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鬼と雨

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創作大賞2024 ホラー小説部門に参加しています。 昭和初期を舞台に、少女たちの残酷な運命を綴りました。
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鬼と雨  《一》

鬼と雨  《一》

 京の都というけれど、雅やかなのは祇園や四条界隈で、洛西あたりはずいぶんと静かだった。電車も通っていて田舎というほどではないものの、面白いものは何もない。都らしさが遠退く代わりに、少し足を伸ばせば秋には血染めのごとく色づく嵐山の紅葉が見事だし、古くは貴族の遊覧地でもあった桂川がほど近い。

 とはいえ、わざわざ出かけることもあまりない。わたしは生まれついてあまり身体が丈夫ではなく、ほとんどの時間を

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鬼と雨  《ニ》

鬼と雨  《ニ》

「ここらはほんま、長閑やなぁ」

 のんびりした口調でしず姉様が言う。本家のある東山あたりはほんの少し歩けば四条通に出られて、賑々しく商店が建ち並ぶ。祇園もほど近く華やかな界隈だ。

 今日はしず姉様と二人、近くを散歩していた。晴れた秋の陽射しが背中を暖める。小春日和というのはこういう穏やかな秋の日のことを言うのだと、しず姉様が教えてくれた。

 小川沿いの道では数珠玉がしなやかな葉を伸ばし、艶々

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鬼と雨  《三》

鬼と雨  《三》

 今日は朝から笹本さんは出かけていた。月に一度、しず姉様の様子を報告するため、本家に行くのだ。何故、しず姉様が本家から遠ざけられているのか、わたしは知らない。ご両親は様子を見にこられることはない。娘が心配ならばご自分で顔を見にいらっしゃればいいのに。
 笹本さんは最初、わたしも連れて行こうとした。本家には顔を出さなくていいから、四条であんみつでもいただきましょう、と。だけどあいにくわたしは朝から少

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鬼と雨  《四》

鬼と雨  《四》

 十一月も終わりに近づけば朝夕はずいぶんと冷え込む。
 庭に咲いていた鶏頭はとうに枯れ、桔梗の姿もない。代わりにお隣の生垣では山茶花が今にも綻びそうに蕾みを膨らませていた。
 ずいぶんと肌寒くなったというのに、わたしは鏡の前で頬を火照らせていた。じわりと額に汗が滲む。
 胸元には艶やかな友禅の振り袖があてがわれている。卵色の地染に柔らかい色調で草花が描かれ、合わせた帯は絢爛な西陣織。見るだけでため

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鬼と雨  《五》

鬼と雨  《五》

 午後になると、史生さんがやってきた。しず姉様と一緒に玄関で出迎えると、少し驚いたように目を丸くして、すぐに相好を崩した。

「やぁ、董子さん。久しぶり。どないですか、身体の具合は」
「……あまり変わりおません」
「そう、ですか」

 困ったように眉を下げる表情は優しい。しず姉様は史生さんに目配せして、居間に通した。お茶を煎れに立ったしず姉様を待つ間、史生さんは強ばった笑みを浮かべながら、ほんまに

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鬼と雨  《六》

鬼と雨  《六》

 その晩、しず姉様は具合が悪いからと早々に床についてしまった。笹本さんが買ってきた好物の豆大福にも手をつけず、夕飯もいらないと部屋に籠もってしまったのだ。
 わたしが季節の変わり目やちょっとした変化で体調を崩すのは日常茶飯事だが、しず姉様が寝込むなんて久しぶりのことだった。この家にきたばかりのころは、住み慣れた家を離れたせいか顔色の優れない日もあったけれど。
 久方ぶりの笹本さんと二人の食卓はとて

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鬼と雨  《七》

鬼と雨  《七》

 笹本さんが呼んだ車で辿り着いたのは、一見、洋風の屋敷に見える建物だった。鉄の門扉の横には木製の看板が掲げられていたが、もう文字はほとんど消えかけて読めない。庭木は育ちすぎて建物に暗い影を落としている。
 玄関には大きな下駄箱が二つあったが、履き物は一足も入っていない。入ってすぐのところには受付と案内板が出ていて、硝子戸で隔てられていた。中には薬棚、机の上には薬をすり潰すための乳鉢と乳棒が置かれて

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鬼と雨  《八》

鬼と雨  《八》

 灰色の雪が降る。強い風に煽られ巻き上げられ、渦となってわたしに降り注ぐ。暗闇の中手足は動かず、わたしは為す術なく埋もれてゆく。雪片は冷たくはなく、ただ紙屑のように降り積もる。
 違う。蝶だ。いつもの、灰色の小さな蝶。一羽ならば愛らしい。だけどこれほど夥しい数が舞う姿は悍ましく、奇怪に見えた。群は一つの意志を持つように、わたし目がけて飛んでくる。顔は埋め尽くされて何も見えない。それどころか、蝶は口

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鬼と雨  《九》

鬼と雨  《九》

 しず姉様は大事を取ってしばらく入院され、帰ってこられたのは年の瀬だった。一緒にお飾りやおせち料理の準備をして、元旦には近くの神社へお詣りをした。三人で過ごすお正月は想像していたような気持ちの浮き立つものではなかったけれど、それでもとにかく、しず姉様と共に無事に新しい年を迎えられたことに安堵した。
 しず姉様は、始終ぼんやりしている。以前はあれほど熱心に本を読んでらしたのに、今は頁を開くことすらな

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鬼と雨  《十》

鬼と雨  《十》

 初めてしず姉様に会ったのは確か五つのときだった。お正月、一通りお年始のご挨拶を済まされたお父様は、孫娘を連れてこの家を訪れたのだ。あのときのしず姉様のお姿は、くっきりと脳裏に焼きついている。
 浅葱色に扇と菊が描かれたお振り袖を身に纏った姿は、本当にお人形のようだった。ふっくらとした頬は薔薇色でまだおぼこく、だけど薄化粧をした唇は大人にはない色香を放っていた。結い上げた髪には摘まみ細工の簪が揺れ

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鬼と雨  《十一》

鬼と雨  《十一》

 わたしは四月からは新しい中学校へ通うことになる。最近はずいぶんと体力もついたことだし、行かせてもらえる限りはしっかりと勉強するつもりだ。一人で生きていくために。
 わたしに与えられたのは、しず姉様のお部屋だった。日当たりがよく、窓からは内庭に咲く河津桜が見える。ちょうど今が花の盛りだ。
 立派な三面鏡、飾り棚にはたくさんの小さな置物、硝子ケースに入った藤娘や姫達磨。いかにもお嬢様のお部屋だ。文机

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