1発試験11回目 兆し

【 1983(昭和58)年3月 20歳 】



 衝撃の事実を知らされてからの一発試験。もう暦は4月になっていた。山間部を除いては雪もなく、11回目の今日は暖かい日だった。今日の順番は1番最初。いつもより早く起きた。時間になり試験官がやってくる。権田さんは私の前を横切って隣の列の前で止まる。今回は担当ではなかった。一瞬目が合った時私は思わず軽く会釈をした。権田さんは無表情のままだった。それぞれの列の試験官が声を出す。私も早速呼ばれた。

「では玖津木さん。始めてください。」

いよいよである。復活(?)をかけた検定試験が始まった。

 いつものように確認とシートやミラーを調整し、車に乗り発進する。出だしに問題はないはずである。そしてクランク。『止まる』『やり直す』が可能だと思えばクランクの入口も大きく見えた。そしてクランクに進入。

「…。」
「…?」

なんと言うことか…。スイスイとポールを避けて車は進む。今までのことがまるで嘘みたいだった。もちろんゆっくりと進んだのだが、結局、一度も止まることもなく楽々とクランクを抜け出てしまった…。あれ程硬直し自由に動かなかった身体が『止まってもいい』と思って臨んだら気持ちが楽になり流れるようにハンドルを切っていた。
 その後も基本的に順調。縦列駐車もS字カーブもパスし初めて坂道発進も体験した。が、そこで終了。

「はいスタート位置に戻ってください。」

完走(合格)できなかったのは残念だったが、初回の時よりも長くコースを走った。なによりクランクを制覇できたことが嬉しかった。ひょっとしてクランクはたまたま上手く行っただけかもしれないが、私はクランク蟻地獄からやっと脱出できたと確信をした。ただ、蟻地獄の鉢状の砂の穴にロープを投げてくれたのは、以外にも悪名高き試験官の権田さんであった。

《現段階での免許取得費用は28000円である》


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