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Nibroll『世界は縮んでしまってある事実だけが残る』プレビュー

最初に断っておかなくてはならないが、わたしはこの作品についてほとんどのことを理解していない。わたしに与えられたのは、急な坂スタジオで行われたNibroll『世界は縮んでしまってある事実だけが残る』公開リハーサルで得られた断片から、犬島精錬所美術館発電所跡で実施される本番の凄味を、なるべく緻密に想像しようと試みる権利だけだ。しかし残念ながら、此処は犬島ではない。都市部といっていい場所で、普段の日常から隔絶されていない状態で、この作品の大切な部分を想像することは酷く困難だ。厳密な意味では、これはリハーサルではなく別の作品なのだ。中央に大きく鎮座する井戸はヴィジュアルにどのような影響を及ぼすのだろうか? 一面に敷き詰められたスラグは、一斉にダンサー達が動くあの瞬間にどれほどの音を立てるのだろうか? 映像と音響が現地の風景とドッキングした時に、観客はこの地に流れた長い長い時間を、知るよしもない犬島の歴史を、可能なかぎり強く幻視するのだろうか? 正確にわかることは何もない。何もだ。想像力を喚起されればされるほどに、ムクムクと残念な気持ちが肥大していく。この作品には犬島精錬所美術館発電所跡という、様々な場所に果敢に挑んできたNibrollにとっても相当に特殊な環境と呼んでいい場所で、上演するのにふさわしい数々の仕掛けがふんだんに盛り込まれている。そのことはきっとわたしだけではなく、その場にいた誰もが断言出来る。それなのにわたしはすでにスケジュールの都合上、馳せ参じることが出来ないと知っている。

だからこの文章を読んだあなたにはたった今から、わたしを残念がらせる権利が与えられる。あなたは船に乗って現地にたどり着いた時、わたしの憶測の及ばない数多の事実を知るだろう。Nibrollの常に保持している「なぜわたしがあなたにこのようなことをしなければならないのか」という根源的なメッセージは、野外劇という形態で世界に解き放たれた時、劇場で上演するのとは別の意味合いを孕むだろう。わたしはこれからあなたが目撃する事実を何も知らない、再演も期待出来そうにない、2016年の8月の犬島の風を浴びる権利を、わたしは永遠に失った。

あなたはその権利をまだ失っていない。

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