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東日本大震災10年を迎えるにあたって

お久しぶりです。綾夏です。久しぶりにnoteを開いて、今こうやって文字を打ち込んでいます。
なんで久しぶりにnoteを開いたかってのは、新しくnoteを始めた知人がいたから。そして、私が以前書いたものに対していいねの通知が来たから。その人からじゃないけど。(いいねしてくれた方、ありがとうございます。)

最近はモデコンに対する時間が自分の生活の中心になってきて、ミクチャとTwitterを行き来する毎日。インスタやTwitterのDMで色んなオーディションの勧誘やスカウトメールが来るけれど、モデコンの規約で制限されているというのもあって、今はモデコン一筋。寝ても覚めてもモデコン、モデコン。

そういえばひとつ前の記事で、私がこのコンテストに参加した理由を長々と、薄っぺらく喋ったと思います。今もその気持ちは変わらずで、ミクチャ配信に対してだいぶ慣れて、みんなで楽しい時間を過ごせるように、自分なりに努力している所存でございます(急にかしこまる)。
最近は、芸能界のお仕事がしたいと、また一段と強く思うようになり、少しでもみんなに笑顔と勇気と元気を届けたい、そして私の思いを届けたいという気持ちが、モデコンを続けるモチベーションになっています。そのモチベーションを維持し続けられるのは、配信を見てくださるみなさんのおかげです。ありがとうございます。
最近は初心にかえり、再び、頂いたアイテムをノートに書き記すことを始めました。ノートを見返して、今日もこれだけ応援してくださった人がいるんだと思うと、暖かい気持ちで布団に入ることができます。みんなありがとう。そんな方たちのためにも、私はもっと自分を律して、しっかり結果を残さなければいけないと感じています。良くも悪くも。

前置きが長くなりました。それは私のくせで短所なんですよね、すみません。
明日で東日本大震災から10年になります。大きな大きな節目です。何故、当日じゃなくて前日に書いたか。それは、今冷静だからです。明日はきっと冷静でいられなくなる。そう感じました。また、明日は明日で、改めて感じることがきっと、いや必ず、あります。お墓参りをした後だとか、なにかの番組を見た後だとか、14:46に合わせた黙祷をした後だとか。その感じたことを、配信でみんなに直接話したかった。明日は明日で伝えたいことをみんなに配信でお話したかった。だから今noteを開いて、自分が冷静なうちに、今思っていることを記しておこうと思いました。

10年はあっという間でした。本当に。いつの間にか小学校を卒業し、中学で3年が過ぎ、高校でさらに短く感じる3年が過ぎ、今では専門学生という肩書きを頂いているわけです。病気で休学中だけどね。そしてもう、20歳。大人の仲間入りです。20歳目前です。早いなぁ、本当に、早かったなぁと、素直に感じるし、早かったとしか言いようがないのが少し寂しいです。津波と火災で瓦礫の山へと豹変した地元は、大型漁船が乗り上げたあの場所は、今はすっかり跡形もなくなり、新しい災害公営住宅が建ち、公園ができて、震災前にはなかった全国チェーン店がポツポツと並んだり、新しい商業施設が出来たり、本土と島を繋ぐ橋ができたり、三陸道が開通したり。とにかく変わりました。東日本大震災の面影は、ほとんどないんじゃないかと思うくらいに、綺麗になった気がします。綺麗という言葉が適切か分かりません。でも、あぁ、変わったな。というのが本音で、そして、これが復興なのかな、地方創生なのかな、とも感じます。
全国各地からのボランティアの方々から始まった復興は今、新しく立ち上がったNPO法人さんや、地元の元々あった会社、新しく立ち上がったプロジェクトなどが繋がって、形を作って、新しい【地元】が出来上がっています。今年は特に凄かったんじゃないでしょうか。三陸道が全線開通するにあたっての大規模な橋の工事も終わって、景色がバンと変わりました。毎年お墓から地元を眺めては写真を撮り続けているのですが、今年の写真はいつもよりも全然違う写真が撮れそうです。ね。復興ってすごい。全国の皆さん、支援してくださってありがとうございます。地元は元気です。進化しています。だから、コロナが治まったら、いつか進化した地元を見に来てください。全国のボランティアさんに届け。あの日私たちの町を治す第1歩を踏み出させてくれた方々に、届け。

明日はどんな一日を過ごすのだろう。10年という節目を迎えるにあたり、どんな気持ちで朝起きて、どんな行動をとるのだろう。少し不安な気持ちになっている3/10の私。みんなの分まで生きよう。また改めて強く思うのだろう。
こう長々と書いてるとね、必死に指を動かしてるとね、何を言いたいかわからなくなるんです。それが私の悪い所なんです。でもね、それくらい、まとまらないくらいには、心が整理できないんだよってことを、知って欲しいです。前に進めてない自分が悔しい。けど、私がnoteやミクチャの配信で少しでもみんなに東日本大震災のことが伝わればいいなという気持ちは変わらないし、私が話すことによって、今後の大きな災害の役に立てて欲しいし、思い出したくない方々がいると思うけれど、もう一度災害というものを、天変地異級の何かが起こったという事実を、考えて頭に刻んで欲しい。これ以上大きな被害を生まないために、今わたしにできることは、自分の経験を世の中に発信することだけです。だから発信し続けるし、忘れないし、忘れてはいけないし、亡くなったあの子の分まで生きるし、そして発信し続けることで供養にもなるのではないかと感じているのです。


東日本大震災が起きてから、阪神・淡路大震災で作られた「しあわせ運べるように」という歌に出会いました。
少し前、テレビで、阪神・淡路大震災を経験したから、その歌は軽率な思いで歌えなくて苦しいと話している方がいました。震災を経験していない子供たちが簡単に歌っているのが少し苦しい、私の経験を一生懸命話しても顔が曇るだけ、と話している方がいました。
私も同じ。軽率な思い出歌えません。でも、東日本大震災を経験したからこそ、この歌はもう一度全国に広まり、私たちを繋げるものになったと思う。実際に私は、学年全体で「しあわせ運べるように」を合唱したし、テレビでも取り上げられたし、小学校の卒業式でも歌ったし、そして、しあわせ運べるようにを作った臼井真先生ともお会いして、実際に合唱の指導も頂きました。「地震」の歌詞を「津波」に変えて、「神戸」を私の学校のある地区の名前に変えて、臼井先生の前で歌いました。今でもすごく思い出すし、その歌を聞くと涙が出るし、亡くなった友達の分も毎日を大切に生きていこうと、歌詞の通りに動ける気がするんです。

あの歌をみんなで最後に歌ってから8年と思うとすごい年月を経たなと感じるけれど、でも今でも鮮明に思い出せるのは、みんなのおかげであり、先生のおかげであり、そしてこの歌に対する自分の気持ちが強いんだなぁと感じます。明日はきっとお墓の前でこの歌を心の中で歌うんだろうなあとか、そんなことを考えてしまいます。

傷ついた地元は、元の姿に戻るどころか、変わって、発展して、進化しています。10年はあっという間でした。お墓で眠るあの子も、同じ気持ちなのかなぁと勝手な想像をふくらませて、もう私は何が言いたいのか分からずまとまらないから、もう文字を打つのを辞めたいと思います。これ以上打ったら泣いてしまう気がして。もっと訳が分からなくなる気がして。ごめんなさいねー、こんな変な文章で。でも読んでくれてありがとう。

私は絶対に忘れない、3.11。

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