「性欲」と「性交欲」との区別を映画で説明する

Twitter(現X)上で「性欲」と「性交欲」は区別できるのか(区別できないのか)という論争が起こっています。

私自身はこの件について、明確に「区別できる」と考えています。

そのため、私自身が「性欲」と「性交欲」をそれぞれどのように捉えているのか、「映画」を事例に説明したいと思います。
(あくまでも、私個人の見解なので、ご了承ください)

「性欲」と「性交欲」以外にも、「性的惹かれ」や「性的活動」といった概念についても言及したいと思います。
→ 諸概念の区別についてはこちらの記事でも書きました

用語の対応関係

以下、「セクシュアリティ用語」→ 「映画での喩え」というように表記します。

○「性的惹かれ」(sexual attraction)
 → (特定の映画に対して)「観たい」と思うこと
※ 何らかの対象に対して生じる

○「性的欲求」(=性欲)(sexual impulse または libido)
 → (映画で満たされるような)「感覚を楽しませたい」と思うこと
※ 楽しい気分になることや感動することなど、何らかの感覚を求める
※ 特定の対象が定まっているわけではなく、満たし方はさまざま

○「性的活動」(sexual activity)
・他者を伴わない場合
→ 一人で映画を観ること
・他者を伴う場合(≒性行為)
→ 誰かと一緒に映画を観ること
※ 「性交」を含まない「性行為」もあるようなので、区別しています。

○「性交」
→ (特定の方法で)誰かと一緒に映画を観ること
※ 例えば、「〇〇さんと一緒に映画館で観る」とかでしょうか

○「性交欲」
→ (特定の方法で)「誰かと一緒に映画を観たい」と思うこと
※ 例えば、「○○さんと一緒に映画館で観たい」とかでしょうか

映画を事例にすることの適切さ

以前、私は「食事」を事例にこれらの区別を説明したことがあります。

しかし、「食事」の場合は「食事をしないと死んでしまう」のに対し、「性的活動」の場合はそれなしでも生きていくことはできます。

この点で、「食事」や「食欲」は「性的活動」や「性欲」の喩えとしては不適切だと思いました。

それに比べ、「映画」の喩えはとても適切だと思います。

・映画を観る人もいれば、観ない人もいる。
・映画を観たい人もいれば、観たくない人も、どちらでもいい人もいる。
・映画を観なくたって、本を読むことでもワクワクできる

これはまさにアセクシュアルやセリバシーを念頭に置くと、当てはまると思います。
セリバシーの場合で言えば、性的活動をしなくたって、別の事柄(食事とか旅行とか)で人生を楽しむことができるわけです。

区別することの重要性

さて、今回の主題は「性欲」と「性交欲」との区別でした。
改めて示すと、以下のように喩えられます。

〇「性欲」
→ (映画で満たされるような)「感覚を楽しませたい」と思うこと

〇「性交欲」
→ (特定の方法で)「誰かと一緒に映画を観たい」と思うこと

例えば、「特定の方法」に「映画館で映画を観ること」を代入してみましょう。
〇「性交欲」
→ 「映画館で誰かと一緒に映画を観たい」と思うこと

具体的な事例を想定してみましょう。

Aさんは、(映画で満たされるような)「感覚を楽しませたい」と思っています。
例えば、一人で映画を観るのを楽しんでいるかもしれませんし、映画についてネット記事を読んで考察するのを楽しんでいるのかもしれません。
つまり、必ずしも「映画館で誰かと一緒に映画を観たい」と思っているとは限らないのです。

映画の楽しみ方は人それぞれなので、「みんな映画館で誰かと一緒に映画を観たいものなのだ」ということを「当たりまえ」と考えたり、押しつけたりするのは避けた方がよいのではないかと思います。

とはいえ、自分にとっての「当たりまえ」を他人にとっても「当たりまえ」だと勘違いしてしまうことはよくあることかと思います。
自分の「当たりまえ」だけで判断したり、それを押し通したりする前に、別の「当たりまえ」の存在を想定することは大事だと思います(私もそのようでありたいものです)

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