)。未知の劇作家、未知の戯曲と遭遇するシステムが、現状では不十分な状態なのかな、と考え込まざるを得ませんでした。

 そして、公演が出来なくても、戯曲を書きたいというひとは一定数、いるのではないかなと思います。例えば人数を気にせずに戯曲を書きたいとして、上演するところまでもっていくのは、今の段階では、障害があり過ぎます。各地で少人数の演劇が検討されていることでしょう。少人数の演劇さえ、地域の状況によっては難しい、ということもまたあり得るでしょう。そもそも、上演台本を書き上げたけれども、上演そのものがなくなった、という辛い状況さえ、今年は多く訪れることでしょう。

 すでにある戯曲賞はすでにある戯曲賞として素晴らしいのですが、今年必要なのは、「すべての応募作を誰でも読むことが出来る」ということなのではないかな、と思います。もしかしたら、後世語り継がれるであろう傑作が、上演もされなければ、発表もされず、闇に葬り去られるような事態を、私は恐れます。幸い、スペイン風邪が流行った時代と違って、私たちにはSNSがあって、他の地域とも繋がりやすいわけですから、コロナが致命的な状況に陥っている地域で書かれた戯曲を、比較的大丈夫な地域で、上演してもいいわけです。Zoomで多くの人たちと会話するうち、稽古で集まることを前提としないのならば、地域によって縛られる必要は、そこまでないのかな、と思い始めました。

 戯曲賞なので、受賞作を決めることはしますが、これをきっかけとして、様々な戯曲との新たな出会いが訪れることを祈ります。暇を持て余した演劇人が、noteで戯曲を読んでいるうちに、上演したい作品と出会う、そんなことが一例でも発生すれば、この時代に、これをやった意味があります。

2020年6月15日(月)
「呆然」綾門優季

※第1回呆然戯曲賞応募要項はこちらになります。

※はじめはnote戯曲賞という名称にしていたのですが、note公式がやっていると誤解されるのでは、とご指摘がありました。noteに問い合わせましたところ、変えたほうが良い、ということでしたので、後から呆然戯曲賞に名称を変更しました。何卒ご了承ください。

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