1発試験12・13回目そして...

【 1983(昭和58)年3月 20歳 】



 更に一週間後、12回目の検定もほぼ同じ内容だった。ただ、一つ違ったのは、クランクで一度停止しコースを修正し通過したことだけだった。この経験は実に意味が大きく、クランク蟻地獄からの真の脱出が確信できるものとなった。前回に続き完走目前で不合格だった。

 続いて13回目。クランク蟻地獄を克服し他には特に大きな障壁を抱えていなかった私には、既に気負いも緊張もなかった。今日はとても麗らかな日だ。春の日差しの中、私の気分も晴々としていた。そして今回の試験官はまたもや権田さんだった。なんと13回中5回目。他の試験官より確かに縁があると思える。
 ところで今回は何故か受験者が少ない。普段は列に12~13人程なのに、9番目の私が最後の受験者だった。時間が進み前の受験者達がだんだんいなくなる。相変わらず厳しい権田さんといったところか? 他の列より受験者が減るのが断然早い。検定が始まってから約35分。いよいよ私の順番になった。

「玖津木さん。どうぞ。」

権田さんの声と抑揚はいつもの通りだった。それはあくまでも公務員の事務的なものであった。私は権田さんの目をしっかり見てお辞儀をし検定を開始した。最初の確認事項からつつがなく検定が始まる。やがてクランクに入るが、落ち着いてゆっくり慎重に進む。そして難なく通過する。その後も順調に難関をパス。そして最後のポイント、坂道発進を通過した。前回はこの後すぐに不合格を宣告されたが、権田さんは何も言う気配がない。私は更に車を進めた。程なくスタート位置にまで帰り、停車後サイドブレーキを引きエンジンを切った。そう、私は初めて完走したのだ。一通りの作業が終わると私はただ、『ぼぉ~っ』としていた。頭の中はカラッポだった。すると…。

「はい。合格です。」

権田さんの低い声だった。一瞬何がなんだかわからなかった…。

「えっ…あの…。」

「合格です。」

ようやく理解する。そう、完走したのだから合格と思っても何の不思議もないのだが、その時は本当にそれと気が付くまで時間がかかったのである。

「あっ…ありがとうございました。」

そう言いながら私が真っ直ぐに権田さんを見たものだからか、権田さんはその無愛想な顔を一瞬だけほころばせた。それが私にはすごくカッコよく見えた。味のある中年男性が簡単には出さない魅力を垣間見た瞬間だった。
 兎にも角にもこうして私は、免許ゲットのための最難関である仮免にパスした。実に13回、3ヵ月間。とにかく長かった。留年とかいろいろあったし、何より不合格から1週間という待ち時間が辛かった。脱力感と達成感を味わいながら、私は大きく独り言を発した。

 「開放された…。」
 

 もし民営の自動車練習場で『5日間コース・3万円』や『10日間コース・5万円』という練習メニューを受講していたとしたら、13回も試験を受けずに済んだであろう。場合によっては2~3回で合格していたかも知れない。
しかし結果として費用は抑えられた。少なくとも2万円くらいは節約できた。確かに時間はかかったがその分バイトを続けて予算も増えた。また、何と言っても達成感があった。たった一度・一時間練習場コースの外周を回っただけで仮免試験に挑戦し、見事にソレをゲットしたのだ。天晴(アッパレ)である。私は天晴な男である。誰が何と言おうと天晴なのである。

《現段階での免許取得のための費用は32000円である》


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