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なんの旅ですか✧♡①

 私が住んでいる場所は、生まれ育った場所ではない八戸市なのだが、高校時代一緒に机を並べていた同級生が、同じく八戸市にいる。
 私は自由人になったが、彼女はまだ働いている。彼女の仕事で、なかなかの重鎮であるらしい。amazarashi仲間のlineネーム「やさぐれ」によると、いつも会合で、みんながもやもやしているところをスパッと質問してくれて、溜飲を下げるらしい。辞めないで、ずっとその仕事世界にいて欲しいと言う。我が友は、尊敬されているのである。

 しかし、どんなに尊敬されていても、私にとっては高校の同級生だ。
 彼女は、パタリロに似ているので、仮に名前をパタコとしよう。


うんうん、こういう表情


 時々、パタコは私の所にやって来る。
 自分の原点を見つめたくなった!それを知っているのは、君だ!とか、かっこいいことを言ってやってくる。

 ある時、友達がみんな結婚して、子供が出来て忙しそうで、それから、よく会う友人は、結婚していない女友達と、子供のいない夫婦(我々)という図式になった。パタコには子供が3人いる。だから私の方から特に会おうというのは、遠慮していた。

 そんな風にしているうちに、みんな年を取り、理由もなく友達と会って、意味不明にだべっているより、来たる一週間に備えて、休日を過ごすことが重要になった。
 友達には、仕事の忙しさで、ほぼ会わず、定期的に出会う美容師さんとか、用事で出会うシゴトの方々と、まるで友達のように親しくなっていた。

 
 なんかこれって、大人にアリがちだと思うケド、やばくない?

 ま、そんな中で、時々、パタコは私に連絡をくれて、オモシロそーな朗読会とか演劇とか、何かに私を誘うのであった。
 いつもよくわからないまま誘いに乗るのだが、その体験が刺激的でオモシロイ。

 そんなlineが、数週間前に来た。

 ある朗読会に参加しに、盛岡に行かないか?と誘われる。

 私はそのチラシを一瞬見たけれど日時もあまりちゃんと確認せずに、快諾した。

 パタコの誘いが面白いのはあるが、最近、私とパタコは時々、音信不通になることが多い。
 lineで、私が何かを書き、それに、驚いたパタコが突然、退場。
 なにか彼女の地雷を踏んだらしい。
 
 私は驚いた。ギャグや軽口だったのに。

 そして、それは、lineの書き言葉のせいかしら?とも思う。
 面と向かって同じ空間で、おしゃべりしていたら、そんなことは起こらなかったに違いない。「伝え方が9割」という本で、なるほどと思ったことがある。書き言葉は、感情が読めないと言うかなんか冷たいのだ。

 書き言葉は必要以上に盛れ!とあった。

 それ、なんかわかる。

 コロナ禍で、美術部員とlineを交換し、会話していたことがあったが、自分の文章の後に必ず「笑笑」とつける少年がいた。
 なんだか感じが良く見える。こちらがふざけても何を言っても、相手はニコニコしてる。だって、語尾に「笑笑」とついているのだから。

 私もパタコとのlineでそうすべきだったかもしれない。
 時々、パタコは、lineで私の前から突然立ち去り、そして、ある日、復活するということを繰り返していたのだ。

 外見は全くタフに見えるが案外センシティブなパタコである。
 また、私の、なんでも思ったことを直球で投げるという性格も災いしているのであろう。何度も、私の前から立ち去ったパタコからの誘いだっただけに、私はその誘いを受けた。

 盛岡に行くんだったら、岩手県立美術館や光原社に行きたいと希望を述べ、旅の数日前に、ざっくりと旅程が送られてきた。

土曜日のざっとした日程。
8:00  あやのん家へお迎え
9:05  八戸駅発の新幹線
9:50  盛岡駅着。県立美術館へ
12:00  穀というパン屋さんへ
13:00  蕾というカレー屋さんで昼食
    光原社へ(15:15〜材木町よ市)、できればBOOKNERDへ
19:00 〜20:00  ライブ
20:37  盛岡発の新幹線。間に合わなければ21:38で 

パタコのline

 いつもの温泉が、駅の近くなので、駅で落ち合おうと約束。

 黒帯(旦那)とパタコが出会って挨拶を交わしている。
 パタコは「あやのんをよろしく」と言われたそうだ。
 黒帯君は社交性があっていいよね、とホメている。

 私も黒帯から言われた。

「いいか、お前、絶対、パタコとケンカすんなよ!」

 黒帯はお見通しなのである。

「お前がいつも要らないことを言うからそうなるんだ」

 私も、友達だからと油断して何でも言ってしまう地雷を踏む性格を、今日は引き締めて行かなければと思った。

 旅の話が始まってないのに1,900字を越えている( ´艸`)
 サクサクっと行きますぅ~(でも好きなことは語らせて!)
 数回に記事を分けます( ´艸`)

1.岩手県立美術館「川端龍子展」


 一言で言うと、とても良かった。

 こんなに空いている美術館に入ったのは何年ぶりだろうか( ´艸`)
 人がいないということが一種の贅沢であるとするならば、とてもとても良い。前回観た美術展が、青森県美の奈良美智展だったが、やはり、青森県だからまだマシだと思うが、異様に混んでいた。
 オープニングとクロージング、あと中日に一度と、計3回行ったが、ポップで親しみやすいアーチストのせいか、平日でもまあまあ、人が居た。

 今日は、土曜日なのだが、あまり人が居ない。
 確かに、川端龍子と聞いても、「それ、誰?」という感じだろう。

 私も誰だかは知らないけれど、いつも、note写仏部員のつきふねさんやpopoさんの記事でいろんな日本画家の美術展を見ていただけに、ごく当然のように日本画の展示を楽しく観ていたのであった。

 観て、とても気に入った。

 写真撮影は禁止だったので(イマドキ珍しい気がするけど、日本画はけっこうそうなのか?)ネットから作品を借用する。

いい感じ、まさに龍子のモダンさ、かっこよさは、こういう感じ💖

 

人気作家だったらしく本の表紙や双六のデザインなどもしている。あら、美少年3人?


龍子の戦争画。スケスケの零戦が不思議


基本を押さえつつも、なんだかダイナミックでカッコイイ。この作品は無かった気がw


獺祭という名の日本酒が美味しかったことを思い出す

 獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。

獺祭のお酒の蔵元のHPより

 まさにこの絵と共に解説があったのに笑いました( ´艸`)

まるで、獺祭帯が作れるようなサイズ感( ´艸`)HPからお借りしました。


 確か、獺祭って正岡子規の雅号じゃなかったっけ?と検索してみると、意外な事実がわかった。

 9月19日は『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』の俳句が代表作の俳句である俳人・正岡子規が1902年に亡くなった日。

正岡子規は晩年、『獺祭書屋主人』と名乗っていたため、その命日(忌日)は
獺祭忌(だっさいき)と呼ばれます。

じゃらんのHPより

 うちの近所に、すごくいい居酒屋(日経プレジデントの日本酒特集のベストテンの酒が全部置いてあって、おかみは料理の天才w)が2020年まであったが、その店のマスターがいつも獺祭を注ぐたびに正岡子規の話をしてた。

 私と黒帯はそこの常連で、月一行っていたのが、うっかり、2週間に一度、一週間に一度、そして、週に2度と、行く回数が増えていった時があります( ´艸`)ある時、宝くじが当たった時は毎日いった( ´艸`)
(ちなみにお金が入ったからって食事に、贅沢するのは神様が嫌うお金の使い方らしい。お金が入らない時に贅沢しようと思ったw)
 
 マスターは気難しい男だが、あらゆる常連の中でもうちの黒帯のことが、どう見ても、気に入ってる様子。黒帯の本名は雅夫。雅(みやび)な夫。

 私はある日、マスターに言ってみた。

「マスター、
 正岡子規(まさおかしき)って
 雅夫が好き(まさおがすき)に似てますよね?」

 マスターは(´∀`*)ウフフと笑った。

#なんのはなしですか

 話が日本酒にそれました( ´艸`)
 
 しかし、今回初めて分かった事実。
 正岡子規(雅夫が好き)の命日と、黒帯の誕生日は同じ9月19日だということ。
 まさか、黒帯、正岡子規の生まれ変わりじゃないだろうね?

 しかも9月19日は、コニシ木ノ子氏によると「9割うまくいく」と読む、何か行動を起こす日らしい。

 すごいなあ!ビックリした( ´艸`)


この絵はとても大きい絵で、紺地に金で描いたのがとても気に入った!マジ、かっこいい💖


 龍子の絵はとてもカッコいい!お気に入りに登録。


爆弾は描かずに、庭の野菜を描いた。爆弾は金色の飛沫のようなもので表現。

 大田区立に美術館があるのでいつも作品が見れそう。
 今は盛岡に有名作品が出張中かもしれませんが。

あ、写仏してる!


右の絵はあったけど左の絵は無かったかw

 中国の雲崗の石窟の写仏とか、不動明王の写仏があったことが心に残る。というのは私も雲崗の石窟を20代の旅行で観たので。
 大学卒業間際、友人と中国を3週間旅したことがあるのだ。

 写仏を大きなキャンバスに描いてみたいなと思った。(←野望)

 龍子を観終わり2階の常設展に向かう。


岩手県美の船のようなこのアプローチが好きだ。写真は2Fの階段を降りてきたところ。


この階段を左手方向に登っていくと常設展。無駄で豊かな空間。これぞ、美術館💖

 常設展を見る予定が、絵本の読み聞かせがあると言う放送や、学芸員の方が萬鉄五郎展示室にて説明するという放送に、フラフラして、どちらも参加する。絵本では「いちご」という絵本が素敵だった。

世界的な造形作家が初めて世に問う、いちご賛歌の絵本(amazonより)


 いつも思うが、学芸員の人はもっとスピーチをうまくならなければならない。声を大きく張って、話し方の研究をして欲しいと思う。今日の人は表現力はある方だが、マスクをしていて時々聴こえない。
 そして、途中で、常設展を全く見ていないことに気が付き、パタコをつついて、説明を抜け出す。バスの時間まであと15分ぐらい。
 常設展はいつも見ていたからいいやと思っていたのだが!

 きゃあああ!船越桂の作品が一部屋、まるごとあるって聞いてないよ!

父の船越保武の常設はいつも観ていたのだが、まさかの船越桂!画像はイメージですw

 何を隠そう、船越桂の大ファンで、画集をケッコウ持っている。
 彼の彫刻を写仏したいくらいだ。

 とんだ伏兵だった。

 絵本とか解説とか聞いている場合じゃなかった( ´艸`)
 私一人だったらここに14時ぐらいまでいても全然平気なのだが・・・
 そうはいかない。

デッサンも沢山あった。恩師が「船越桂のデッサンって彫刻になってるよね」
と言っていた記憶が蘇る。


最近、作る彫刻はどんどん人間から離れてスフィンクスという謎のものに。
これも両性具有の観音様みたいな存在なんだろうか。


この本、買う!頭から本人がのぞいているのがウケる。

 なんという不覚だろうか。
 この部屋に詰めているべきであった。

 いや、まだ、盛岡の冒険は始まったばかり。

 ざっくりと決めた日程にしたがって、パタコ本命の、夜の朗読会まで、怒涛のようにGO!だ。続く。