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【オリジナルSS】薬草魔術師の調合日誌 01

 祖母は、花が大好きな人だった。
 だからこそ「薬草魔術師」として、人々に愛されていたのかもしれない。しわの多い目元で微笑む祖母は、いつも穏やかで優しかった。

 そんな祖母の背中に憧れて「薬草魔術師」を志すようになった。

 ほんの短い間だけ、祖母は薬草魔術師の「師匠」になってくれた。
 老衰で体が弱っているのに、裏庭にある花壇の手入れは毎日欠かさない人だった。そんな師匠の手伝いをする時間が、とても心地良くて、とても楽しかった。
 知識として吸収できることも多かった。いつの間にか、祖母が好きな花を、同じように好きになっていた。

 そして、お別れの日。
 棺には、祖母が好んだ花をたくさん敷き詰めた。
 祖母の工房は、弟子として譲り受けることになった。その裏庭で、土壌に魔力を行き渡らせて、思い出の花のつぼみをたくさん綻ばせた。祖母と過ごした日々を振り返りながら花を摘む度、寂しさが胸の中をざわめかせた。

 祖母が遺した薬の調合レシピは、工房を整理する中で、初めて読むことができた。
 師事していた時期には一度も見せてもらえなかった、秘蔵の調合レシピだ。開き癖がついたページを読んで、切ない感情が胸を締め付け……その後には、嬉しさが心に染み渡った。

 それは、傷薬の軟膏のレシピだった。
 優しい香りのする軟膏は、材料に「あの花」が使われていた。幼い頃、怪我をする度に、祖母からしわだらけの手で塗ってもらっていた傷薬でもあった。

 裏庭へ向かう。
 土に魔力を行き渡らせて、思い出の「あの花」をたくさん咲かせる。
 今日は、師匠が愛用したあの傷薬を調合してみよう。


 * * * * *


 その日のお客様は、戸口で大泣きを始めてしまった。

 工房の扉を開けて出迎えたら、そこにいたのは幼い女の子だった。
「お父さんが死んじゃう。たくさん咳をしている。すごく苦しそう」といった旨を、嗚咽の合間に途切れ途切れで伝えてくる彼女を落ち着かせるのは、ヴェリディにとってどうにも骨が折れる対応だった。

 とはいえ、ヴェリディも慌てふためいていたわけではない。その女の子がお得意様のところの可愛い娘さんであることは知っていたし、初めて会った子どもでもないから名前も知っていた。
 ただひたすらに、その女の子・クロエは悲しみに暮れていて、ヴェリディの言葉が耳に入らなかったのだ。

 ヴェリディは大好きだった祖母を思い出して、生前に優しく抱きしめてもらったその仕草を真似することにした。
 薬草魔術師であるヴェリディの作業用ローブには、柔らかな緑の匂いが染み込んでいる。野原で草遊びをしたり、あるいは花壇で花の手入れをする時の匂いだ。

 ヴェリディの腕の中で、クロエの瞳から徐々に涙が引っ込んでいく。外遊びを好むと聞いていた通り、クロエも緑の匂いに心地良さを覚える子どもだった。

「木苺のジュースを飲むかい?」

 ヴェリディがにっこり微笑んで聞けば、クロエは鼻水をすすりながらコクリと頷いた。

 ヴェリディに手を引かれて応接用の小さなソファへ案内されたクロエは、さらにふわふわのタオルを持たされた。タオルは涙と鼻水を受け止めてくれるだろうし、肌触りの良さと柔らかさはぬいぐるみの代わりにもなるだろう。

 ヴェリディは木苺シロップの瓶を棚から取り出した。深い赤色のつややかなシロップを、クロエの手でも持ちやすいような小さなマグカップに入れて、水差しからゆっくりと水を注ぐ。木のスプーンで優しく混ぜたら、木苺ジュースの出来上がりだ。

「はい、どうぞ」

 カップを受け取ったクロエが、薄紅色のジュースをひとくち飲み込む。そしてジュースの甘い風味に魅了されたようで、あっという間に飲み干してしまった。

「もう一杯だけだよ?」

 内緒話をするように、いたずらを共有するように、おかわりのジュースを作って差し出す。クロエは小さなマグカップを受け取って、大事そうにジュースを味わっていた。

 さて、ここからはヴェリディの薬草魔術師としての仕事である。
 クロエの父親は元鉱夫で、その仕事柄、砂埃を吸い続けて呼吸器を悪くしてしまったらしい。いわゆる喘息持ちだ。その父親が激しく咳き込んでいるのなら、喘息の発作が出たのだろう。

 ヴェリディがやっとの思いで落ち着かせたクロエから、父親の状態を聞き出すのは酷なことだろう。また泣き出してしまうかもしれないのであれば、気を逸らしておくのが良さそうだった。

 しかし、薬の調合の前に。
 クロエがこの工房まで来てしまったことを、彼女の母親に伝えておかなければならない。
 ヴェリディは小さな紙に「クロエが工房までひとりで来たこと」と「クロエの父のために追加の薬を作ること」を書きつけ、魔法を込めて【伝書蝶(メッセージバタフライ)】の形へ変容させた。【伝書蝶】は特定の人物に伝言を届けるための簡易的な使い魔で、届け先の家に置いてある【ポストフラワー】まで飛んでいくように設計されている。クロエの家の窓辺には、赤い【ポストフラワー】を使ってヴェリディが作った、フラワーリースが飾られているはずだ。

 工房の窓からひらひらと飛び立った【伝書蝶】を見送った後、ヴェリディは木製の薬棚へと向き直る。クロエの父親が使う薬のための材料は、お得意様のためにストックを切らさないようにしている物のひとつだった。
 薬は内服用ではなく、ガーゼや布切れに塗って「湿布」として使う軟膏だ。その湿布を胸の真ん中に貼っておくことで、呼吸を楽にする効果がある。とは言えその薬を使っても発作が起きてしまったのは、おそらく最近の寒暖差のせいだろうと、ヴェリディは見当をつけた。季節の変わり目は、天候も不安定になりやすい。

「飲み込みやすいように、液剤にするのが良いかな……喉の痛みがあるならハチミツも混ぜて、スプーンひと匙だけ舐めるシロップにするのも良いかもかもしれない……」

 調合レシピを書き溜めている「まだ白紙のページが多い本」にメモを書きながら、ヴェリディは思案する。思いついた内容を新しいページに書き込み、過去のページをめくって読み返し、今回の調合に必要な材料をひとつずつ確認しながら。

「甘露蔓……アルカラスの蔓をすりつぶして抽出したエキスと……そこにハチミツを混ぜて……アルカラスは香りが強いから……それと合わせるならウィンターハルモニアの花の蜜かな……」

 ひとりごとを呟きつつ、薬棚から材料が入ったガラス瓶を取り出していく。
 そんなヴェリディの作業用ローブの裾が、2回、くいくいと引っ張られた。振り返れば、空になったマグカップを持ったクロエが、心細そうな表情でヴェリディを見上げていた。

「おや、ジュースのおかわりかな?」

 木苺ジャムのジュースが気に入ったのかと思ったヴェリディだったが、クロエは首を横に振る。彼女がマグカップを持つ手に少しだけ、力がこもった様子が確認できた。 

「お父さん……良くなる?」

 クロエの表情からは、不安の感情が伝わってきた。
 大切な家族が病で苦しんでいる時の不安は、ヴェリディにも覚えがあった。幼い子どもなら、それはとても恐ろしいことだろう。だからこそ、不安や恐怖を少しでも拭えたら良いと願いながら、ヴェリディは微笑んで、彼女の頭を優しく撫でた。

「うん、大丈夫。これから、お父さんのためのお薬を作るからね」

 怪我や病気のための薬を作ることだけが、薬草魔術師の役目ではないんだよ。
 薬草魔術師としての師匠でもあり、大好きだった祖母。生前の師匠から繰り返し聞いていた言葉が、懐かしさと、ほんの少しの寂しさと共に、ヴェリディの胸中に浮かび上がる。

 そして、クロエの表情はゆるやかにほころんでいく。
 幼いクロエの心が、大きな不安で痛むのなら。それを手当してあげることで、自分の役目がひとつ果たせるかもしれない。ヴェリディは、そう信じていた。

 少し離れたところにある応接用ソファでひとり待つのも、クロエにとってはきっと寂しいことだろう。ヴェリディは小さな木製スツールを部屋の隅から引っ張り出し、座面の埃を払って、薬の調合机の傍に置き直した。

「ここに座って、少し待っていてね。すぐにお薬を作るからさ」

 空になったマグカップと、涙を吸い取ったタオルを受け取り、クロエをスツールへ案内する。
 悲しみから気が逸れたことで周囲への興味が湧いたのか、きょろきょろとアトリエの中を見渡すクロエの頭をぽんぽんと撫でた後、ヴェリディは薬棚へ向かった。

 材料入りのガラス瓶を3種類だけ持ち出し、調合机の上に並べる。計量用の天秤を引き寄せたら、薬草魔術師であるヴェリディが魔法の杖の代わりに振るうのは、愛用の「ハンドスコップ」だ。

 中空にハンドスコップの先を向けて、ゆるやかな軌道を描くように手首を返す。すると、ハンドスコップから光の砂がこぼれて、調合机の上に広がっていった。淡いオレンジ色に輝く細かな光に包まれて、3つのガラス瓶が浮かび、天秤もひとりでに動いて、材料の計量を始める。

「アルカラスのエキスは9グラム、ハチミツは7グラム、ウィンターハルモニアの蜜は13グラム……」

 砂粒状の光に包まれた材料は、宙に浮かんでくるくると混ざりながら、空のガラス瓶に収まっていった。薬草魔術師は「魔法調合」を行うことで、様々な薬品を作り出すのだ。
 ヴェリディのハンドスコップが調合机のフチを軽快に2回叩く。魔法の輝きはゆっくりと消え、薄い黄緑色のシロップ薬が出来上がっていた。

 効能を「魔法鑑定」してみれば、毒性は無く副作用も起きにくい薬品に仕上がったことがわかる。調合は問題なく成功していた。

(サニヨンは小さい子が苦手だから、この調合では力を借りることができなかったけど……これくらいなら、ひとりでこなせるようにならないとね)

 ヴェリディはちらりと、奥の書見台の傍に置かれている「ランタン」を見る。ただのランタンのふりをしている「彼」は、サニヨンという名前の陽気な使い魔だ。
 サニヨンは以前、好奇心旺盛な男の子にぶんぶんと振り回されるという出来事が起きたので、子どもが来訪している時は、じっと動かずにやり過ごすようになってしまった。

「クロエ、クロエはいますか!」

 慌ただしい足音と共に、ひとりの女性が工房の入り口へ飛び込んでくる。クロエの母親だ。

「お母さん! お兄ちゃんが、お父さんのお薬を作ってくれたよ!」

 クロエはスツールから飛び跳ねるように降りて駆け出し、母親の腰元にしがみつく。母親はヴェリディがいる手前、何も言わずに家を抜け出したクロエを叱るに叱れない様子で逡巡していた。
 そんな母親を落ち着かせるために、ヴェリディは穏やかに微笑んで、調合したばかりのシロップ薬の小瓶を差し出した。

「いつもの薬と合わせて、お父さんにはこのシロップ薬をひと匙ずつ舐めてもらってください。喉の痛みと咳を抑える薬です」

 母親が受け取るよりも先に、クロエが小さな手を伸ばして薬の小瓶を掴み取る。まるで腕の中へ大事なものを抱き込むように、両手でぎゅっと、父親のための薬を握りしめていた。

「ありがとうございます……クロエの面倒も見ていただいて……」

 クロエの母親はしきりに頭を下げ、薬の代金は後日持ってくることをヴェリディに伝えた。

「お母さん、早く帰ろうよ! お父さんにお薬、飲ませてあげなきゃ!」

 大人達の心配や心労を知らないクロエが、無邪気に母親を促す。さすがにヴェリディも小さく苦笑いをこぼしながら、戸口から親子を見送った。

「……お客サマ、やっとお帰りになったネ」

 ただのランタンのふりをしていたサニヨンが、書見台の上でくったりと脱力する。
 その光景を少しだけ面白がりながら、ヴェリディは使い魔を労ろうと、クッキーとジャムを置いてある戸棚に向かった。

「いつもより早いけど、ちょっと休憩にしようか」
「賛成、大賛成だヨ!」

 サニヨンもまた、木苺のジャムで作ったジュースが大好物なのだった。


 〜 おわり〜


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