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「理想」と「現実」


 「理想と現実」という言葉は、誰もが昔から良く耳にする言葉ですね。


 現代の若い人達から見れば、どちらかと言えばネガティブな言葉かも知れません。「夢や希望は、叶えて現実にしてこそ意味がある」・・・そう考える人達が、今は多数派だと感じます。


 昔の私は、「理想」という言葉が、心の底から大嫌いでした。

 
 何一つ根拠も無く、実現するために必要な方策を考えることもせず、理想を実現するために必要な行動を実行に移すことも無く、いま目の前にある現状を直視することをせず、「努力」と「根性」と「自己犠牲」という言葉がやたら大好きな、他人に理想だけを強要することだけは大得意な人間・・・そんな「クソ野郎」が口から発する言葉の代名詞こそが、「理想」という言葉の「真実」だと考えていたからです。


 現在の私の中でも、「理想」という言葉はどちらかと言えば嫌いな部類の言葉です。それにも関わらず、何故なんでしょうね・・・自分がそんな想いを抱いている言葉にも関わらず、「理想」という言葉は、いまこの瞬間の私の「心」の中で、何故か大きなウェイトを占めています。理詰めでは理解不能なこの現状を考えると、もしかすると、「理想」という言葉の本質的な価値を、私は誤って認識していたのかも知れません。


 振り返って想い返してみれば、私の人生は、「夢」や「希望」を粉々に打ち砕かれる事が何度もありました。例えば、中学生時代から陸上部員として競技種目に打ち込んできましたが、中学生の地区大会はトップ通過をした後に県大会ではケツから二番目というブービー賞でした。高校生時代にも同じく陸上を続けましたが、一年生の新人大会で種目出場選手に選ばれた後に、その後の2年間は高校から初めて陸上を始めた同級生に全ての面において追い抜かれ負けました。


 例えば、大学を卒業したのちに就職した企業において、あたかも就職できたことが「ゴール」という感情を持ったまま社会に出ることになり、そして考えに考え抜いて選んだはずのその就職先は、自分には合わないと初めの数年で理解してしまった現実を何とか誤魔化すために自分に嘘を付き続け、12年後に心を病むという形で退職しました。


 他にもたくさん似たような経験がありますが、ここらで辞めときます。何よりも大事なことは、私が経験したこのようなこと・・・別に皆さんの多くも全く同じではないにしても、似たような経験をされてますよね(笑)

 
 大多数の人にとって、人生とは、そんなものです。ですが、だからといって、クソつまらない、価値のない人生だとは、何故か私は1ミリも思いません。


 そんな自分の人生を想い返してみると、「夢や希望は、叶えて現実にしてこそ意味がある」という言葉が、40歳をとうに過ぎた今の私にとっては、どうでもいい言葉に感じてしまいます。何故なら、「叶えて現実にならなかった」ことが多々ある自分の人生において、上記の例で挙げた2つの経験のどちらも、このクソッタレな世界で戦う私自身が「強く生き延びる可能性」を高めてくれたと実感しているからです。

 
 そうであるならば、「理想」という言葉の本質的な価値とは、「叶えて現実にすること」ではないと言うことになります。その言葉の本質的な価値とは、理想を追い求め、そのゴールに向かって邁進した「経験」そのもの、となるのでしょう。




 ・・・それでもさ・・・それでもやっぱりさ・・・「理想を叶えて現実にした人間」ってさ、現実にいるんだからさ・・・いいよなぁ(笑)

 
 
 ホーエンハイムの最後のセリフが心に染みるなぁと感じた、酔っ払った今夜のあやすけでした。



 それでは今日はこの辺で。

 このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。

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