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『秒速5センチメートル』を観て
『秒速5センチメートル』を観た(1年ぶり2回目)。
初めて観たのは受験真っ最中の高3秋口で、勉強が少し嫌になった時期の学校帰り、塾をサボって自宅に帰りその足(というか目)で観た。
それから1年ぶりだったけど、当時よりも高い解像度で観れたと思うのでまとめてみる。テーマをきっちり据えた分析というよりは、観る中で感じたことを雑多に取り上げる感じにする。
物理的距離と心的距離
"a chain of short stories about their distance"
本作の英題。"about their distance"とあるように、本作は距離を主題として挙げている。
この距離というキーワードを基に本作を見ると、単に距離(their distance)といっても2つの距離を描いているように見える。
それが、物理的距離と心的距離だ。
第1話では、転校以降半年ぶりに貴樹と明里が文通を交わし始める。転校直後は、2人の物理的距離が離れていくのと呼応して心の距離も疎遠になっていった。
文通を交わし始めたことで心的距離が一気に縮んでいき、徐々に好きなのに会えないもどかしさを感じてゆく。
ここで2人の連絡手段が手紙であるという点も重要なポイントになっていて、のちの第2話におけるメールと対比されている。
そして、貴樹の転校を前に2人は栃木で会う約束を取りつける。
桜と雪
本作全体を通して、桜と雪は表裏一体に描かれている。このことは、冒頭の明里のセリフが示している。
ねえ、なんだかまるで雪みたいじゃない?
私が思うに、この桜と雪は初恋そのものを象徴していて、以降初恋をフラッシュバックさせる装置として機能している。
ストーリーに戻ろう。
2人は会う約束を取りつけて貴樹が電車で栃木へ向かうが、雪により大幅な遅延に見舞われてしまう。この場面も、貴樹が明里に心の距離を詰めようとするも阻まれてやりきれなさを感じる心情を写し出している。
そしてようやく2人は会い、ファーストキスを交わす。この時が、物理的距離と心的距離が溶けた瞬間である。
その瞬間、永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか分かった気がした。
生きるスピード
「どれほどの速さで生きれば、また君に会えるのか」
本作のキャッチコピー。ここで明らかなように、本作のもう一つの主題として「スピード」が挙げられる。
明里と貴樹の生きるスピードの差は、冒頭で既に明示されている。桜並木の中、貴樹の前を走る明里。
そして、本作のポスターにもなっている雪のシーン。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142526115/picture_pc_1948cd7af3776511f17b59cc85429a8a.png)
明里は貴樹よりも速く前を走っていて、貴樹はそれを必死で掴もうとする。
第2話を貴樹視点で見ると、「人生を前に進めようとするも、初恋の呪縛に縛られて前へ進めない葛藤」を描いていると言えるのではないだろうか。
『秒速』はバッドエンド?
最後に、本作の感想としてよく挙がる「バッドエンド」「鬱エンド」との見解について考える。
結論から言うと、私はギリハッピーエンドかな?くらいに考えている。
主人公の貴樹は初恋に縛られて、生きるスピードが遅いまま日々を暮らしている。
まるで、ゆっくりと秒速5センチメートルで落ちる桜のように。
まるで、あの日電車を何度も止めた雪のように。
そしてラストシーン、踏切で貴樹はすれ違った明里を振り返る。ここの2つの電車が通り過ぎるシーンも2人の生きるスピードの違いを示唆していて、明里側の線路に走る列車が先に通過した後、貴樹側の列車が通り過ぎる形になっている。
そして通り過ぎるのを待っても、明里はいなかった。あの日何時間も寒い駅で待ってくれた少女が数秒も待ってくれなかった事実は、貴樹に突き刺さるとともに、前へ向くきっかけを作ってくれたのではないだろうか。
最後、貴樹は明里と反対の道へ歩を進めた。
この映画は、1人の少年が初恋を経験して、その呪縛に囚われながら生きて、最後には前を向く物語であったのだ。
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