平穏は続かない。

父が帰って来るのは大体夕方のアニメが終わった頃なので、カレーの匂いを背にいつ帰って来るのかとドキドキしていた記憶があります。

父は帰ってきたら真っ先にお風呂に入っていました。
その後に家族みんなでテーブルに着き、私は母の横、弟が父の横に座ってご飯を食べていました。
父はお風呂に直行するのでテーブルに着くまでその日の献立を知らないのですが、やはりカレーや揚げ物が並んでいる日は少し嫌そうな顔をしていた様な気がします。
その表情を見て、ギラギラと瞳孔が開いている目を見て、私は毎回ガッカリしていました。
「ああ、今日もきっと喧嘩が始まるんだな。」と。

私も当時小学校一年生程度だったので、もしかしたら今日こそはと期待しちゃうんですよねw
それに実際喧嘩がない日もあったので尚更、今日もそうだったら良いのにと願って仕方ありませんでした。

さて、そんな我が家の食卓ですが、意外と食べ始めの方は一般的な食卓と大差なく割と会話が多めの食卓でした。
父は先程の嫌な顔をおくびにも出さずに、今回は仕事でどこに行って帰りの風景が綺麗だったとか、母は同じマンションの主婦友にこんなレシピを教えてもらっただとか、穏やかな会話で賑やかな食卓であったかもしれません。

しかしそれも食事が終わるまでのつかの間の平穏です。
食事が終わりに近づくと父のお酒を飲むペースが上がっていき、段々と会話が少なくなります。
それを合図に私は適当なところでご馳走さまをして、弟をお人形遊びに付き合わせる為に子供部屋に避難するのでした。

大体喧嘩が始まるのは、子供部屋に避難をして1時間くらいでした。
先ずは母が父に苦言を呈し、それに対してお酒が入っている父が反論し。
そこから言い負かされた父が暴力を振るい出すのです。
2人の小競り合いが始まったら私はリビングの様子に聞き耳を立てます。
弟と「また始まったね。」という会話が出るほどに私の家ではそれは当たり前の事でした。
聞き耳を立て、母の命が脅かされそうだと判断すると玄関を飛び出して、同じ階の面倒見のよかったおばさんのお家へ助けを求めに行くのが私の役目でした。

「助けて、お母さんが殺されてしまう!」幼く無力な私にはそうやって同情を引いて他の大人に介入してもらうのが精一杯でした。
私が大きければお母さんを守れるのに、そう思いながら時には部屋から出てはいけないと弟に言い聞かせ、時には玄関にいるのが父に見つかってしまい慌てて弟の手を引いて。
母を守る為に裸足でおばさんのお家へ走って助けを求めることが私に課せられたこの家での役目でした。

勿論、最初はそんな事はせずとも母が自分で近所のおばさんに電話をかけて助けを求めていました。
ですが父もバカではないので、そのうち喧嘩が始まると母が電話へ近づけない様にする様になってしまいました。

不思議な事に、dvをする人って他人の目を非常に気にするんですよね。
それがたとえひ弱なおばさん1人であっても、他人が居るとそれだけで抑止力になる。
どんな理由であれ暴力はいけない事なのに、小賢しくお酒のせいにして謝りその時は落ち着くんです。
そして自分が恥をかく原因を作ったと言わんばかりに、私を苦々しげに睨みつけるんです。
私を殴っては本当に犯罪で捕まってしまうから殴れない。それは私の強みであり、だからこそ私しかこの家の現状を他人に伝えられない。
いつのまにか7歳の私はとても責任重大な役割りを与えられてしまっていました。

大人になり子供を生み育てた今は、もしかしたら私が殴られなかったのは父なりに愛情があったからかもしれない。
そう思えますが、この頃は自分が標的にならない理由がこれしか思い浮かびませんでした。
また、そう思う事で無意識のうちに自分を鼓舞し、母と弟を守るという与えられた役割を精一杯こなそうとしていたのかもしれません。


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