赤い彗星

【 1983(昭和58)年6月 20歳 】



 松江の店を出て出雲に帰るわけだが、ここで我慢しなければならないことがあった。今の時間は午後2時過ぎ。普段木曜日のこの時間、ミモちゃんは大学にいる時間なのだが、今日は休講のため大学に行かず自宅にいると聞いていた。確かアルバイトも夕方からで、おそらくミモちゃんは今家にいるはずだ。だからここからミモちゃんの家は目と鼻の距離。車だと僅か数分だ。本心をさらけ出せば、

『今すぐこの車をミモちゃんに見せに行きたいっ!』
『ドライブに誘いたいっ!』

のだが…やはり…

『できる限り大きなインパクトでミモちゃんを驚かせたいっ!』

という目的が優先し我慢することにした。それに何と言っても私自身がまだこの車、セルボの運転に慣れていない。そういうこともあってミモちゃんに会いに行くことは今日は適切ではないと結論付けた。そうと決まればもう迷うこともない。私は国道9号線を西に向かい走った。
 最初こそエンストしてしまったが、数分走っただけで直ぐにセルボの運転のコツが掴めてきた。クラッチが繋がるのは思いのほか早めで、踏み切った状態から少し足を戻すだけで半クラになる。だから最初はエンストしてしまったのだ。エンジンは2サイクルで低回転でもトルクがあるタイプ。なので実はエンストしにくい車なのである。またロー(ギア)からセカンド、サード、トップとシフトアップはエンジン回転数を特に上げる必要がないくらいだった。これもトルクがある故か。走り出しさえすればサッサとトップまでシフトアップした方が快適に走ることができる。車重とエンジン性能をはじめ、車の設計がバランスよくまとまっているのがすぐにわかった。ところで乗り心地と言えばお世辞にも優雅なものではなくシートも固い。路面の小さな凹凸でも上下にガンガン揺れる。峠道のカーブでよく施されている連続の段差では口を閉じていないと舌を噛んでしまいそうなくらいだ。しかしこれはタイヤ径が小さくサスペンションも比較的軽視されている軽自動車、その上身の程知らずなスポーツタイプなのだから当然である。しかし、いいように解釈すれば路面状態がドライバーの身体に感覚として伝わりやすいということだ。その上ドライバーの前後位置はほぼ車の中心、しかも小さな車体ということもあり車両感覚を簡単に把握することができた。このセルボという車は確かに独特のクセを持っていたが、慣れてしまうと自分の手足のように感じることができる車だった。私は閃いた…

『これは当に私に与えられたモビルスーツ “赤い彗星” 』

そう当時は初代ガンダムが放送されてから3~4年後。再放送、再々放送され人気がグングン上昇していた頃だった。実はミモちゃんも大好きなアニメだった。その中のキャラクター、シャア専用機のソレになぞらえたわけだ。まったく男子大学生の中でも変態レベルに達するお調子者の阿保さ加減は、山よりも高く海よりも深いと認めざるを得ない。
 走るにつれ運転が楽しくなり松江を出発し出雲に戻った頃、時計は午後3時半を指していた。約一時間赤い彗星を操縦したが…もう脳内にはアドレナリンが溢れる程出ていたに違いない。このままアパートに帰るのも選択肢の一つではあるがとてもそんな気になれない。目的地があるわけではないが、とにかく私はそのまま西方面に走り続けた。大田市を過ぎ以前山浦さんの車で仮免の路上練習で来た仁摩町、そして以前から見たかった江の川のある江津市に辿り着いていた。松江を出てからおよそ100km、午後4時45分。約2時間半の時間が経過していた。しかしそれでも気分の高揚は収まらない。まだまだ西へ走った。更に20kmくらい走り浜田市の手前辺りでふとあることに気が付いた。ガソリンメーターがエンプティに近づいてきた。これは早々に給油しなければならない。
 浜田市は都会とは言い難いがこの辺りでは程々の大きな都市だ。何せ山陰の田舎は地方によってはガソリンスタンドが皆無の場所もある。今のうちに給油は必須である。そう思いながら進んでいると直ぐにガソリンスタンドが見つかった。さすがなんだかんだ言っても市街地である。だが実はここで思いもよらぬ事態に直面する。妙な話ではあるが…いや…尤もなこととも言えるのだが私は車でガソリンスタンドを利用した経験がない。そう、当たり前だ。運転免許センターの検定内容にはガソリン給油の仕方なんか盛り込まれてはいない。私の実家に車はないし、サークルの先輩方に乗せてもらった時もガソリンスタンドに入った時に具体的にどういう手順を踏んで事を済ませているかなど気にして見ていたことはない。それもそうだ。基本的に後部座席に乗せてもらっていることがほとんどである。なのでせっかくガソリンスタンドが見つかったのにもかかわらず、『いざ入場っ!』という場面でなんだか緊張してしまってどうしていいかわからなくなってしまった。入口の手前で少々スピードは落としたもののハンドルが切れない。そんな風にしどろもどろの状態でいると後続車が迫ってきて余計に焦る。結局ウインカーも出せず仕舞でガソリンスタンドを通り過ぎてしまった…。

『俺は何をやってるんだろう…。』

たかがガソリンスタンドに入るのにビビッてしまうなんて夢にも思わなかった…。本当に馬鹿げた話だと思うが、その時は実際そうなってしまったのだ。いやいや…それにしても情けない話だがその後も2件同じようにガソリンスタンドをやり過ごしてしまい、遂に浜田市の中心から外れちょっと道路の左右の景色が寂しくなってきた。

『んんん~っ。このままだとちょっとヤバイかもぉ…。』

燃料計の針がさっき見た時より更に減りエンプティの下の方を指していた。こうなってはもうダメだ。次は何が何でも給油しなければならない。次に見つけたガソリンスタンドには絶対に入ろうと覚悟を決めた。しかし市街地中心から離れてしまっていたため、そう決心してから2~3km走っているにもかかわらず見つからない。いよいよ気持ちに余裕がなくなる。不安も増してきた。っとその時、やや大きめのカーブを曲がり切ったところでガソリンスタンドを発見。咄嗟の発見のため考える時間がなかったことが幸いしてスムーズに入場することができた。スタッフの誘導に従い給油機の横に停車。そして窓を開けたらすぐさま、

「いらっしゃいませ。レギュラーですかハイオクにしますか?」

「え…えっと…。レギュラーですよねやっぱり…。」

「はい? あ、まあ…あっはい。わかりました。レギュラーで。」

「お願いします。」

「はい。で、どうしましょう?」

「えっ? どう…って…? レギュラーを?」

どうやらスタッフさんはこのやり取り辺りで私がガソリンスタンドに慣れていないのを察知したらしく、『対素人モード』に切り替えて話し出した。

「満タンにしますか? それとも何リッターという指定もできますよ。金額に応じてその分給油することもできます。」

「あ…どうもすみません。初めて給油するもので…。わからなくって…。」

「いえいえ。ご来店ありがとうございます。で、どうしたらいいでしょうか?」

「じゃあ満タンでお願いします。」

「はい満タンで。ありがとうございます。」

「はい。」(私)

「はい。」(スタッフ)

「…」(私)

「あ…あの…キーを貸していただけますか?」

「え! ああ、どうもすみません。」

この当時の車は給油口に鍵穴があり、エンジン始動に使うキーを一旦抜き取りそれで開けるのだ。だからガソリンスタンドのスタッフにキーを渡す必要があった。

「お待たせいたしました。24.5リットルで3871円です。」

「はい。4000円で。」

「はい4000円お預かりします。」

はあ…何とかここまでたどり着いた…。何度か経験するとまったくどうということはないものでも、やはり最初は滑稽なくらい緊張するものだ。ところで当時のガソリン代は158円/L。2012年の物価に換算すると174円くらいになる。なかなか高価なものだ。やはりランニングコストを考えると燃費のいい軽自動車を選んだのは正解であった。

「お待たせいたしました。129円のお返しです。」

「どうも。色々すみませんでした。」

「いえいえ。ところでどちらへ行かれますか?」

「東に。」

「江津方面ですね。」

「はい。」

スタッフさんに誘導され国道を東に向かって出る。今からは出雲へ帰ることにした。
 この時、時間は5時20分。既に3時間以上が経っていた。距離も松江を出てから約130km、休憩も無しによくここまで来たものだ。浜田市の中心から少し西の国道9号は海を見下ろせる程の高さがあった。木々の合間に見える浜田漁港は大きく周辺の入り江も美しかった。私は休憩を取るため側道に入り漁港の岸壁に車をとめた。ドアを開け車から少し離れて大きく深呼吸し景色を堪能する。海は風も波もなくとても穏やかだった。そのため山林の緑が海面の水鏡に映し出され赤い車体が一際映える。それを見た私の胸は充実感で満たされていた。一時は絶対に無理だと思っていた自分の車。それが今目の前にある。夢や写真ではない。玄関にも部屋にも入らない主材料が鉄の塊、その所持者が私なのである。仕送りを受けている身であるから、全部自分の手柄にするのは少々恥ずかしいが、しかし基本的に自分の力で手に入れたものであることは事実である。この時改めてそれを実感し、自分を褒めた。私は海に向かって両手を上げ、こぶしを強く握りしめガッツポーズをとった。
 10分程何も考えず海を見た後、自動販売機でポカリを一気に飲み干し出雲へ出発。ここからは約90km、約2時間の道のりである。来た道を戻るだけでしかも時間の制約もないため、私は暫く快適ドライブを続けていた。もうすっかり運転にも慣れ上機嫌な私だったが、ルームミラーに映ったモノが私にプレッシャーを与えてきた。その正体はパトカー、島根県警に属する白黒ツートンカラーの国家権力だ。もちろんその時の私には何も疚しいことはなかったのだが、何故かパトカーというものは近くにいるだけで夥しい圧力を投げかけてくる。とりわけその威力は自分の後ろを走っている時が最も大きい。しかしだからと言って別に特別なことをする必要はない。とにかく違反さえしなければいいのである。私はスピードメータを幾度とチェックし信号を見落とさぬように気を配った。

『よしよし。まあ、ちょっと鬱陶しいけどまあいい。』

ところが、その後5分くらい走ったところだった。

「前の赤い軽自動車の方、ちょっと停止してください。」

っとパトカーから私を停止させる言葉が発せられた。虚を突かれた私は刹那に狼狽する。

『ええ…何だろう…何があるんだろう。』
『どうして…? 何も違反はしていないのに…。』

っと混乱する私に『はっ!』っと気が付くことがあった。それは『初心者マーク』。そう、免許取得後1年間表示する義務がある『若葉マーク』。うっかり忘れていたのである。しかし…後ろを走るパトカーの警察官に私がその該当者であることは判別しようがないのだが…

『だったら何故停車命令が…?』

益々私は混乱した。しかしこうなっては停車するしかない。納得いかないが覚悟を決めて車を路肩に止めた。するとパトカーの助手席に乗っていた若く爽やかな警察官が降りてきて私に優しく一言、

「あの…左ウインカーがずっと点滅したままですよ。解除忘れてませんか?」

「あ…すいませんでした…えっ…あっ…確かに…。」

恐縮し慌ててる私に爽やかな警察官は更に爽やかな口調で、

「どうぞこの後も安全運転でお願いします。」

「はい。気をつけます。」

嗚呼、何たる失敗…。パトカーの圧力に敵意を感じていたせいで神経がそこに集中していたためか、まったくウインカーの『カッチッカッチッ』という音に気が付かなかったのだ。そうだちょっと前の2車線区間で右から左に車線変更をしようとしてウインカーを出したその直後、左車線に駐車中の車があったため結局車線変更しなかったのにウインカーを解除していなかったのだった。これはうっかりしていた。ちょうどその辺りでパトカーが現れたような気もする。ただ、まったくもって馬鹿馬鹿しいことなのだが、これはこれで良き経験だと思った。むやみにパトカーだからと言ってテンバッテしまうことは止めなければならないのだと悟った。
 その後江津、大田を過ぎ夜の7時20分に無事アパートに到着。約210km、5時間の処女ドライブは終了した。私は空腹をインスタント焼きそば2袋で満たし、そのまま倒れるようにベッドに伏し泥のように眠った。


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