オードリーは「ファンの苦しみ」を受け止め続けてくれていた

「私はオードリーが好きです」

と発言をした途端、
「低俗なものを好みやがって」的な蔑んだ顔をされたり、
お笑い全般をディスってくる人とは、距離をおいていた。

個人的にお笑いは、1番組を見ただけで面白さがわかるものではないと思っている。
若手時代や上京したてで苦労した時代を知っていたり、過去の時代背景に藻掻き苦しんだ歴史がある。
そういった大きな「流れ」を把握しているからこそ、面白さを感じる。

つまり何が良いたいかというと、お笑いは趣味の種類の一つであり、音楽鑑賞や美術鑑賞、舞台鑑賞の面白さの部類と一緒だと考えている。
だからこそ、ジャンルが違うだけでそういった不機嫌な態度を取られるのが嫌なのだ。


私たちファンでさえこんな苦痛を感じているのに、オードリー本人に投げかけられる言葉は、想像し難いものがある。

春日さんは目立つので、町を歩くたびにあーだこーだ言われているだろう。
若林さんの優しい雰囲気もあり、些細な冷たい言葉をどれだけ投げかけられたか。

若林さんがどこかで「テレビが嫌われていることをもっと自覚したほうがいい」と発言していた。
スタッフでさえ理解してくれない苦しみを、ファンに代わって受け止め続けてきたのがオードリーなんだろうと思う。


私たち30代は、お笑い以外にも、似た雰囲気を持つ経験をたくさんしてきている。

一番分かりやすいのがボカロ。

あれだけブームになったのに、テレビではほとんど紹介されなかった。

ちょっと前の大人は「若い人の中でルーズソックスが流行っている」とかを取り上げてくれていたのに、今の大人はボカロに興味すら持ってくれないことに、絶望したのは私だけではないだろう。

「大人に自分たちの文化を理解してもらえない苦しみ」を分かちあえるのがオードリーであり、リトルトゥースであった。


私の周りにいる人に限ってかもしれないが、
最近は「私はオードリーが好きです」と発言しても「なんか多いよねー」「オドぜひ好きだよ」「オードリー面白いよね」と好意的な返事をしてくれる人が多くなっている気がする。

大学のサークルの同窓会に行ったら、バリバリの副部長をやっていた超明るい先輩が東京ドームTシャツを着ていて「リトルトゥース界隈どうなってんねん!!」って心の中で突っ込んだ。

誰にも理解してもらえなかった文化が、徐々に受け入れ始めている。


若林さんは不機嫌な顔をするかもしれないが、
20代後半になって、やっと「私たちの時代がきた」と自信をもって言えるようになった。

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