数分間のエールを 織重夕が信じた神について
この時代にモノづくりを志す全て人へ、数分間のエールを
この内容には、数分間のエールを、のネタバレを含みます。
イントロは短く
数分間のエールを(公式サイト)という映画がある。
音楽でひとの心を動かすことを望み、夢やぶれた新任の英語教員、織重夕。
彼女の歌に感動し、そのミュージックビデオ――MVを作りたいと望んだ高校生、朝屋彼方。
これは夢を取り戻す再生の物語――ではない。
神への信仰を取り戻す、行進の物語だ。
音楽という神について
信じるという行為について
織重夕は音楽という神を信奉している。
彼女は百の曲を完成させ、夢に引導を渡した。
その裏には、数えるのも嫌になるほどの未完が息を引き取っている。
テストの答案には唯一の解答を記述するが、その背景に幾枚もの答え合わせがあるように。
ただひとつの得点のために、数えるものばからしい研鑽があるように。
作品という生の下には、多くの死が横たわっている。
私たち生き物の命の背景に、祖先からの死が続いているように。
死の行進の先端に、生はある。
そして我々は、始まりにすら理由を求める。
神の似姿、宇宙から飛来したアミノ酸。まあ、由来はそれぞれなので列挙しても仕方がない。
その論拠はともかくとして、始まりがあると信じる。
信奉するという行為は、身近に結びついている。
無形に対してはもちろん、有形だって観測を信じるしかない。
自然科学の完成は神の不在を証明するだけで、その実在を否定するものではない……とは言い過ぎだろうが、法則はその内側にいる限り信じるほかなく、理解するならば宇宙の外に出るしかない。プログラムのソースコードを眺めるように、だ。
オカルトめいた話だが、創作とはそんなものすら内包する混沌であると、織重夕の姿勢から伝わってくる。
彼女は夢の終わりのその日、朝屋彼方の作るMVを楽しみにしていると宣言した。
『未明』と名づけられた歌を解釈し、彼はMVを作り上げていく。
自分の作ったMVで歌が羽ばたき、より多くのひとへ感動を届けられると信じて。
完成した映像に突き付けられた答えは――本当に歌を聴いたの?
解釈違いだった。
才能について
夢を終わらせる歌を、夢を追う歌と受け取った朝屋彼方。
絵の世界でやぶれ、失意にあった彼は、MVの世界に感動してもう一度走り出した。
その足はまだまだ傷も少なく、折れることを知らない。
そんなふうに織重夕から突き放されてしまった少年を待っていたのは、友人の外崎大輔だ。
物語の冒頭から彼方を気にかけてきた彼は、かつて絵をやめるきっかけとなった天才だった。
絵で県知事賞をとった大輔を――彼方はそう見ていた。
大輔によって『未明』に込められた思いを伝えられる。
彼は才能が――周りからの評価が先行して中身の伴わない自己を厭い、絵の道という夢を捨て去ろうとしていた。
だから、織重夕の表明がわかる、と。
やがて描かれることのないカンバスと、彼が描き続けてきたスケッチブックを彼方は見る。
白紙を埋め尽くす、研鑽の記録。
それは才能の不在証明ではない。きっと優れた能力をもっている。
そんな存在ですら、苦悩の迷路の中で線を重ねてきた。結果は残酷だ。望む望まないにかかわらず、壇上に上げられる。才能という壇上に。
大輔の描いた線の量は、自らが積み上げてきた努力を凌駕した。
かつてやぶいた絵の世界は、失望にはほど遠いと突きつけられる。
傷の過多は栄誉ではない。
それでも、同じ痛みを負うことができないと。
壁一枚の隔たりが立ちふさがる。
朝屋彼方のMVは、届かないのか。
彼方からのエール
中川萠美という少女がいる。かわいい。天使である。異論は認めない。別れた彼氏が壇上に乗り込むのも、未練かもしれないと思えるほどに。彼女と付き合ってた彼氏の存在がむかつくので、ベースで殴られててよかった。暴力の存在を是認するものではありません。
私情はともかく。
萠美は高校入学をきっかけに未経験で軽音部に入り、バンドを組んでいる。
学園祭のステージに向けて、そのプロモーションとして彼方にMV作りを依頼していた。
理想を追い求めたり、夕に浮気したりとふらふらの彼方を根気強く待つ天使……は置いておいて、彼女は完成したMVに感情をこぼす。
歌で表現しようとしたことと、MVで描かれていたことは違っていた。
夕との件もあり解釈違いに過敏になっていた彼方だが、萠美はそれでもいいのだと続けた。
自分でも気づけなかったいいところを教えてくれてると。
当然ながら、音楽にひとつの正解などない。聴くひとによって受け取り方はさまざまだ。
そういった意味で、萠美は音楽という芸術に真摯な存在と言える。
彼方のMVの批評性についてここで言語化され、音楽の間口を広げる行為だと肯定される。
それは檻を開け、鳥が大空を飛び回るのに似た、飛躍の芸術。
意味を回転し、新しい側面を見いだす比翼。
夢への応援が彼のMVだった。
では、それを拒んだ夕にとっての音楽とは、いったいなんなのか。
織重夕の音楽
織重夕にとっての音楽は神である。神とは何か。それは歌われている。
彼女の喉を通して、肺から空気を吐き出して、脳を振り絞って、心で見たそれを。
彼女にとって夢を追うことは巡礼であり、そうして生み出す音楽——神の似姿——を聴いたおまえらも信仰しろよって歌ってる。それは絶対的に正しいのだから、歌以外の言葉にして伝える意味がない。翻訳は必要ない。それらは焚書にする。
他者の音楽を聴いた時に、おまえはその意図の通りに受け取ってないのに感動するときもあるだろって矛盾も関係ない。他の神話を都合よく解釈して習合する行為でしかないから。
織重夕にとって音楽は芸術でなく神だ。それは絶対者である。
これは音楽を信じる自分を信じられなくなった女性が、MVを通して信仰を取り戻す話。そのために必要だったMVに求められていたのは、解釈ではなく理解だった。
百の聖典を聴いた彼方は、その歌の理解に至る。
夢への祈りと共に作り上げられたMVは許しを得て、世界に解き放たれた。酷評に揉まれながら、それでもだれかの好きに届いた。ここに神話の続きがなされた。
行進は続く。歌はやまない。音楽は終わらない。
教職を辞し、再び夢に向かう夕。
彼方へ向け、同じ世界で再会しようとエールを送る。
祈りについて
才能に生かされ中身を伴わない神の器として描かれていた大輔は、絵を諦めることでひとになった。がむしゃらに好きを追求する彼方の姿は、大輔にはまぶしいものだった。それこそ望んだ中身だった。
スケッチブックを捨てようとしたとき、それでも夜空を見上げた。夜空には星がある。
近い未来で、彼は才能に飼われるのか、才能を飼うのか、才能を切り捨てて生きていくのか。
受験勉強に打ち込む大輔は、進路の途上に立っている。
埋め尽くしたスケッチブックが彼を描くことはなかったけれど、描き続けたそのときに彼は存在していたと信じたい。
それは、作り続けたひとがそのことを誇ってほしい――諦めたひとが、それでも夢を追った日々を誇ってほしい――そんな彼方の祈りに一致する。
人生についての思考、それは生の意義についての問いかけだ。
どう生きるのか。この問いの眼前では、死は死でしかない。どのように死のうと、どう生きたかの断絶にすぎないのだから。句点もピリオドも同じだ。そこまでに何が書かれているのかが重要なのである。
悲しむのは死ではなく、生が途切れたことだ。
生が途絶えることで、我々は世界を失う。
世界がいくら継続しようと、失われた命はその世界から切り離されてしまうのだから。
生について考えるとき、それは世界について考えているのである。
世界に対する祈り。
その対象に神が浮かび上がる。
信じるしかない存在が、立ち現れる。
なぜならばすべては信じるしかないからだ。
音楽も、エールも、人生の選択だって。
神はサイコロを振らない。決定論に指し示された運命の恩寵の中でひとは生きている。
その肯定は、祈りの死だ。
ここにおいて、神とは信じる対象であり、決して道を定める存在でないことが導かれる。
「あなたの自由なんだよ」
この言葉に嘘はないから
行進を止めないでいて
(未明)
祈りにて解釈と理解は融和を果たした。
夢を終わらせる歌を、祈りを通して、夢を追う歌としての側面を見いだすに至った。
それは夢を終わらせることを否定しない、夢に向かった日々を誇ってほしい、もう一度夢を追う背中を押す、最大限のエールだ。
夢を信じること。朝屋彼方のMVには彼が宿っている。
アウトロが長いのは蛇足なんてことはない(短い)
以上を初見感想としてまとめさせていただいた。
織重夕の神の話をしたかっただけなので、あんまり本編について詳しく語ってないけど。
脚本を花田十輝さんが担当されている以外、何も知らずに観に行ったので、情報の飽和に飲まれた感じがある。
記憶違いの部分もあるかもしれないけれど、筋には沿ってると思う。こう、外縁ぎりぎりのイメージで。べつに正しさを求めているわけではないけれど。
織重夕がよすぎてよかった。一生消えない原風景みたいな女性だった。歌、魂に食らう。
中川萠美は、彼女のすべてがこちらの狂うスイッチを押してくる。これからもいろんな人間を狂わせてくれ。嘘、自分だけ彼女のよさに気づいて狂えればいい。
外崎大輔は存在するだけで周りのひとの人生をめちゃくちゃにしそうで、こいつがいちばん萌えだと思う。これからもがんばってほしい。
朝屋彼方、太陽のようでいて、そうなんだけど、それって徹夜明けや寝れない夜に見る朝陽だなぁって。希望だし絶望だ。
作中のMV制作の表現方法が楽しすぎてとてもよかった。
七十分に満たないけれど、それすらもよさでした。
十分に満足する作品でした。
観てなくてここまで読んだ奇特なあなたは、ぜひ観ましょう。
おもしろいだけでは噛み砕けない、あなたの人生に向けた数分間のエールがあります。
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