サプライズに向けて

【 1983(昭和58)年6月 20歳 】



 寝不足の上の長時間・長距離処女ドライブをした後の睡眠は実に18時間に及んだ。昨日はアドレナリンが過剰に分泌されていたので無理が利いたのだろうが、当然私は相当疲れていたのだ。起きたのは6月3日金曜日の午後2時過ぎだった。不味いことに午後一番の授業は欠席である。大切な授業だけに出席はしっかりしておきたかったのだがもう仕方がない。2時40分からの心理学(一般教養)に出てその後ミモちゃんと会うことにする。とりあえずアパートの窓にかかるカーテンを開け大きく深呼吸し外を見ると駐車場に美しく輝く赤い車がある。私のセルボ。赤い彗星だ。いや…もう…たまらない…。早くまた運転したいのだが、なんとかミモちゃんにはこの車の存在をしばらく隠さなければならないので大学に乗っていくのはまだNGである。今はそれがとても切ない。なので今日はバイクで大学に行く。何はともあれ顔を洗い服を着替えてカバンの整理をしていたら、

『ジリリリリーン ジリリリリーン ジリリリリーン』

と電話が鳴った。誰だろうと思い受話器を取り、

「はい。」

「あっ! よかった! 居た居た。お久し振りです。玖津木君? 和美の母です。」

電話の主はミモちゃんのお母さんだった。

「こちらこそお久し振りです。お元気ですか?」

「ありがとう。元気よ。最近あまり来ないわね。また遊びに来てね。」

「はい。是非。」

「ところで、今日和美とは会うの?」

「はい。4コマ目の授業が終われば会う予定ですが。」

「だったら4時過ぎくらい?」

「はい、そうですね。」

「じゃあ、家に電話するように伝えてくれる?」

「あ…はい。わかりました。それだけでいいのですか?」

「ええそれだけで十分です。ごめんね。お願いします。」

「いえいえ。では失礼します。」

「ほんとに遊びに来てね。」

「はい。わかりました。」

一体なにがあったのだろうか? お母さんから電話なんて初めてだったので少しびっくりした。ただ、それだけ大事な用件があるのだろうと思った。
 そして大学に行き、4コマ目の授業も終わり、大学のロビーでミモちゃんを待った。私はお母さんからの伝言を忘れないことと、この後ミモちゃんを『アパートに連れて帰らないで済む方法』を考えていた。それと言うのもアパートのバイク置場から駐車場は丸見え。ミモちゃんに赤い彗星を見られてしまっては何もかもが台無しになってしまうからだ。もちろん現時点でミモちゃんは赤い彗星を見ても私の車とは思わないかも知れない。しかし、

「研ちゃん。この車って今まであった? 何ていう車?」

などと興味を持たれてはならない。上手くその場を煙に巻いたところで計画しているサプライズのインパクトが激減してしまうことは明らかである。サプライズ大作戦の成功の為には絶対に見られてはいけないのだ。とはいってもなかなかいい理由が見つからない。なんとか自然に外でデートをする口実はないものか…。と、まだ考えがまとまっていないタイミングでミモちゃんが現れた。まずい…どうしようか…。とりあえず私は時間稼ぎのためにも先ずミモちゃんにお母さんからの言伝を話した。そうするとミモちゃんは早速公衆電話の場所に行き、家に連絡を取りにいった。

『よし…さてどうしたものか…んんん…そうだ新しいラケットが欲しくなったから見に行きたいとか…うんそうしよう。あっ! でも今は車買う前ということになってるから出費に関わる話は無理がある…ああ…どうしよう…。』

っと適当な作戦が思いつかないまま焦っているところにミモちゃんが戻ってきた。

「ごめんね。直ぐ帰らなくちゃいけなくなった。」

「へっ! そ…そう…何があったの?」

「うん。急に松江のホテルで家族で食事する事になったらしいの。」

「へぇ~っ…いいね! いいね! 羨ましいな! じゃあ早く帰らないと。」

「えっ?」

「えっ何? どうかした?」

「…なんだか…ちょっと嫌…?」

「えっ? 何が?」

「…研ちゃん…私と一緒にいる時間が無くなるのに全然残念がってない…。」

「いや…そんなことないって。」

「でも、嬉しそうな反応してたもん。」

「それは…ホテルのディナーってそんなの滅多に食べられないじゃない。だからよかったねって思ったから…それでそんな風に聞こえただけだって。」

「ほんと…?」

「一緒に居たくないわけないじゃない。それに明日もサークルで一緒でしょ。」

「うん。確かにそうだけど。」

「俺だって、例えば明日から何日も会えないんだったらそんな風に言わないよ。帰るのを引き留めてるかも。でもせっかく家族でホテルディナーでしょ。それは気持ちよく勧めたくなるよ。」

「う…うん。わかった。ごめんなさい…。」

「うんうん。こっちもごめん。でもそれにしても急だね。」

「うん。なんだかよくわからないけど、お父さんから連絡があったみたい。招待券がどうのこうのってお母さんが言ってた。」

「そっか。羨ましい。どんな料理だったか明日聞かせてね。」

「うん。じゃあごめん。今日は帰るね。」

「OK! じゃあ駅まで一緒に行こう。」

いやいや…危なかった…。あまりにも『棚から牡丹餅』的に計画が進行したのでミモちゃんに誤解を招く対応をとってしまった。あと2日間、サプライズ大作戦の成功のためにもっと気をつけなければ…。まあ、何はともあれ、ミモちゃんと私は駅に向かった。時間は特に急がないので歩くことにした。

「ところでミモ。」

「なあに?」

「明後日の日曜日、何か予定ある?」

「日曜日?…え~と…。うん。特に何もないよ。夏服を買いに行こうかと思ってたけど、研ちゃんとデートならそっちが絶対優先。」

「まだデートって言ってないぞ。」

「えっ! デートじゃないの?」

「…デートだけど…。」

「やったーっ! 決定っ!」

「はいはい。もう…まったくどっちが誘ってるのか…。」

「だって、日曜日が空いてるかって聞かれたらそうなるでしょ。」

「はいはいその通りです。ではデートの誘いを受けていただけますか?」

「はい! それで…どこに行くの?」

「それは…明後日まで秘密。」

「えーっ!」

「楽しみにしていてねっ! たまにはそういうのもいいでしょ。」

「うん…。そこまでいうなら。でもどういう服装か決められないからヒント。」

「わかった。ヒントはないけど、動きやすい服の方がいいな。ちょっと歩いたりするかも知れない。」

「は~い。」

「朝の9時に松江温泉駅でいい?」

「うん。9時ね。帰りは何時くらいかな?」

「う~ん。そう…7時くらいかな?大丈夫?」

「うん。それくらいなら。」

そうこうしていると出雲大社前駅に到着。私はミモちゃんを見送りアパートに戻った。そこで赤い彗星に乗り込みカー用品店に向かった。以前から目をつけていたドリンクホルダー、シートカバー、ワックス、そしてシフトレバーのノブを買いせっせと車に取り付けたり交換したりした。今思えばやらなくてもいいことだらけだが、その当時はそれが嬉しかったのである。少しでも手を加えて自分の納得がいくようにするのが喜びであったのだ。ちょっと話が逸れてしまうが、年始を迎える頃大多数の所有者が車の前(ラジエータの空気取り入れ部、バンパーの上辺り)に正月のしめ飾り(編んだ藁と橙)を取り付けていた。今の時代でそんなことをすれば指を指されて笑いものになるレベルの滑稽なことながら、当時はとにかく何でも車に手を加えたい。そういう時代だったのである。
 そして次の日、6月4日土曜日。この日の午後はテニスサークル活動日なのでミモちゃんがアパートに来ることはない。この日も私は車のことを誰にも悟られないように過ごした。

 さあ、サプライズ大作戦は遂に明日が決行日。万全の準備を整え再び私は抑え難い興奮を抱え眠れぬ夜を迎えた。ミモちゃんの驚く顔が早く見たい。どんなリアクションを見せてくれるのかワクワクして堪らなかった…。


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