雨宮 烝火

大きな和を作りましょう。音楽や詩が好きです。光の中から差し伸べる手では無く、闇の中に響…

雨宮 烝火

大きな和を作りましょう。音楽や詩が好きです。光の中から差し伸べる手では無く、闇の中に響く声でいられる様になりたいです。

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固定された記事

いじめについて

ひらがなで、かくこと。 それは、こどもが よんでくれるかもしれないことを かんがえたうえで、こうしていこうと おもいました。 おとなのかたなど、よみにくいかたも、…

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偽性愛情症候群

絶対的な正答があったとして 其処には、間違える者もいて 間違えを、間違えだと 伝えた時に 暴れ狂うものがいて 其れを、諦めもせず めげもせず 変え続けようとする…

雨宮 烝火
17時間前

風向き

初夏の夜風は贅沢だ。 この季節にそぐわない 涼しさは、愉悦さえ感じる。 賢者は黙し 愚者はかたり 賢者は歴史から知り 愚者は体験から学ぶ などと言うが、社会組織の中…

人間は不自由の極み

他人に関係ない。ちがう 他人だから 関係を保てる そして その関係があるから 人は人を思い 憂い 慈しみ 愛されたいと 愛したいと願う その全てに 他人であると言う 前提…

同じ線の上

自他の境界が曖昧な事と 自他の境界が明確な事は 同じ様なものなのかも知れない。

望まぬ明日は絶望だろうか

絶望の中 自害を選ばずに 歩み続けた。 普通を演じ続けた。 私は、それさえ 偽りと断罪したんだ。 目に見える真実だけが 理解しやすい事柄だけが 善では。ない。

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妙法蓮華経

会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 仕方がなくて 愛するものに ただ会いたいだけなのに それを、引き留めるモノも 愛であった時に …

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何かを守る為の偽性

自己犠牲漫画は、もう飽きた そんな言葉を紹介している記事を見た。 違和感を覚えたが それが、なんであるのか 私にはわからなかった。 それから、何年も経って 今、…

雨宮 烝火
12日前
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友とは。距離感や存在意義とは

友人と言うものが なんであるかを 理解し難いと言う方が 大勢いらっしゃるような。 何かを見聞きして 自分の脳味噌に叩き込む時には 自分と言う、記録装置があって初めて …

雨宮 烝火
2週間前
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救いはない

人に 人の世を おさめる術はない。 と。 だから、どうしたと 跳ね除けたい所が どうしたものか 貴方が見た世界で 貴方が、そう仰るのなら 其れが正解だろう。 と。 腑…

雨宮 烝火
1か月前
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本能

理由のない感情ほど 処理に困るものはないが 理由のない自信ほど 打ち負かせぬものも ないものだ。

雨宮 烝火
1か月前
1

生きていたくないと思うと 消えたくなる。 消えたくなると 魔法は使えないので 物理的に破壊しようとする 生きていたくない。ではないだろう。 本当はさ。 アイツを殴…

雨宮 烝火
1か月前
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堕ちたなら 堕ちた先の風景を 感情を 一つ残さず 記憶しろ 清水も 濁水も 見て触れて感じた時に "きょ"を 連れてくる 拒絶 虚無 だが 折角ならば 両方共に 有り難く こ…

雨宮 烝火
1か月前
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人の目を気にしない。

この言葉って 自分が見てる目線=主観 で、話をするならばさ 主観として、見上げている時には 周りなんて、関係ない。 そんなもん知らない。 みたいな、わがままで 融通…

雨宮 烝火
1か月前
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馬鹿を極める為に出来ること

人間馬鹿にはなりたくないですね。 此処で言うところの馬鹿と言うのは 計算が出来ない。 つまり、打算的ではない。 と言う意味での馬鹿。 この馬鹿力を極めるには 何が…

雨宮 烝火
1か月前
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LGBTQ+問題=平等性ならば頷ける。

誰が、誰に対して 何を思おうが自由であって良い。 だけど、メリットもデメリットも存在する。 メリットについては やはり、自由の確約と 心の解放感。 デメリットは、…

雨宮 烝火
1か月前
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固定された記事

いじめについて

ひらがなで、かくこと。 それは、こどもが よんでくれるかもしれないことを かんがえたうえで、こうしていこうと おもいました。 おとなのかたなど、よみにくいかたも、いらっしゃると おもいますが、よろしく おねがいします。 オープンチャット「雨宮チャット」 https://line.me/ti/g2/arUyBmbB5PaqWQVqagiGikFaDKq7yCiSXGirQg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_camp

偽性愛情症候群

絶対的な正答があったとして 其処には、間違える者もいて 間違えを、間違えだと 伝えた時に 暴れ狂うものがいて 其れを、諦めもせず めげもせず 変え続けようとする人を 他人は馬鹿と呼ぶだろうか。 力でねじ伏せる事や 高圧的な態度で 物を言わせないのも 時には大切かも知れない。 その根底には まがいもない慈しみが無ければ 暴虐でしかない。 愛が有れば なんでも許される訳ではない。 偽物の愛に惑わされるな。 誰かの愛を偽物だと断罪する様な 差

風向き

初夏の夜風は贅沢だ。 この季節にそぐわない 涼しさは、愉悦さえ感じる。 賢者は黙し 愚者はかたり 賢者は歴史から知り 愚者は体験から学ぶ などと言うが、社会組織の中や 子供と接する場合。 人気者は、いつだって よく笑い、よく喋り 様々な体験を 自らも楽しむ。 いつぞやから そんな事も忘れて しまうのかと。 そんな事を考えた事も 明日には忘れてしまっている。 其れほどに、心地よい日の 寝苦しい憂。

人間は不自由の極み

他人に関係ない。ちがう 他人だから 関係を保てる そして その関係があるから 人は人を思い 憂い 慈しみ 愛されたいと 愛したいと願う その全てに 他人であると言う 前提が無ければ これほどに 腑抜けた感情も 無いだろう。 其れは、他人に関係の無い事。 人が人を愛するにも 人が人を好くのも 人が人を助けるにも 人が何をするにも 自由である。 万物の善意なる思いに 際限は有り得ない。

同じ線の上

自他の境界が曖昧な事と 自他の境界が明確な事は 同じ様なものなのかも知れない。

望まぬ明日は絶望だろうか

絶望の中 自害を選ばずに 歩み続けた。 普通を演じ続けた。 私は、それさえ 偽りと断罪したんだ。 目に見える真実だけが 理解しやすい事柄だけが 善では。ない。

妙法蓮華経

会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 会いたくて 仕方がなくて 愛するものに ただ会いたいだけなのに それを、引き留めるモノも 愛であった時に 人は自分の天秤を 破壊するのかも知れない。 破壊せずにいけば きっと、それは ためらいもせずに 命くらい投げ捨てる。 止まってしまった"時"を 過去とし 動き続ける"今"を 大切にせよと、人は言う。 そうでなければ 救いの一つも ないのかも知れない。 死にたくて 死にたくて 死にたくて 死にたくて 死

何かを守る為の偽性

自己犠牲漫画は、もう飽きた そんな言葉を紹介している記事を見た。 違和感を覚えたが それが、なんであるのか 私にはわからなかった。 それから、何年も経って 今、一つ答えを見つけた気がする。 自分を犠牲にして 大多数を助けようとする主人公を 可哀想だとか、そう言う感情で 自分の置かれている状況などに 置き換えて、"嫌だ"という 明確な不快感として現れているんだな。と。 その上で、私自身に足りないものは 自己犠牲なのだ。 また、此の発想や考え方に回帰

友とは。距離感や存在意義とは

友人と言うものが なんであるかを 理解し難いと言う方が 大勢いらっしゃるような。 何かを見聞きして 自分の脳味噌に叩き込む時には 自分と言う、記録装置があって初めて 記憶する事が出来ます。 この場合、対人。 こと、世間では友人と呼ぶ所の 他人よりは仲の良いであろう人達。 この距離感が分からない。 または、 存在意義が不明。 距離感が分からない場合は 自分を大切にして下さい。 自分と言う人格を形成する 考え得る全てについて もう少し、大切にされる事を 提案致します。

救いはない

人に 人の世を おさめる術はない。 と。 だから、どうしたと 跳ね除けたい所が どうしたものか 貴方が見た世界で 貴方が、そう仰るのなら 其れが正解だろう。 と。 腑に落ちてしまった。 落ちたものを 実らせると言うのは 落日を止めようとする程に 難儀な事だろう 生イ、茂ル 水ベノ木ギの妖艶ナコト 貴方ハ何処ノ落陽ヲ愛デタシ 今ハ、モウ 人ガ夢見シ丑三時カ

本能

理由のない感情ほど 処理に困るものはないが 理由のない自信ほど 打ち負かせぬものも ないものだ。

生きていたくないと思うと 消えたくなる。 消えたくなると 魔法は使えないので 物理的に破壊しようとする 生きていたくない。ではないだろう。 本当はさ。 アイツを殴り倒したい。 殺したい。 見返したい。 取り返したい。 迷惑をかけてやろう、、、 とどのつまり うまくいかなかった事を 命のせいにして 穴があったら入りたいどころか 穴を掘って、落ちて 崩れて。 真っ暗で 息も苦しくて 重くて 辛くて しんどくて どうしたらいいのかも分からなくて 全てに自分を否定

堕ちたなら 堕ちた先の風景を 感情を 一つ残さず 記憶しろ 清水も 濁水も 見て触れて感じた時に "きょ"を 連れてくる 拒絶 虚無 だが 折角ならば 両方共に 有り難く この身の糧と なって頂こう。

人の目を気にしない。

この言葉って 自分が見てる目線=主観 で、話をするならばさ 主観として、見上げている時には 周りなんて、関係ない。 そんなもん知らない。 みたいな、わがままで 融通がきかない様な 感じに、見える。←第三者目線に切り替わる。 主観として 同じくらいの高さを 真っ直ぐ見ている時には 比較してみていたり 自分だったら どうするかなぁとか こうしたら良いのになぁとか 割と、傍観者のような 賢者感漂う感じ、、、? 主観として 見下ろしてる様な立ち位置の場合 もはや、金メダリ

馬鹿を極める為に出来ること

人間馬鹿にはなりたくないですね。 此処で言うところの馬鹿と言うのは 計算が出来ない。 つまり、打算的ではない。 と言う意味での馬鹿。 この馬鹿力を極めるには 何が出来るのかと 本気で考えてみよう。 自他共に正直、誠実に生きる事。 どんな状況下でも 置かれた状況下で 最大限の力を 惜しげもなく発揮する事。 明日の事なんて 度外視で120%の力で生きる事。 助けたいと願ったら 躊躇う事なく助ける事。 他人の言葉に 一喜一憂しても すぐ忘れる事。 結果は大切だけど

LGBTQ+問題=平等性ならば頷ける。

誰が、誰に対して 何を思おうが自由であって良い。 だけど、メリットもデメリットも存在する。 メリットについては やはり、自由の確約と 心の解放感。 デメリットは、繁殖出来ない可能性と 許容できない人との対峙。 この問題は 大きくな話題にするには シビアすぎる議題だったんじゃないか。 超個人的な話な訳で どの時代の、どんな場所でも 人を愛する事を推奨してきた。 その観点からすれば 平等に人を愛する事は 良い事の様に見えるが、、、 あまりに、それにばかり固執すれば