1発試験4~9回目の蟻地獄

【 1983(昭和58)年2・3月 20歳 】



 初めての一発試験の後、2回目、3回目と次の検定までの1週間はとても待ち遠しいものだった。しかしクランク蟻地獄に捕らわれてからというもの、それにプラスして憂鬱と不安がごちゃ混ぜになってしまっていた。早く免許をゲットしたいと切望する身には短く、打ちひしがれ凹んだ精神状態で迎えるという意味では長い1週間である。この辺りが練習をせずに受ける一発試験の難しさだ。自動車学校ならば教官の指導の下、何度もクランクを練習し次の検定に臨むことができるのだから大きな違いだ。
 そして4度目の検定。私は前回2度の失敗を反省し、とにかく慎重な運転に努めた。しかしその心がけは良かったものの、私は身体が極度に硬くなっていることに気がついた。そんな状態なのでもちろん気持ちの余裕もない。案の定、私はクランクでまたもや失態を演じ、呆気なく不合格になった。
 今(現在)の私だから言えることだと思うが、おそらく当時はイップスのような症状に陥っていたのではないか。元来私は『超』がつく程の器用貧乏でスタートが同じものの場合、大抵のことは他人より早く上達することができた。そういう特技があるため自動車免許も一発試験で取得しようと思ったわけだ。実際、最初に受けた検定の感触が予想以上に良かった。しかしそれを自慢げに友人や周囲の人達に言いふらしたせいで、結果として自らが大きくしてしまったプレッシャーに飲み込まれてしまったわけだ。
 
《自信もあった…。また、それに見合う結果もあった…。有頂天になった…。だけど積み上げたものはなかった…。それだけに一度堕ちたら這い上がる術を知らなかった…。》

 クランクを目前にした私はもはや『蛇に睨まれたカエル』だった。一発試験の回数も増え、私はその都度心の中で『慎重に行った方がいい』、『いやいや深く考えない方がスムーズだ』と自問を繰り返したが、クランクの壁を破れないでいた。
 友人達は最初は笑っていたものの、そのうち私を気の毒に思ったのか一発試験の結果を聞く者は殆どいなくなった。それでもミモちゃんは会う度に満面の笑顔で、

「頑張って! 研ちゃんなら大丈夫! ドライブ楽しみにしてるっ!」

っと、応援してくれた。それはそれでまた新たなプレッシャーになったのは事実だが、それよりも

『負けない…。必ず合格してやる…。』

という前向きの気持ちを大きくしてくれていた。
 しかしやっぱりイップス(?)は強敵である。その後もクランクが原因の不合格を繰り返し、いつしか春の陽気が感じ取れる季節になっていた。一発試験は9度を数えていた。
   
《現段階での免許取得費用は24000円である》


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