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箱根駅伝で原監督の言葉からカリスマ性の正体に近づけた気がした

カリスマ性とは、空気を一瞬で変える力。
その場にいる全員の意思決定を、有無を言わさず一点に支配させる能力。
何者かがその場に蒔いたカリスマは、全員の思考力を停止させ、納得させたうえで自分の意のままに人をついてこさせる能力。
この上なく強力で、おっそろしい能力なのだ。

それくらいの能力がなければ。
国家に対抗できる解放戦線などとても統括できるものではない。
革命を起こそうとしている集団のリーダーにとって、この能力は必須スキルと言っても過言ではない。
果たして自分の制作しているゲームのキャラクターがその能力を持ち合わせているのか。
答えは否だと思う。
なぜなら、自分にはその能力がないから。
その能力がない自分の魂を宿したキャラクターが、勝手に転生のカリスマ性を持ち合わせているなんてことはまあない。
だからこそ、「カリスマ性」を意識して芽生えさせる必要があるのだ。

たまに、ごくまれに。
生きていて、この上ない強力な魅力に引っ張られるときがある。
ある人物の一声によって、場の空気が一変する。
一瞬にしてその人が場の支配者になる。
言霊に、理屈では到底背負いきれないほどの説得力がのしかかり、私たちの心を麻痺させる。
あの人の言っていることを、実行すればいいのだ、と。
本能がそう感じるし、周りを見ればもれなく全員がその考えとなっている。
この事態に気づいたとき、その支配力のあまりの異様さ、理不尽なほどの強力さに身震いするのだ。

そういう人は、指導者に多い。
スポーツという戦いの場、支配力が大いに求められる場では、そのカリスマ性が顕著に表れるのだろう。
ある選手の一言で、ワンプレーで、試合のすべてが変わってしまうことがあるのだ。
今回そのカリスマ性をまざまざと見せつけれられた実例をご紹介する。

2024年、今年の箱根駅伝。
優勝した青山学院大学陸上競技部監督の原監督だ。
ダイジェストであの監督のクルマ越しのメガホンから浴びせた一言が、場の空気を一変させ、周りの意思を1つにした。
序盤2区の状況は、5位タイが8校そろう8つ巴状態。
1位の駒澤大学に1区で差をつけられ、周りに7校ものライバルランナーがいる中での原監督の言葉。
「みんないい走りだぞ!
前追いかけていくぞ、みんなで城西(大学)を追いかけていこう、早稲田も東海も帝京も前いって!みんなで追いかけていくぞ!」
なんとこの時、原監督が声をかけたのは、自分の生徒ではなくその場を走る8選手全員へかけられた言葉だった。
その瞬間。
しのぎを削りあうはずの8走者は、たちまちはるか遠くに離された敵を追いかけるための部隊と化した。
原監督は周りの7走者を、前に追いつくための伴走者だと思って走れと指示を出した、一人も脱落せず先頭についていけ!という敵味方を吹き飛ばした指令だったのだ。
冷静に考えてみれば、とんでもない指示だ。
選手それぞれに事前に考えた作戦もあるだろうし、そもそも周りの選手は味方じゃない、いずれは出し抜いていかなければいけない相手だ。
ただ…その瞬間、周り全員の走者は同じ目的を持った味方となった。
よそのチームの指揮官の言葉が、画面越しで見るあやさとの胸にも重く響いたのだ。疲労困憊でプレッシャーの中走る選手たちにとって、あの言葉が選手たちに与えた影響は計り知れないだろう。
結局、青山学院は4区で1位の駒澤大学に追いつき、その後は追随を許さず独走状態。
前回優勝の駒沢大を破り悲願の優勝に輝いたのだ。

他にも、漫画をあされば圧倒的なカリスマ性を摂取できるときがある。
スラムダンクの花道、キングダムの信…
井上雄彦メンバーの作品が異様なまでの魅力を発している根源は、「カリスマ性」にこそあるのだと感じる。
理路整然であること、実力があること、
そういったこととカリスマ性は微妙にリンクしない。
強引な理論であっても、絶対的な戦力じゃなかったとしても。
周りが不思議とうなずいて、一体感が生まれる。
「場の空気を支配し、全員の思考を強引に統一する」能力。
この力が周りの底力を目覚めさせ、状況を思いもよらない展開にさせる。
不可能を可能にする、理不尽でなんとも魅力のある能力か。

この「カリスマ性」をキャラクターの要素と強く捉えると、構想しているストーリーがありもしない方向に急旋回した。
漫画家特有の、「キャラを勝手に動かしていたら当初思っていたのとは全く違う展開になった」というアレだ。
ついにキャラクターが勝手に動くようになってくれた。
なんにせよ革命的な変化はカリスマ性と共に起こりうるものだと意識することは大事だと思う。

P.S
今年の小さな目標は
・一日5分勉強する
・ゲーム5章まで完成させる
です、応援ヨロシク。

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