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優しくなりたい、の第一歩。「傷ついた自分に許可を出す」。

「いつも強い子だねって言われ続けてた。
 泣かないで偉いね、って褒められたりしていたよ。」

のフレーズ。
私と同世代だったら覚えているのでは・・・。

浜崎あゆみの「A song for XX」という曲の歌詞だ。

高校生の頃、あの歌を聴いたとき「私もそうだったけど、そんなことジメジメと言わなくても良いじゃん。もう大人なのに。」と思って何だか心がザワついていた。

小さい頃から、自分のことも人のことも一歩引いて見るメタ認知っ子だった。その頃はメタ認知と言う言葉も知らず、ずっと泣き続けている子を見ても「よくそんなに泣き続けられるなー」と思っていた。自分は、痛かったり、悲しかったりしても、ぐっとこらえて一歩自分を引いて見ることで泣かないようにしていた。だから、自分のことを泣くのを我慢できる強い子だと思っていた。

まさに「いつも強い子だねって言われ続けてた。
泣かないで偉いね、って褒められたりしていたよ。」だった。

大人になってからも、自分の中で泣いても良いと思う場面でだけ泣く。
基本ルールは、自分に関するネガティブなことで泣くのはダメ、ってことだ。

だから、感情を抑えて、ずっと泣き続けたりできない私は冷たいんだろうかと悩み、もっと優しくなりたい、と思っていた。
「手が冷たい人は心が温かいんだよ」のネタは今も昔もドキリとする。
優しいって何だろう、と考え続けて、でもうまく優しくできなくて・・・。

そんな私もロミロミと出会って、ロミロミをしている時は、何だか自分が愛の存在になれたような気がして、ほっとしていた。

そして、数年前マインドフルネスと出会い優しさを具体的に探求できるかも、と思ってハマった。そして、マインドフルネストレーナーのアドバンス講座の初日で私は参加動機について「優しくなりたいんです」と話した。他のメンバーには「え?アヤパンて優しくないの?」と失笑されたが、私は大真面目だった。

今も、優しさの定義とか、愛と優しさは別だなとか、優しいと優しくするも別だしとか、色々考えているので、それはまたいつか書ける日がきたら書きたい。

で、最近「どうしたら優しくなれるか」についての第一歩がやっと分かった気がした。

それは「傷ついている自分に許可を出す」こと。

私は何か落ち込む出来事があると、落ち込んだ自分と一緒にいてあげるようにしている。気がすむまで一緒にいてあげる。で、だんだん回復してくる。でも一緒にいてあげる、と思っている時点で一歩引いていて、メタ認知してしまっているということだ。

だから、冒頭の浜崎あゆみの歌を聴いたとき「そんなふうに素直に『もっと泣きたかった』と言うなんて甘えてる!」と思ってしまった。でも本当の本当は「私も、もっと泣きたかった」という思いが隠れていたんだと思う。

でもそこを認めてあげられるようになれば、もっと自分の思う優しさに近づける気がしている。


ここ1ヶ月で、泣いたらいいのに我慢している自覚がありながら、いまだに全く泣けていない、という出来事が起こった。

傷ついたことを傷ついたまま、傷ついた自分に浸っていられない。

でも実は浸っていられないほど傷ついている、のかもしれない。
悲しみに浸ってしまうと潰れてしまうんじゃないか、と本能的に避けている気がする。

そんな私もNLPという心理学を学ぶ過程で、そういう押し込めていた感情と向き合う機会が多くあり「自分にももっと解放したい気持ちがあったんだ!」という事実を突きつけられた。
むしろ、「思いっきり泣いてやるぜ!」と頭では思うようになった。

でも、分かっただけで、まだ一人ではなかなか解放できない。

ジャーナリング(書く瞑想)なり長めの瞑想なり、仕事なり…色々して、メンタルは淡々と過ごしてしまう。
でもその替わり、食欲が落ちたり、動悸がしたり、夜目が覚めたりと、身体にでるタイプなんだろう。
(程度は軽いので、いたって元気です。)

「傷ついた自分に許可を出す。」ってなかなか難しい。。。

でも、これができるとこんな私でも優しくなれるのかなー。とやっと糸口を見つけつつある今日この頃。

人生って全てが学びなんだなぁ。

とまたメタ認知してしまう(苦笑)
本当に困ったもんだ。

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↑友人からもらった手紙。宝物だーーーーー♡
こういうのには素直に泣けるんだけどなあ。。。

(おしまい)






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