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大学での手話通訳~ろうを生きる、難聴を生きるの視聴から~

先週のろうを生きる、難聴を生きるは、「大学における手話通訳支援」について扱っていました。私も手話通訳ではありませんが、学生の頃にノートテイクやパソコンテイクの支援をしていた経験もあり、共感しながら見ることができました。

現在、大学や大学院へ進学する聴覚障害者は増え続け、この10年で1.4倍になっています。ですが、日本学生支援機構の調査によると、そんな進学する学生への支援は追い付いていないのが現状です。

具体的な数字でいうと、調査対象1170校のうち、何らかの支援をしているのは358校、手話通訳しているのは15.6%(56校)で、ノートテイク40%(148校)と比較してかなり少ないのです。

そこには、

①手話通訳者を派遣する予算の不足

②学生が手話話者ではない

③高度な学習内容に対応できる手話通訳者の不足

などの背景があるようです。

確かに、予算があったとしても、それに応えられる人材がいなければ前には進みません。番組では、大学の授業に対応できる手話通訳者をどのように育てればいいのかについて取り扱っていました。

大学の授業での手話通訳の難しさとは何なのか?メリットは?

大学のような高等教育機関で扱う内容には専門用語がたくさん登場します。その中には同じ表現であっても、一般的な意味と異なるものもあります。

例えば、統計学でいう「差」と一般的に使用する「差」とは意味が異なるかもしれません。その意味の違いさえも伝えなければ、本当の理解にはなかなかつながりません。

そんな中で、学問については初心者の通訳者が誤解して間違った伝達をしてしまうこともあります(正しく伝わらない)。そうなると、本質的な「情報の保障」にはなりません。

通訳制度のルーツを考えると、地域に暮らす人々の基本的な権利を守るという歴史的背景があるようです。つまり、「生活を支える」ための手話通訳であり、高学歴者の支援を前提としていなかったのです。

ですが、冒頭でも述べたように、時代の変化とともに、生活支援というよりは、純粋に言語としての手話通訳、相手が話している内容をそのまま受け止めることがニーズとして高まっています。

番組によると、手話通訳士の養成はかなり時間がかかる(10年くらいかけてとるのも一般的!)ので、若い世代には難しいのかもしれない。

〇手話通訳者を新たに養成する

手話通訳者を新たに育てるプロジェクトとして手話通訳者養成授業を設置したようです。在学中に全国統一試験を受けるための能力をつけることを目標としたカリキュラム。

学生という時間的余裕がある時代に、手話通訳に興味のある学生が集中して学べるのは効率的で良いなあと感じました。

学生さんにも好評で、やっていくうちにどんどん興味が出てきて、休み時間なんかも意欲的に取り組んでいるようです。

こうやって興味のある学生はいるので、機会を提供する、プラットフォームを整えるというのも人を育てる場である大学の役割かもしれませんね。一度乗っかってしまえば、どんどんアイディアを出してトライ&エラーしくパワーがあると思います!

ここで重要なのは、支援を受ける学生と同じ立場である「大学生」が育つことなのだそう。

学生は学術的な言葉に日常的に触れています。そんな学生が手話の能力を身につけ、専門用語を自然に手話に変換できれば、キャンパス内がよりユニバーサルデザイン化できるということ。

これに加えて、学生同士だと「外部の人がやってきて通訳してもらう」みたいな、少し異質な状態も少し和らぐのかなって思ったりします。新しい世界に触れるきっかけになったりもしそうですよね!

聴覚障害学生の中には、外部の人を異質な存在だから、その人が横にぴったりついて支援されることに少し居心地の悪さを感じている人もいたので。

すでにいる手話通訳者のスキルを高める

ご自身も聴覚障害である研究者の方が、自身の学会発表時の手話通訳者探しに苦労した経験から手話通訳者のスキルアップセミナーを実施しているようです。そこでは、学会発表を想定した実践的な講座が開かれていました!

このような取り組みから、手話通訳者は聴覚障害者のパートナーであり、聴覚障害者は手話通訳者がいるから健聴者と「対等に」仕事ができると感じてらっしゃるということを知りました。

世界的には大学が手話通訳士を養成するのは一般的で、手話通訳者を養成する学科をもつ大学もたくさんあります。それはすなわち、手話通訳者はそれを生業とする立派な「専門職」であるということだと私は思います。

手話通訳支援を受けることでより高度な学びを学生が獲得し、本来の興味と能力を発揮し、専門家になり、将来その分野を牽引していく存在になるかもしれません。

その可能性を引き出すのに手話という彼らの言語はとても重要な役割を担っていて、健聴の世界と聴覚障害の世界をつなぐ不可欠な要素として手話通訳者の地位はとても高まっていくだろうし、そうあるべきです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、通訳制度の遅れにより、芽が摘まれてしまうのは国家的な損失にもなりかねません。

予算の問題などがあるということも挙げましたが、長期的視点に立ったとき、これは積極的な投資と考えられるのではないでしょうか。大学は「人」を育てる場所です。これからAI技術の進展などで創造的な仕事をしていくことが求められる時代がますます進むと思います。そんな中で「自分を生きていける」人となる機会を提供できるプラットフォームであってほしいと願います。

その一方で、手話通訳者がそれを生業として生きていくには収入面でなど、厳しい現状が日本にはあります。

手話通訳者が「専門職」であると認められることが必要だと思うし、そのように認識されてしかるべきスキルと研鑽を積まれていると思います。また、そのような認識が広がれば、手話の存在もより認知され、のびのびと生活できる可能性もあると思います。

いつかは、教員が得意な教科をもっているように、手話通訳者も「生活」「医療」「教育」「ビジネス」…など、得意な通訳分野をもって活躍していければ、聴覚障害者も通訳者も生涯を通して高めあい続ける関係になれるのではないでしょうか。


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