あやさとがサッカーを愛してやまない理由を言語化したい
茜茜になんでそんなにサッカーが好きなんですかと問われたあやさとは、鼻息を荒くしながら一生懸命説明したものの、マジで1ミリも伝わらなかった。
闘争本能のカケラもない平和ボケした茜茜にスポーツ魅力を伝えようとしても、正直無理がある。
中国では部活がないし、日本の文化が好きな茜茜とはいえスポ根アニメには一切興味を示さず敬遠していた。
男女差は少しはあるだろうが、そういった中国の方は多い気がする。
そう考えると日本はスポーツと密接につながった恵まれた国なんだなぁという事をひしひしと感じるこの頃。
昔スポーツをやっていたり、サッカーでなくともスポーツ観戦をした経験のある人であれば、2つのチームがクラブや地域、国を背負って全身全霊で戦う筋書きのないドラマの美しさを知っている人には、わざわざ説明するまでもない事だろう。
あやさとはその中でも、サッカーが好きなのだ。
105m×68mの盤上で11×2人の役割を持った選ばれし選手たちが
キャリアのため、優勝のため、果ては国の為に走り回りながらしのぎを削りあう姿には、時に感動すら覚える。
争いがなくなったこの国は、スポーツという健全に、そして合法的に戦いあえる場所を作り、観客はその姿に心の炎を宿らせる、あやさともその一人だ。
きっかけは、高校ではいったホッケー部という部活だった。
ホッケーも細かいルールは違えど、サッカーと同じく11対11で2つのチームが相手のゴールを奪い合うというスポーツだ。
それまでスポーツと言えば剣道しかしていなかったあやさと。
1対1の戦いしか経験してこなかったあやさとは、チームスポーツのえもいわれぬ魅力にどっぷりと浸かっていった。
のめりこむようになったきっかけを1つのキーワードで表すと「役割」。
これに尽きるのである。
サッカーは、将棋と似ている。
盤上には味方の駒と敵の駒があり、駒にはそれぞれの特徴がある。
目の前の相手に勝つために無数の戦略を練り、駒を適切な場所に配置していく・・・・
限られた盤上の枠内には、無限の選択肢が眠っているのだ。
サッカーに置き換えてみよう。
サッカーにも同じく、フォーメーションというものが存在する。
攻撃的な布陣、防御的な布陣、バランス的な布陣・・・と
戦況や保有している選手の特徴から、チームの最適解となるフォーメーションは異なる。
戦術を考える監督一人一人にも己のサッカーに対する「美学」があり、正解のない中で十人十色のフォーメーションとそれに伴う作戦を各チームが持っており、一つとしてまったく同じ戦略はない。
それは将棋と違い、それぞれ持っている駒(選手)が違うからだ。
サッカーは盤上の駒となる選手一人一人にもドラマがあり、時に期待通りに行かず、時に不思議な力が働いたりする、そういった不安定な部分もあるため、戦術やデータ通りにいかない偶奇の面も持ち合わせる。
戦術は違うとはいえ、長い歴史の末にポジションはいくらか体系化できており、ポジションによって必要不可欠な能力はかなりはっきりしてきている。
例えばCB(センターバック)であれば、守備力はもちろんながらコーチング能力、経験からくるオフサイドラインの管理や競り合いに勝てるだけの体格などが基本的に求められる。
FW(フォワード)ならゴールを決める決定力や足の速さ、1対1の強さ・・・などCBとは少し異なった能力が要求される。
ゲームで例えると、攻撃する者、回復する者、盾となり守る者(俗にいうタンク)などそれぞれが欠かせない役割を持っており、タンクが役割であれば、それは当然体力や守備力が求められる。
ドラクエやFFなどロールプレイングゲーム、いわゆるRPGが好きなあやさとはこの「能力による役割分担」がたまらなく好きなのだ。
繰り返すが、求められる能力はポジションによって違う、これがサッカーの醍醐味だ。
かつてはあやさとも、盤上の一つの駒としてプレーしていた。
ホッケー部はフォーメーションがサッカーより統一されている。多少の変化はあれど大体はこの形だ。
前線に3枚、中盤に三枚、後ろにフリーで動き回るスイーパーを入れた4人。
そんな中、あやさとの定着したポジションは、ライトハーフだった。
ホッケーは、ボールを扱うスティックが右利き用のものしかない。
だから性質上、右の方が攻め込みやすく、左の方が守りやすい。
同じハーフでもライトハーフは攻撃的で、レフトハーフは守備的なのだ。
あやさとは守備が弱く、体を張るプレーも苦手だったが、ドリブルとクロスの速さには自信があり、かつ足も遅くはなかったので切り込んでクロスを上げるライトハーフとしての役割を任されていた。
これまで剣道では、勝つにはすべて自分自身で何とかしなければいけなかったが、ホッケーは違っていた。
自分がドリブルで運びクロスを上げるというのは勝ちに直結するわけではない、あくまで戦略の一部で、攻める途中過程なのだ。
良いクロスが上がっても、それだけで点が決まるわけではない。
それまでにしっかりディフェンスしてボールをつなぐ役割と、それをきっちり決める役割がいてはじめて点が入るのだ。
何が言いたいかというと、このスポーツは一人で試合は決められない(例外は除く)。
任せるところは味方を信じて任せ、自分も与えられた役割を遂行しないとチームは機能しない。
相手に勝つためには、11人誰が欠けてもいけないのだ。
視点を変えて言うと、このピッチ上で自分にしかできない役割があって、それを任されているのだ、という実感があった。
人と接することが難しいあやさとでも、スポーツを通してなら、役割を任され周りと同じ目標の為に一体となった実感を得ることができる。それがあやさとにはたまらなく快感だった。
自分の作っているゲームだって、そう。
どんなキャラクターもそれぞれ違う能力と特徴があり、人が変われば戦略も変わる。
そんなゲームのキャラクターの様に、今自分にしかできない役割が存在し、それを任せてくれた時の快感は果てしない。
プレイヤーとしてこの喜びに気づき、それから次第にサッカーの魅力が分かってきたのだ。
前述したように、サッカーが将棋と決定的に違っているところは、駒が敵と味方で同じではないという事だ。
同じ選手は一人としていないし、それぞれのプレースタイル、能力、性格がサッカーに反映される。
つまり、サッカーはボード上のカードゲームの要素も含んでいるという事なのだ。
遊戯王やカルドセプトのように、サッカーの選手を配置するということはデッキを構成するという行為と等しい。
実際、あやさとがやっていたサッカーゲーム「eFootball」も、選手をカードとして扱い、能力を数値化してプレースタイル、スキルなどがセッティングされていた。
自分が実際にサッカーやホッケーをプレーしているときも、自分だったらこんなプレースタイルだろうな、とかこの選手っぽいかんじかな・・・と妄想しだすともう止まらない。
将棋の様に同じ駒で戦わないという事は、現実ではパワーバランスの差が少なからず生まれてしまう。
しかし、必ずしも強者が勝つとは限らないのがサッカーの醍醐味なのだ。
天候やホームアウェイの環境、けが人の状況やその日の選手の体調、精神的なコンディションもプレイにつながってくる。
戦略や、上記のような手の届かない原因によって起こる「運」の要素、それがかみ合うと、カタールワールドカップで日本が起こしたジャイアントキルの様に、弱いチームが強いチームを一杯食わせることも起こりえるのだ。
そして、選手一人一人にもドラマがある。
日本代表の顔となっている三苫選手も、カタールワールドカップとほぼ同タイミングでイングランドの中堅クラブブライトンに入団が決まった。
イングランドの1部リーグでプレーする日本の選手はたった3人。
たとえ入団しても必ず試合に出れるわけではなく、クラブが強くなるほど熾烈になるスタメン争いを突破して初めて試合に出られる、そして信用を勝ち取ってピッチに立つことになっても、その時のプレーの良しあしでまた序列は変動する。
そんな背景があるからこそ、日本人選手が目を見張るプレーをして海外を驚かせたときなんかは、万歳三唱したくなるほど嬉しくなるのだ。
他にも、
このクラブにこの選手がいたら面白いだろうな・・・とか
現役のトッププレイヤーを歴代のレジェンド選手と比較してみたりとか、
現役最強イレブンを組んでみたりなど、選手を知れば知るほどサッカーの考え事は尽きることがなくなる。
さらに、普段はクラブで敵同士となっている選手たちも、いざ国際戦となるとあのライバル同士の共闘、という漫画だと超熱い展開になったりするから面白い。
しかし漫画だとここまで劇的な展開だったら絶対勝つだろう、という展開も現実では何が起こるかわからないのがサッカーのガチンコでいいところ。
そんな筋書きのないドラマだからこそ、ひいきのチームが勝つとすこぶる嬉しいし、最後の瞬間までドキドキハラハラすることができるのだ。
まだまだ語り足りないですが、サッカーの魅力をまとめるとこんな感じです。
明日もサッカーの試合があるので、今気合を入れています。
一点取れるといいな・・・
それではまた。
P.S
あやさとの買ったスパイクなのですが、コレ。
なんとなんと、あの皇帝デブライネが着用している「「Nike Phantom GX DF」 FGスパイク」なのです(たぶん)!
前のスパイクの固い感じより、少しムニュっとした履き心地と蹴り心地。
人工芝用なのに土でするん?というマジレスは控えろ。
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