1発試験3回目の挑戦

【 1983(昭和58)年2月 20歳 】



 人目を憚ること1週間。とは言ってもやはり何人かから『クランクで脱輪』のツッコミを受ける。まったく恥ずかしい限りだった。今回のことを踏まえ人生に役立てようとは思うが、それがなかなかに難しい。自分が利口な人間には程遠い器なのだと認めざるを得ない。
 でもとにかく1週間が経った。早々に一発試験を受験し、満足な結果(上手く行けば合格)を出し、先の一週間の忍者のような生活からの脱却を何としても勝ち取らなければならない。何と言っても前回のミスは『スピードの出し過ぎ』。修正すべき問題がはっきりしている以上、それにさえ気を配ればいい。私は気持ちを引き締め3回目の一発試験に臨んだ。
 さすがに3回目ともなると試験会場の雰囲気には慣れてきた。だから技能試験そのものに対してだけ集中を向けることができる。それを感じることができたためか、私は前回大失態を演じてしまったにもかかわらず、比較的平静を保つことができたのだった。しかし、その余裕が後々仇になる。
 やがて試験官がやってきて検定試験の開始。なんと試験官は初回と同じ『厳しい』と言われている権田さんだった。ただ、私にはその試験官に苦手意識はない。それどころか逆に好印象を持つ程だった。順番も11番目。私の好きな数字だ。ただ、私の出番までにはおそらく1時間近くはかかるだろう。ちょっと長いのは嫌だけど、その分攻略法を考える時間もたっぷりあるので『それはそれでいい』と思っていた。しかしやはり…その時間的な余裕も私には仇となったのだ。
 時間は過ぎ、検定開始から約40分弱で次は私の順番になっていた。予想よりかなり早い。1時間くらいかかると見込んでいたので、20分も前倒しである。

『長く待たされないでラッキー。』

などと思ったのだが、そこで私はあることに気がついた。というのは…私の順番は次であるのだが、両隣の列はまだ7番目くらいだったのだ。更に見回せばその他の列もだいたいそんなもの。なのに私の列だけは既に10人目。そう、明らかに私の列の検定は他の列に比べて各人が早く終っていたのだ。一体この3人分の時間差はなんなのであろう? それははっきりしていた。

『試験官が厳しいので各人が早く検定を終えている。』

ということであった。そう言えば初回は5番目だったので、この時間の差に全然気がつかなかったのだった。そこである言葉が蘇る。

「あの試験官ね…あの人厳しくて有名なんですよ。」
「私は5回受けたんですけど、あの人に3回落とされてるんですよ…。」

 私は急に心細くなった。心と時間の余裕ががたくさんあったにもかかわらず、あと数分というところでその殆どを無くしてしまった。改めて試験官権田の恐ろしさを肌で感じてしまったのだ。そしてそのまま自分の順番が回ってきてしまう。

「玖津木さん。玖津木研吾さん。」

「はい。」

結局、心の整理がつかないまま検定が始まった。因みに私の前の人(10番の人)は緊張のあまりミスを連発し、『踏み切り』の手前で一時停止できずに記録的な速さで検定を終了した。

「それでは始めてください。」

「はい。お願いします。」

それでも私は気持ちを落ち着かせ、乗車前の確認事項をつつがなく済ませ車に乗り込んだ。一度車を発進させてしまうと時間の感覚は薄くなる。緊張と集中がごったになり脳内物質もたっぷり出ているように思える。そのような状態の中で私は自問自答を繰り返し始めた。

『とにかく慎重に慎重になるべきだ。』
『いやいや慎重になりすぎてもダメだ。身体が硬くなってしまう。』
『とにかくスピードは抑えろ。慎重に。』
『いや! だから、スピードは抑えるが硬くなってはいけない。』

このように心の中にはまったく余裕がなくカオス状態のままで検定は進行していった。そしていよいよ前回大失敗をやらかしたクランクだ。頭の中は相変わらず平静を保ってはおらずクランク直前までカオスのままだった。が、なんだかんだ言っても私はは超ポジティブシンキング馬鹿なので、頭の中では最終的に…

『細かいことは考えずに本能で行ったれぇ~っ!』

っと結論が出てしまう。そして…

『コンッ…。』
『あ…ヤバイ…。』
『コンッ…。』
『う…うぇ…。』
『コンッコンッコンッ。ガタンッ。』
『…。え…? まさか…これ…って。』

「はいここまで。元の場所に戻ってください。」

 3回目の挑戦はまたも燦々たるものだった。前回と同様見事な脱輪。いや、前回の失敗を活かせなかっただけに余計に情けない。先週に引き続き、また気が重い1週間が待っている。兎にも角にも、どうやら私はクランクという『蟻地獄』に囚われてしまったようだ。
 そういえば検定試験の途中から雪が強く降っていた。少し吹雪いていると言ってもいい。さすがにバイクで帰るのは危険である。が、そんなことを言っていては始まらない。雪の降る地方の原付バイク学生にとっては慣れたシチュエーションだ。ただ、いつもより時間はかかるので1時間程雪と寒さに耐えなければならなかった。テンションが低い上に気をつかったノロノロ運転で余計に気が滅入る。それに気温が予報より低いようで場所によっては路面が凍っていた。前輪がたまに滑る。更にスピードを落としてゆっくり帰るしかない。その私をあざ笑うように車は普段と変わらぬスピードで抜き去ってゆく。当然だ。山陰地方の車は雪に慣れているし、その上バイクと違いスパイクタイヤかチェーンは普通に装備している。

『やっぱり車はいいなぁ…。』

っと思っていたところ、一畑口駅あたりの三叉路を北から南に進む軽トラックが強引に右折し私の前に躍り出た。

「うわっ!」

思わず声が出る。その次の瞬間バイクはコントロールを失いフラフラと蛇行する。スピードは自転車と同じくらいに下がってはいるものの、立っているのがやっとの状態だ。私はなんとか止まろうとステップから足を出すが雪と氷でとても踏ん張りが利かない。それでも5mくらい粘ったが健闘虚しく腰くらいの高さに積み上げられた雪の壁を突き破り宍道湖畔にあった畑に肩から落ちた。っと途端に右わき腹に痛みが走る。

「うっがぁぁぁぁぁーっ!」
「くっそぉーっ! 軽トラぁーっ!」

私は大声を上げた。確認したら私の上に転がったバイクのハンドルが肋骨の真ん中くらい押し当てられていた。2~3分深呼吸したら痛みが少し和らいだので立ち上がりバイクを道路に戻す。左半身は泥と雪水だらけ。ハンドルの歪みを直しキックをするがエンジンが掛からない。2度3度と繰り返すがダメ。

『こんなところからバイクを押して歩けるわけがない…。』

まだアパートまで20kmくらいあるこの雪の中、荷物がなくとも歩いて帰るのは無理だ。わき腹も結構痛い。電車で帰ることは可能だが、どろどろのこの服装だと気が重い。私は祈るように何度もキックを繰り返した。が…30分程でついに諦めて電車で帰った。乗客は少ないものの、やはり人の目が痛かった。本当に辛い日だった。
 因みに、次の日にバイクを取りに向かったところ、何故かエンジンが一発で掛かった。もちろんそれはそれで有り難いのだが、どうして昨日はかかってくれなかったのだろうか? 気持ちがスッキリしない…。またその2日後、大学の施設内で仲間達と卓球をしていた時、右わき腹がズキズキ痛くなってきた。経験のない痛みだったことと、事故で痛めた部位だったので念のため整形外科医でレントゲンを撮ったところ、骨折と診断された。まあ骨折といっても完全に骨が分断されていたわけではなく、ヒビが入りズレている状態。治療方法は至って簡単。肋骨は固定できないので息を吐いた状態でサラシを体に巻く。呼吸で肋骨が大きく動かないようにするためだ。そうして自然治癒を待つだけだそうだ。痛み止めの飲み薬を処方され、帰りに薬局でサラシを買った。サラシなんて昔の歌の歌詞でしか聞いたことがなかった。

♪包丁一本 サラシに巻いて♪

息を吐いてギュウギュウと胸に巻き付ける。深呼吸なんてとても無理だ。まさに虫の息くらい…。呼吸が苦しくて気分が晴々しなかった。本当に神様は意地悪だ。

《現段階での免許取得費用は12000円である》


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