あとの祭り✧♡①
さて、青森県では7月31日からスタートの八戸三社大祭を皮切りに、青森ねぶた、弘前ねぷた、五所川原の立佞武多とあちこちで夏祭りが満載である。ご近所民俗学を始めた私としては、普段、あまり観に行かない八戸の三社大祭を今年は観ようか?と張り切っていた。
三社大祭は、実は昼の祭りで、夜の運行は2回ぐらいしかない。一番初めに始まり、8月4日には終わってしまう短い祭りだ。
私は黒帯(旦那)を、遠回しに誘った。
「誰か、私と三社大祭を観ようっていう人いないかな?」
「え。あの人ごみにわざわざ出かけるの?」
「夜、支庁前に並んだ山車を見て、一緒に、町で吞めたら最高だな」
「メンドくさくないか?」
「町で一緒に飲んでくれるオモシロイ友達いないかな?」
「そんなオモシロイヤツは、いない」
大河ドラマ「光る君へ」で道長様達若者が騎馬打球をやるシーンが出てきたときに、最後のお寺とかを紹介するコーナーで、なんと八戸市の無形文化財という騎馬打球が紹介された。全国で二か所?とか言っていたような。
これは観るしかあるまいと思った。
「騎馬打球、見てみたいんだよね。見たことある?」
「あるよ」
黒帯は騎馬打球をやる長者山付近に実家があった。
さすが長者っ子!
「おお!見てみたいなあ!どんな感じ?」
「馬の糞臭いだけだよ」
ことごとく、ワクワクした気持ちを瞬殺され、言う相手を間違えたと思ったが、時すでに遅し。
しかも涼しい八戸がめっちゃ暑い日だったので、私はすぐに日和って、冷房の効いた部屋で、出かけない自由に感謝しながら、出かけるはずだった夕方に、ビールを飲み始めた。
しかし、しかしだ。
八戸市に22歳で教師として新採用されてからこの土地に住んでいるのだが、この八戸市民(主に黒帯と私の八戸市民の友人達であるがw)の祭りに対する温度の低さはなんであろうか?
みな、祭りにどうしても出かけなくてはならないという気持ちが感じられない。その不思議を考察してみる。
理由その1 町の中心にある三つの神社のお祭りだから
自分の住んでいる地区の神社は関係ない祭りである。
理由その2 本当は8月下旬の秋祭りなのに青森弘前に合わせて祭りの時期がずれたから
これは、部外者(津軽人)の私も納得できない。
観光客にとっては、この青森弘前八戸の祭りが同時期であれば、都合がいいだろう。しかし、観光を優先するあまり、祭りの主旨である秋の豊穣を祝うという意味を失うのでは?これはずっと気になっていた。
豊作になるよう、予祝なのです!という意味付けがあればいいのかも。
理由その3 昼に行われる子供の祭りだから
神は大概、夜にいらっしゃる。そういう神秘性、オトナと酒が結びつく夜の祭りではないから。大人は参加しない。
まあ、この三つぐらいしか思いつかないが、意外と重要な三つの理由なのかもしれない。
そう、八戸市に30年以上住んでいるのに、八戸市民の祭りに対する温度の低さに、ほとんど数回しか、三社大祭を観たことが無い。
退職する数年前に東北造形大会が八戸市で開かれ、私も研究事例を高校の部で発表したが、その時の反省会がお祭りの最中で、飲み会終了後、同僚と2人でぶらぶらと支庁前の山車を鑑賞したのがめっちゃ面白かった。
印象に残っていることは、八戸市に何か文化施設を作ろうとすると、なんでもごちゃ混ぜに詰め込んだ怪しい施設になり(それが例えばハッチという文化施設)上品に、美術だけ、みたいな施設にならないこと( ´艸`)
我々が酔っぱらいながら彷徨って見学した山車も、ほぼ、小林幸子型(真ん中に巨大な衣装を着た小林幸子がいるみたいな山車)が多く、題材も、日本から中国、インドまで到達しそうな、なんでもありのキッチュなものが詰まっていたのが印象的だった。
それがとても八戸らしいと思うのである。
八戸は弘前のような文教都市とは違う、漁業都市で、工業都市だ。
この、市井の人々のパワー、イサバのカッチャパワーが八戸市の特色なのだ。インテリが創る文化ではないところが、八戸市なのだ。
昔、初めて三社大祭を観た私は、地元の弘前ねぷた祭りが大好きで、八戸市の三社大祭のけばけばしい、マネキンがポーズしているような祭りに全く興味を惹かれなかった。
なぜなら、弘前のねぷたは、伝統的な和紙と木とろうそくと墨と絵具でできているという素材感がある。
八戸三社大祭のマネキンや発布スチロール感のある祭りには素材感の抵抗があったのだ。
しかし、今は、凄く好きな祭りとは言い難いケド(2月のえんぶりの方が数倍スキだ)、やはりあの巨大な山車を作る手間とかエネルギーは物凄くて、キッチュでおかしな凄い祭りなんじゃないかと思う。
インテリは関係ない、庶民のキッチュな祭り。
来年は勇気を出して、観てみたい、かもw・・・どうかな?
仏像もいるのかもしれないぞ✧♡?
可愛い河童はいつきさんの帯です💖