路上(公道)練習

【 1983(昭和58)年4月 20歳 】



 さてどうしたものか…? 路上練習にお金はかけたくない…。だが先輩でも3年以上のドライバーは滅多にいない。だいたい、いたとしても車を運転させてもらうのも気が引ける。四面楚歌、八方塞がりの状況であった。

『仕方がない…お金払って練習場でやろうか…。』

私はほぼ諦めモードだった。
 そう思っていた矢先、大学からアパートに戻って駐輪場にバイクを止めていたら同じアパートの住人の車が駐車場に帰ってきた。車はアイボリーの日産バイオレット。持ち主は大学の学食で働くお兄さんだった。実は私はこのお兄さんとは一度話したことがあった。っというか軽く叱られたことがあったのだ。
 大学に入学してまだそんなに経っていない頃、学食で昼食を取ろうとして自動券売機でカレーライスを選んだ。券売機といっても出てくるのは紙ではなくプラスティック製で小判型のプレートだった。それを持ちカレーライスの受け渡しカウンターに行きプレートを置こうとしたところ、少々勢いが強すぎてプレートはカウンター上で跳ね上がりそこを超えカレーがたっぷり入った鍋のすぐ横をかすめて落ちてしまった。そのカレーをサーブしていたのがこのお兄さんだった。お兄さんは私を軽く睨み付け、

「もしカレーの入った鍋に落ちてたらどうするんだ! 気を付けてください。」

声のトーンは抑えているものの、明らかにイラついた雰囲気だった。無理もない。私が逆の立場でも同じように思ったであろう。まだ10代のガキが悪気がないとは言え不始末を起こしかけたのである。仮に食券プレートがカレーの鍋に入ったとしても大したことにはならないと思うが、食品製造・給食に携わる者としては結構鬱陶しい事件である。だから私も素直に謝った。今住んでいるアパートで車から降りてくるこのお兄さんを見たとき、私はちょっと気まずい思いをしたものだった。
 そんなことがあったにもかかわらず私は、『この人が知り合いだったら路上練習のお願いができるかも知れないな…。』っと思いながら何気に車を見ていた。すると車から降りてきたお兄さんが私に気付き、

「こんにちは。」

「あっ。こんにちは。」

「2階に住んでる学生さんでしょ?」

「あっ。はい。3回生です。」

「俺、出雲大の学食で働いているんだよ。」

「ええ。知ってます。」

「ほんと?」

「はい。ほんとです。あの時はすみませんでした。」

「えっ! 何が?」

私はその時の顛末を話した。お兄さんはその事を覚えていたが、当事者が私であることは覚えていなかった。決していい話ではないが、ちゃんと説明して改めて謝った私にお兄さんは好感を覚えたようだった。お兄さんの名は山浦さんというらしい。矢沢永吉に憧れるちょっとお調子者タイプ。決して不良っぽい感じはないが、少しだけ、ほんの少しだけ『田舎のヤンキー』っぽい雰囲気を漂わせている。齢は24。同じ島根県の西端にある益田市出身。高校卒業後、調理師免許を取り給食会社に就職したらしい。出雲大の学食はその給食会社が運営しているそうだ。
 そのまま意気投合して山浦さんの部屋におじゃまする。座るや否や早速乾杯。それ以来何度もお邪魔することになるのだが基本的に山浦さんの部屋にあるのは安いウィスキーだった。黒く大きなボトルに白いラベル。当時学生の定番だったダルマ(サントリーOLD)よりも数段安価な酒であることは明らかだった。それをお湯割りで飲む。それでなくても独特の癖がある安いウィスキーが温められると更に個性的な匂いが襲いかかってくる。正直なところ最初はその匂いが苦手で仕方がなかったが、何度か向き合っていると不思議と美味しく感じてくる。ただ、元来アルコールが弱い私にはハードな飲み物過ぎた。頭がクラクラするのに15分とかからなかった。そうなるともうなんでもかんでも話が盛り上がる。当然ながら色々な話をしているうちに、私が今免許を取ろうとしている話も出てくる。そしてどうやって路上練習をしようかと話していると、

「だったら俺の車でやったらいいよ。」

っと願ってもない展開。

「いいんですか? めっちゃ助かります。」

「いいよいいよ。明日早速やるか?」

「はい! ありがとうございます。」

恐ろしいまでのタナボタ。今の私はとにかくツイている。明日の夜に練習させてもらう約束をしてその日は酔っぱらったまま眠りについた。
 授業、その後ミモちゃんとの団欒と昼寝、駅までのお見送りといつもの日常が終了。再度アパートに戻りレトルトカレーでさっさと食事も済ませる。ルーズリーフの仕切りに使うちょっと厚めの紙を取り出し、『仮免許、練習中』とマジックペンで書く。字が汚くてバランスも悪いがそんなことは気にしない。さあ、準備は万端である。そうこうしていると時計は午後7時過ぎ。すると部屋をノックする音がした。

「玖津木君。お待たせ。準備できてる?」

「はい。バッチリです。お願いします。」

私は駐車場に行くとさっき用意した『仮免許、練習中』を車の前と後ろにセロテープで張り付けた。そしてもう一度改めて、

「ほんとにありがとうございます。お願いします。」

っと山浦さんに頭を下げた。いよいよスタートである。私は座席の位置、ルームミラー、フェンダーミラー(当時ドアミラーはない)を自分に合わせ調節し、本番(検定)さながらの手順を踏んだ。山浦さんは少しだけ『ヤンチャ』そうに見えるが根は随分真面目なタイプ。それに私の為と思ってか試験官の目線モードで接してくれていた。既に私の山浦さんに対する感謝の気持ちは一杯であった。

「はい。山浦さん。OKです。」

「じゃあ、行こうか。」

「はい。どの方面に行きましょうか?」

「そうだね。9号線を西に行こうか。431号に当たったら左折しよう。」

「はい。じゃあここを出たら右ですね。」

「んっ。」

クラッチを深く踏みながらサイドブレーキとギアのニュートラルを確認。今一度ミラーと目視で全方向の安全も確認しエンジンキーを回す。

「キュキュキュブッ ブルオォン ブォォンォォォオンッ」

ウィンカーを出しギアをローに入れた。アクセルとクラッチを足の感覚、エンジン音の状態を耳で感じながらゆっくりと発進した。それにしてもやはり緊張する。気が合ったとは言え、昨日知り合ったばかりの人の車だ。何か粗相を起こしたら大変である。また、試験場の教習者とは違い個人所有の車はその車なりの個性が強い。特にクラッチのつながり具合が全然違う。エンストを避けるために自然とアクセルを強めに踏んでしまう。当然必要以上にエンジン音が大きくなる。視界も随分違う。半端ないプレッシャーが私を襲っていた。
 しかしながらスタートは上々であった。ギアチェンジもスムーズにできた。もしかしたら仮免試験で苦労した分腕が上がっていたのかもしれない。駐車場から少し広い道路に出ると真っ直ぐ西に向かう。堀川の橋を越え、右手に荒神社を見ながら日御碕の南に広がる日本海にぶち当たるとそこが国道431号線だ。そこで左折し南下する。

「おうおう。玖津木君。どうかと思ったら上手いもんじゃない。」

「あっ。どうもありがとうございます。」

「いや実は気軽にOKしたけど…場合によっては直ぐに終わってもらうつもりだったんだが…いやいやなかなか…。」

「それはよかったです。そう言ってもらえるとちょっと楽になります。」

 4、5km程進めば国道9号線である。今度は右折し西に向かう。そして7km程行けば多伎町辺りで再び日本海が右手に広がる。時間は7時半頃だった。ところで鳥取県西部、島根県東部地方で人口が少々密集しているのは米子、松江、出雲くらいである。いかに日本を代表する一桁台番号の一級国道9号線とはいえ、午後7時半くらいだと通行量は結構少ない。もちろん信号の数も多くない。ギアをトップに入れたまま走る刺激の少ない、緊張感が希薄な路上練習になっていた。それでも真面目な山浦さんは法定速度以上のスピードを出してくる車に対する注意の向け方や、夜の公道に長距離トラックが多いことなど教本にはないことを色々教えてくれた。
 そしてスタート地点から距離にして45km程、1時間を少し回った辺り。仁摩町(島根県邇摩郡、現在は太田市。世界一の砂時計がある『仁摩サンドミュージアム』で知られる町)を走行中のことだった。後ろの乗用車がやたらと車間距離を詰めて走っていた。しかも2度3度とパッシングしてきた。車種はマツダのコスモ(2代目、コスモスポーツの後継)。世界に先駆けて開発されたロータリーエンジン搭載で当時のマツダの主力車である。発売当初はスポーティー且つエレガントなセダンとして当時の上・中階級の市民に人気があり一世を風靡した。が、生産中止(絶版)になり2年が経っていた当時はヤンキーのお兄ちゃん達に人気があり、世間から少々そういったイメージで見られている感がある車だった。もちろん私も快く感じなかったのだが、山浦さんは大そう鬱陶しく思ったらしく。

「『仮免』の車にこんなことするってどういう性格してるんだ? だいたい早く行きたいのなら勝手に抜いてったらいい。玖津木君は気にしなくていい。今のままのペースで走ればいい。」

っと明らかに怒気を含めて呟いていた。私も尤もだと思った。ただ、路上練習(公道)は初めてであるが、私の場合今まで原付で公道を走り慣れている訳なので、こういうシチュエーションも何度か経験済みである。それどころか、原付にそういう事をしてくる輩の方がもっと性質が悪いのであまり気にならなかった。でも山浦さんは違った。正義感からと思われるが、今現在身内である私がそういう目に遭っていることが激しく許せないようであった。
 しかしおよそ3分後、交差点の赤信号で停止した際のことである。なんと後ろの車から運転手が降りてきてこちらに近づいてくるではないか。大柄で180~185cmくらい、ガッチリ体型、歳は20代半ば、髪型はオールバック。そう、完璧なヤンキータイプ。見るからに強そうである。一方こちらはというと私はケンカなんか問題外。体格も良くないし根性もない。相手が一般的な中学生くらいなら動揺せず対峙できる程度の超ヘタレである(もちろんそんなことは経験していないが…)。また、山浦さんはと言えば『田舎のヤンキー』っぽい雰囲気を持つものの体格も私と大差なく、2人がかりでも後ろから近づいてくるヤンキーに勝てる気がまったくしない。でも山浦さんは私の前だったからかもしれないが頑張った。迎え撃つかのようにドアを勢いよく開け、車から降りるとそこで仁王立ち。目は鋭く厳つい顔を作っていた。そうなってしまうと私も付き合わないといけない。私も車から降り視線を後ろに持っていった。心臓はバクバク、涙が出そうだった。いやちょっと出ていたと思う。
 それにしてもである。だいたい車を降りてくるくらいだ。我々にはまったく覚えのないことだがヤンキーの彼にとっては余程腹に据えかねることがあったのであろう。それにこの場合、仮にそれが我々にとって理不尽なことであったとしても関係無い。事件は既に起こってしまったのだ。いきさつがどうであろうと冷静な話し合いで事がすべて収まるとは思えなかった。私は内心

『とにかく謝りましょ。ねっ山浦さん。謝るのも勇気ですよ!』

っと思っていた。何が勇気なんだかまったくわからないが、私は何とか事態を回避することだけを望んでいた。しかし解決策を考え山浦さんとコンセンサスをとり実行する時間などありはしない。あと何秒もないすぐ目の前にまで恐怖が近づいていた。っとその時、我々2人の姿を見たヤンキーが、

「あの…余計なことならすみません…。ブレーキランプ切れてますよ。」

っと、思いっきり丁寧で親切なお言葉が髭を蓄えた凶暴な口元から優しく飛び出しておいでになられた。

「へっ! ああ…そうですか。これはどうもわざわざありがとうございます…。」

山浦さんの顔は一瞬で穏やかになった。まさに一瞬の出来事であった。まず間違いない、山浦さんも相当ビビッていたんだろう。それにしても素早い。もはや顔芸の域だ。

「やっぱり気がついてなかったんですね。いや、言おうかどうか迷ったんですけど、よかったです。」

もう、ほんとうに “いい人” である。申し訳ないが、その外見とのギャップにツッコミを激しく入れたいレベルである。

「いや…ほんとにどうも…すみません…ありがとうございました。」

やがて信号が変わり、親切なヤンキーさんを見送った。

「はぁーっ…めっちゃいい人だったんだっ!」(山浦)

「…やっぱり山浦さんもビビッてました…?」

「う…うん…あれはアウトって思うよな。」

「ええ、はい。アウトどころか完全試合ですよ。」

「ふう…とりあえず運転変わろう。」

「はい。」

運転は山浦さんに変わり、道路幅に余裕がある場所まで移動し停車。そこでブレーキランプを確認すると確かに点灯しない。しかも左右両方なのでどうやら電球が原因ではないようである。山浦さんは即座にヒューズボックスを確認した。が、暗くて良く見えないようだった。どちらにしても予備のヒューズも無いので、ガソリンスタンドを探すことになった。付近にはカー用品店なんてない、それもそうだ山陰の田舎道なんてそんなものだ。その後も山浦さんが運転した。当然である。私が運転して何かあってはオーナーの山浦さんの責任問題にもなる。私はせっせと仮免練習中の紙をはがした。

「確か大田市駅辺りに遅くまで営業しているスタンドがあったな。」

さすが山浦さんは帰省の度にこの辺りを走っているだけあってガソリンスタンドの情報には明るいようだ。西行きはここでおしまい。今通ってきた道を戻ることになった。実を言うと私はこのまま西に行きたかった。それは現在の私の愛車(原付スクーターパッソルDX)で東方向は鳥取砂丘まで行ったことはあるのだが、西方面へはほとんど走っていなかったからだ。なので私は車を買う決意をするよりずっと前から中国地方で一番大きな江の川まで行ってみたいとずっと思っていたからだ。まあでも残念だが仕方がない。江の川もミモちゃんとのドライブ候補として残しておこう。
 その後山浦さんの運転で大田に戻りガソリンスタンドも無事発見。というかそれまでにも2件あったのだが既に閉店していた。さすが山陰。海沿いのメジャーな国道であるにもかかわらず夜の8時で営業終了とは凄まじい…。でっ、ブレーキランプはというとやはり原因はヒューズ切れ。呆気なく修理は完了した。しかも修理代金はヒューズ代の130円だけだった。このたった130円で解決できた問題が我々2人を恐怖におとしめたのであった。
 そしてその夜の練習は終了。路上練習をした記録用紙に日時と練習時間を書いて山浦さんにハンコを押してもらった。実際は1時間と20分くらいだったが、2時間分の記載をしてもらった。さあ、あと残りは8時間だ。

「今日はどうもありがとうございました。」

「いやいや、でもほんとにあのヤンキー、いい人でビックリしたな。」

「あれは反則ですよね。で…またお願いしていいですか?」

「ああいいよ。でも面倒くさいから先に書いちゃうか。」

「へっ?」

「いや、練習は付き合うけど先にその紙書いちゃおうよ。」

つまり山浦さんが言うには、『また実際に路上練習してあげるけど、先に書類(練習記録用紙)は10時間以上練習をやったことにしてハンコも押してしまおう。』ということだった。まあ確かにバレることもないし断る理由もない。それどころか考えようによっては大変ありがたい話である。そういう顛末で、建前上書類は完成したのであった。因みに、結局それ以上の路上練習はしなかった。別に山浦さんが私の申し出を拒否したわけではない。何となく2人共面倒臭くなったのだ。しかしそれでも路上練習ミッションは書類上コンプリートである。

《現段階での免許取得のための費用は変わらず34000円である》


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