泣きっ面に蜂

【 1983(昭和58)年3月 20歳 】


 

 仮免試験で蟻地獄に陥ってしまった私だが、実際のアリジゴクという昆虫はウスバカゲロウの幼虫のことである。カゲロウなんて聞けば儚くて何かもの悲しい生き物というイメージを持つ人もいるかも知れないが、このアリジゴクという奴はそれとは程遠い生き物だ。その呼び名の通り捕食の方法だけでなく姿形もなかなかに悪役っぽい。サラサラの砂地にすり鉢状の縦穴を掘りその中心(砂の下)に潜んでいる。そのすり鉢状の穴は罠である。そこに蟻などの虫が落ちると落ちた虫は当然這い出ようとする。しかしもがけばもがく程足場の砂は崩れなかなか上手く出られない。その上、アリジゴクが穴の中心から砂粒を投げ上げて邪魔をするので益々脱出が難しくなる。やがて力尽きるか穴の下まで落ちた虫はアリジゴクの強力な顎に捕まり体液を吸い尽くされてしまう。まったく自然界というものは残酷なものである。
 そして自然界と比べるのは何だが、今の私こそアリジゴクの罠に掛かった蟻のようなもの。そう、クランクが罠で私が蟻。切実な想いでもがいているのだが、どうしてもクランクの罠から脱出することができないでいる。いや、這い出るどころか出口すら見えない状況なのである。私はどちらかというと自信家である…が…ここ数週間の悲しくも情けない結果で、かなり精神的に参っていた。いったい…クランクという名のアリジゴクはいつになったら私を解放してくれるのだろう。私はまさに今がどん底だと思っていた。
 しかし…私の落ちる場所は…まだまだそんなものじゃなかった…。『泣きっ面に蜂』、『弱り目に祟り目』、不幸は一度に幾つも重なるものだ…。それも極めて特別なものが私を待っていた…。

 それは3月の上旬のとある日。本格的でないにしても冬を思わせる寒い日だった。ある心配事のために不安定な精神状態だった私は、眠れないことがわかっていた上で午前2時にベッドに入った。現在とは違い深夜のテレビ番組もほとんどないし、ネットもない。気を紛らわせるために時間を消費する術がないのだ。私は「もし眠れたらラッキーだ。」そう思いながらベッドの入る…が…予想は的中。まったく眠れずに永遠と続くような長い夜を寒さに震えながら心細く過ごした。悶々とした気持ちは私の生気を奪い取っていく。長い…眠れない…長い…とにかく長い…。
 それでもやがて朝は来る。カーテン越しの陽の光が私の瞼を射した。でもまだ早い。7時にもなっていない。この時間だと駄目なのだ。確実にあの発表が掲示されている時間まで我慢しなくてはならない。私はそのままの状態で「もう少し、もう少し。」と自分に言い聞かせて過ごした。そしていくらか時間が過ぎた頃、

「そろそろいいかな…。」

と目を開き時計を見ると午前10時前。私は決意し、けだるい体を奮い立たせ、服装を整えて大学へ向かった。結局一睡もできなかった。
 大学に着くと学生の姿はまばらだった。それもそうだ。春休みの真っただ中、今日は授業があるわけではない。私は専攻しているフランス語学科研究室の掲示板に向かう。するとそこには同級生の浅田が一人、無表情で立っていた。浅田は私に気付き、

「おう。」(浅田)

「おお。」(私)

「玖津木…。俺もお前も…。」

「そうか…。駄目か…。」

私はそのやり取りだけですべてを理解した。最も恐れていたことが現実のものになってしまったのである。そう、私は留年したのだ。留年が多い大学、留年が多い学科とわかっていただけに一応の覚悟はあったが、やはり全身から空気が抜けていくような妙な感覚に襲われた。茫然自失とはこのようなものなんだろう。
 元々私は勉強が好きではない。中学・高校と比較的英語が得意だったために語学系の学部を選んだわけだが、文法や暗記が主体の地道な努力を要する勉強法は合わなかったようだ。…いやそんな言い方は止めておこう。それは屁理屈だ。単に私が勉強嫌いで努力を怠った結果だ。私は楽しい時間の誘惑にホイホイと身を委ねてしまう典型的なサボリ人間なのだ。だから留年の決定には異議を挟めるものではない。ただ…ただ…そんな私とはいえ、何の対策もしなかった訳ではない。試験で優秀な成績を上げることがかなわないなら、せめて出席点でそれをカバーしようと週に8コマある授業(専門課程)の95%は出席したのである。そう、あの過酷な睡眠不足バイトをやりつつも朝一番、一時限の授業をも頑張って出席していたのである。もちろんレポートの類も悪い出来ではあっただろうが期限内にちゃんと提出した。だから内心、『留年は免れるだろう。大丈夫じゃないかな…。』と少しは楽観していた。しかし非勤勉学生には大学は甘くはなかったのである。私は浅田の横に並び、張り出された名簿を見ながら、

「そうか…浅田もか…お前は大丈夫じゃないかと思ってたけど…。」

「ああ…俺もちょっとそう思ってた。でも見ろ。10人以上いるぞ。」

「ええっ! そんなに?」

「酷いと思わないか?」

「うん…10人以上は…ちょっと…。でっ、誰が?」

「北村、オガ、外口、中岡、新川、ノッサン…それに…ミキ…」

「えっ! ミキ? ミキはないだろ?」

「俺もそう思う。でも名前がない。」

「うそぉ…ミキはおかしい…」

「…。」(浅田)

「実は俺…出席だけは真面目にしてたから…大丈夫って思ってた…。」(私)

「確かにな…それはそうと、これ、あの時の面子と一致していないか?」

「えっ! あの面子って…ああ、あれか! あっ! そういえば…。」

それは昨年の10月、LL授業(生徒各人がブースと呼ばれる壁に囲まれた個別の席に座りそこに設置されている視聴覚機材を活用する授業)の時のこと。前半は通常の授業、後半はテストという日だった。テストはヘッドフォンから聞こえてくる出題に対し答えは筆記で行うというものだった。担当講師は志賀助教授。授業(テスト)は昼一番の3コマ目だった。
 学食で昼食を済ませLL教室に行く前に学生ロビーに立ち寄ったところ、同じ授業(テスト)を受けるクラスメイト7~8人がコピー機の周りでたむろしていた。何だろうと見ていたらその中にいた北村が私を見つけ、

「玖津木。お前も来い。」

私は何だろうと思いつつ歩を進める。するとそこでは一年先輩のノッサン(留年生)が持っていたテキストを皆がコピーをしていた。ノッサン曰く、

「今日のテストはここから出るらしいぞ。」

最初は『?』と思ったが、どうやら昨年も同じテストがありその時の内容がこのテキストだったらしい。LL機器を使う場合、教材も限られるために志賀助教授は毎年同じテストを繰り返しているということだそうだ。そういうことならば迷うことは一切なし。まさに渡りに船。急いでコピーをとった。
やがて授業が開始、後半は予定通りテストが実施された。各ブースにテスト用紙が配布され、筆記用具以外のものは机の上に置かぬように指示を受けた。
 ヘッドフォンから問題(フランス語)が流れる。その問いに対し配られたテスト用紙に答えを記入してゆく…の…だが…や…はり難しい…答えられない…。
私は早々に自力で考えることを諦め、カンニングを選択した。筆箱に折りたたんでいたコピーを取り出し解答用紙の下に滑り込ませた。両手をコンビネーション良く動かし、チラチラとコピーを拝見。完璧すぎないように程々間違えたり、空欄のまま放置したりと手を尽くして成績否優秀生徒に分相応な答案に仕上げてゆく。
 ところで、今一度LL教室のブース(座席)の説明をしておく。先程は、生徒各人が壁に囲まれた個別の席が用意されていると前述したが、壁と言っても四面すべてが閉ざされているわけではない。各席が漢字の ” 巳 ” のような形であり、通路側の面には一部壁がないのである。つまり、受講時における生徒は斜め後方から真横までは丸見えなのである。つまりよほど巧妙な手口を使わない限り講師が斜め後方に立つとカンニングは簡単にバレてしまう。おまけに生徒はヘッドフォンをしている上にそこから流れてくる設問(フランス語)に神経を集中しているわけだから斜め後方に気を配ることは難しい。その上自分からは講師が見えない為、講師からも自分が見えていないと錯覚してしまうのである。このLL教室のブースというものは、一見、カンニングをする側から見れば有利に思えるのだが、実は逆なのである。
 ここまで説明すればおわかりであろう。そう私はカンニングしているところを見つかってしまったのだ。こういう時のために小さな鏡を用意し筆箱に隠して斜め後方に気が配れるようにしていたのだが(どういうレベルの準備やねんっ!)無残にもしくじってしまったのだ。
 テスト終了後、私を含めて約10人の生徒が志賀助教授にお叱りを受けることになった。ほとんどが学生ロビーでコピー機の周りにたむろしていた面々だった。浅田の言う『あの時の面子』がまさにこのメンバーだった。因みに、その時志賀助教授が言い放った一言を私は今でも鮮明に覚えている。

「一度失った信用はなかなか取り戻せませんよ。」

まったくその通りである。
 結局、2回生から3回生に進級できなかった留年生は15人だった。その内4人が2度目以上の留年、つまり私より1つ若しくは2つ年上の先輩方だった。まったく酷い話である。入学時は45人の学生がいたのだが、1回生から2回生に進級できなかったのが10人。そして今回は15人(上回生も含めてだが)なので既に約半数もの生徒が留年している。そもそもこの大学は進級に関して厳し過ぎる。カンニングという行為はもちろん褒められたものではないが、裏を返せばそうせざるを得ない状況に一定数の学生が追い込まれているのである。そして私を含めたそれら勤勉でも優秀でもない学生は、それでも何とか進級しようと出席やレポートなど一応先生方の意向に沿う姿勢は見せているのである(もっとも、単純に不真面目な輩もいるが…)。だが残念ながらその手はまったく通用しなかった。先生方はまるで、『柔軟な対応を一切認めないIT企業の技術者』のようである。しかも世間的には2.5流の大学なのに…。もう少し学生に向ける慈悲や妥協があってもよさそうなものだ。
 まあでも仕方がない。このくらいで止めておこう。このテーマで愚痴を解放すればそれだけで100ページくらい書いてしまうかもしれない。でもやっぱり…自分が悪いと思わなくてはならないのかも知れない。事実厳し過ぎるとは思うが、真面目に勉強して進級している学生がいるのは事実だ。
 浅田と別れアパートに戻りジャージに着替えてテレビをつける。別に見たいものはない。テレビはそのままにベッドに入る。天井をじっと見る。いろんなことを考える。食欲はない。頭は動かさず眼だけできょろきょろと部屋中を見る。今度は何も考えずにとにかくきょろきょろと視線を変える。少し疲れて目を閉じる。悲しいという感情は無い。とにかく思考から逃れていた。そんな風にしていると私は気付かないうちに眠っていた。
 しばらくして私は空腹感で目が覚めた。夕方4時過ぎ。窓から見える陽の光が薄いオレンジ色だった。まだ思考は回復していない。というか何を考えたところで建設的な解答は生まれるはずがなかった。こんな時は人にはしばらくこんな時間が必要なんだろうと何となく感じていた。しかし兎にも角にも何か食べなくてはならない。思考が止まっている分、脳内のブドウ糖消費量は少ないものの男子学生に20時間以上の絶食時間が経過している事実は大きい。精神的要因で身体が食事を受け付けなかった間は何ら問題ではないが、一旦空腹を脳が認識してしまってはそうはいかない。だが、こういう時に限ってインスタントラーメンすらない。冷蔵庫にあるのはマーガリンと塩蔵ワカメとカレールウだけ。さすがにこの空腹をワカメで満たすのはいろんな意味で無理があるのでさっさと諦めて外食することにした。郵便局近くにある定食屋の鯨カツ定食を咄嗟に思い出し、急いで服を重ね着し、財布の残金を確認していたら、

「コンコンッ。」

ドアをノックする音。私がそれに答える間もなく、

「研ちゃん。居る?」

何とミモちゃんの声がそこに現れた。私がドアを開けると、そこには目を真っ赤にしているミモちゃんが立っていた。

「えっ…どうして…。」

っと私が戸惑っていたらミモちゃんはその場にしゃがみ込んで声を殺して泣いてしまった。私は直ぐに悟った。おそらくミモちゃんは私の留年を知ったのだろう。

「ミモ。とにかく中に入って。」

「…うん。」

「ねっ。ほら立って。」

「…うん。」

ミモちゃんはゆっくり立ち上がり、部屋の中に入るとベッドに腰を下ろした。でも泣き続けていた。顔は下を向いたままだった。私はしばらくその前に立っていた。何もせずにただ突っ立っていた。頭を撫でることもできず、手を握ることもできずただ立っていた。10分くらい経っただろうか、やっとミモちゃんは話し出した。

「ごめんね…研ちゃんの方が辛いのにね…。」

「ううん…ごめん…。約束破ってしまった…。」

私はミモちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。何を話していいのかまったく思いつかない。明るくお道化ることも、気の利いた冗談で空気を変えることも…。かといってミモちゃんを抱きしめる勇気もなかった。そしてしばらくして、そう10分くらい経った頃。少し落ち着いたミモちゃんの口から出た一言が私に大きなダメージを与えた。

「一緒に卒業できなくなっちゃったね…。」

これはきつかった。私(留年生)は大学を余分に過ごすこととしか捉えてなかったのだが、ミモちゃんからすれば私を置いて、自分だけ先に新しい生活へと進むことになる。この時ミモちゃんがそこまで考えていたかどうかわからないが、一緒に就職し、一緒に共通の悩みを分かち合ったりすることができなくなったのである。イレギュラーな状況に飲み込まれて置いて行かれるのは私だが、もしかすると寂しいのはミモちゃんの方かも知れない。

「ごめんね…ほんとにごめん…。」

「うん…ばか…ばかばかばか…。」

「ごめん。ごめん。ごめん。」

「ばかばかばかばかばかばかばかばか。」

「ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。」

「…もういいのっ! ばか…。」

「…だけど…ごめん…。」

「だからもういいのっ! 」

「…そんな風に言われても…。」

「…もう…ほんとに…もういいの…決まっちゃったんだもんね。」

「うん。そうだね…どうしようもないね…。」

「だからもういいの…。」

私はミモちゃんの頬に手を当てた。するとミモちゃんはその手を取り、私を強く引き寄せた。私はベッドに倒れこみミモちゃんを優しく抱きしめた。二人のオデコと鼻は軽く触れていた。

「誰から聞いたの?」

「田村さん。」

「えっ! 田村さん?」

「うん。」

「どうして田村さんが…?」

田村さんは一年先輩で私の進級を日頃から気にかけてくれていた。彼は出雲大学フランス語学科には不釣合いな程の超秀才で、国立の外大に席を置いても主席が狙えるくらいの逸材。事実その数か月後、田村さんは卒業する前に某国家試験に合格し政府機関へ就職しあっさり大学を辞めてしまった。先輩にとってはこの大学の卒業よりもその方が価値があったのだろう。

「田村さん。研ちゃんのことが気になって一人で掲示板を見に行ったそうなの。それで研ちゃんの名前が無かったから、気を落として帰っていた途中で私とバッタリ。」

「えっ! じゃあミモも?」

「うん。私も研ちゃんに内緒で見に行ったの。」

「そうか…。なんか…もう…堪らないな…。」

「田村さん、研ちゃんが進級できてたら多分ここに来てたと思うよ。」

「そうか…。感謝しないとな。」

「うん。いい先輩だね。研ちゃんのそういうとこ羨ましい。」

「ありがとう。でも俺…なんだか複雑だな…。」

「これ以上は絶対ダメだよ。」

「うん。わかった。」

「それ以上は待ってあげないよ。」

「はい。わかりました。」

「ところで、今日はこれからどうするの?」

「友達のところに泊まるって言ってきた。」

「あ~もう…嬉しいなぁ…。」

「ばか。残念な日なんだよ。」

「うん。それはそうなんだけど…。」

「だから今日は仕方なく一緒にいてあげる。」

「うん。でも、仕方なくても、残念な日でも…それでも嬉しい。」

「…うん…まあ…そうだね…。」

その後、二人は鯨カツ定食を食べに行き、帰りにお酒と菓子を買い部屋で残念会を催した。私は昨夜の眠れない時間や浅田との会話、他の留年生の話をした。ミモちゃんのイスパニア語学科にも当然留年はあるもののフランス語学科よりはかなり少ない。ミモちゃんは改めて今回のフランス語学科の留年生の数に驚いていた。その中でもミキが留年した話になるとミモちゃんは目の色を変えた。二人は交流のある仲だった。ミキは真面目な学生だということはミモちゃんも知っていたので、

「酷いっ! どうしてそこまで落とさなければならないのっ! フランス(学科)の先生は生徒を進級させるのがそんなに嫌なのっ!」

っと、酒の力もあってかミモちゃんは憤った。私はミモちゃんが私の心情を代弁してくれたのを有難く思ったのだが、『私とミキの扱いがミモちゃんの中でかなり違うなぁ…。』っと少し感じてしまった…。普段の信頼って…こういう時に差を生むものなんですね…。

『ミモちゃん! もうちょっと私のフォローもミキのようにお願いできませんでしょうか?』

そして日付が変わる頃、安物のシングルベッドで二人はくっついて眠った。私はミモちゃんの頭を腕枕。正直なところ腕が痺れて辛かったけど、一晩中そうして過ごした、いや、ミモちゃんの寝顔を見ていたら、そうしておきたかったのだと思う。


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