本免許技能試験

【 1983(昭和58)年5月 20歳 】



 さあ、いよいよである。UNOだと残り一枚で「ウノ!」と宣言している時と同じようなものである。上手くいけばあと一度の技能試験をクリアすれば普通自動車一種免許をゲットするのである。…そりゃあ確かに路上練習は実際1時間20分しかやっていないが、そんなことはもう関係ない。捏造であれなんであれ、提出した書類に不備がない以上受験資格は整っているのである。苦節13回の蟻地獄だった仮免。それを乗り越えた私には妙な落ち着きが備わっていた。
 試験会場に行く道中、バイクで感じる空気はすっかり暖かくなっていた。もちろんプライベート(免許取得目的以外)でも何度か走っているのだが、

『バイクでここを走るのはあと何回あるだろう。もしかしたらこれが最後かもしれない。』

などと考えたりもした。思えば最初に仮免に向け学科試験と練習をしたのは1月だった。本当に寒かった…。感情を鼓舞したり、冷静さを必要に思ったりして何度もこの道を走り会場に向かった。だがしかしほとんどの場合、情けない気持ちや悲惨な気持ちになり、また何度もこの道を帰った。大雪の日に危険な運転をする軽トラのせいで雪の壁を突き破り宍道湖畔にあった畑に突っ込んだこともあった。とにかくいろいろ思うことがあった。
 試験場に着くと私は早速必要書類を手に受付窓口に向かった。試験料を払い終え、案内された場所で時間を待った。本免技能検定の段取りだが、先ずは試験場の外周道路を一周し門を出て一般道に出ていくのである。また、運転者(受験当事者)とは別にもう一人の受験者が後部座席に乗るという形態も仮免と同じであった。ただ一点違うところは、外に出て予め決められたコースの最終地点で受験者が交代することになっている。つまり、往路と復路でそれぞれの受験者が検定を受けるようになっていた。そして時間になり検定が始まった。

「○○さんは運転席に。玖津木さんは後部席にお乗りください。」

試験官は小太りの真面目そうな人だった。権田さんのような暗黒面のオーラは感じられない。やはりそういう試験官の方がリラックスはできる。一方、運転席に乗った受験者は結構なお歳に見えるオジサンだった。おそらく40歳は超えていただろう。
 いざ、検定が始まると驚いたことにそのオジサンの運転が異様にスムーズなものであった。動作に迷いがほとんどなかったのである。エンジンをかける、シフトチェンジ、クラッチとアクセルワーク、ハンドル操作。それらすべてが流れるように行われていた。ただ、何となく荒い…。というか例えばハンドルの持ち方やウインカーを出すタイミングが教則本に書いてある模範的なものと若干ズレがあるように思えた。ハンドルの持ち手の基本は時計でいう10時10分の位置。だがオジサンは9時15分。ウインカーは交差点の30m手前若しくは3秒前。だがオジサンは20m、2秒。といった具合だった。案の定、試験官はそのことをオジサンに駄目出ししていた。そして試験官の話からそのオジサンが何等かの理由で免許を失い、再度免許を取得しようとしていることが何気に分かった。だからオジサンの運転が模範からちょっとズレる原因も単純に長年の癖が抜けないということのようだった。オジサンの検定終了時に試験官は、

「○○さん。技能はもちろんですがこの検定は何よりも安全な運転が出来るかどうかが問われているわけです。もう一度初心に戻って教則本を読み返してください。残念ですが今回は不合格です。」

そう言われオジサンは少し笑いながら、

「いやっ、またダメかぁ~。そうですか。あ~、はぃ~。」

反省というか…なんと言うか…このオジサンは失敗を次に活かせるタイプじゃないのだろうなと思った。この台詞からも既に何度か不合格になっているのもわかる。まったく勿体ない。ちょっとした意識の持ち方で直ぐにでも合格できるだろうに…。まったくいろいろな型のダメ人間がいるものだ。
 さて折り返し地点からの帰り道は私の出番である。ところで、一般的に全国47都道府県の運転免許試験場は中心部から程々の距離の郊外にあり、且つ元々コレと言って何もなかった場所に造られているのが普通である。大都市ならそういう場所であっても人も車も結構多いのだが、島根の試験場の場合本当に人口が少ない地域にそれがあるため、通行している車は非常に少なく自転車や歩行者もほとんどいない。だから路上(公道)の検定試験そのもののプレッシャーが大都市に比べ極めて少ないのだ。見晴らしがよく信号も少ない。当然何があるかわからないので注意は常に必要だが、試験場内の窮屈なコースより遥かに走り易い。まして私の場合は普段原付に乗っているため一般道の雰囲気には慣れている。このような状況から、私は気持ちにゆとりを持ってこの検定に臨むことができた。ただ、この田舎道…というか…この田舎の環境と土地柄が私を狂わせることになるのであった。
 帰り道のスタート地点は宍道湖と日本海側の鹿島町の間、柿原池付近の県道脇の空き地だった。意気揚々と運転席に座り一連の安全確認を済ませ車を発進させる。この県道は昔から鹿島の漁港と松江を結ぶもので西側には山、東側には佐陀川があり田畑が長く連なっている。付近にある家もほとんどが農家だった。見晴らしはいいのだがなにせ山沿いの古い街道なので結構クネクネとした道だった。私はスピードが出過ぎぬよう注意して走った。小まめにルームミラーを見て後方確認も怠らない。対向車も無かった。順調だった。しかしちょっと大きめの右カーブを曲がり切った時、竹林の手前で衝撃的な光景が私の目に飛び込んできた。
 それは膝と腰を大きく曲げてまるでアルファベットの ”T” に似たポーズをとっているお婆さんだった。そして何といっても驚愕すべきはその腰あたり。ちょっと文章にするのは何だが…つまり…その…お尻が丸出しであり、そのシワシワの丸い部分から細く放物線を描く液体が射出されていたのだ。それを見た私は、

『んっ! 何だあれは?』

と、最初は訳が分からないでいた。が、次の刹那、私の思考回路がある答えを導き出した。またその答えは間違いではないものであると確信できた。その答え…正体…それは…お婆さんの『立ち○ョン』だったのである。

『えええぇ~っ! うぞぉ! 初めて見たっ!』

以前から女性の『立ち○便』については話だけは聞いたことがあった。が、実際に見ると、それはそれはもの凄いインパクトであった。少しの間ではあったものの私は軽いパニック状態。あの ”T” が…あの映像が頭から離れないでいた。そこに運悪く左の小道からスーパーカブに乗ったお爺さんが一時停止を守らずいきなり私の前に強引に割り込んできた。それでも私は冷静にブレーキを踏み少しハンドルを右に切り危険を回避した。試験官は即座にスピーカーを使いお爺さんを呼び止め停止させた。そして私にも車を停車するように指示した。試験官は車から降りお爺さんに厳重注意し戻ってきた。そして私に、

「玖津木さん。今のはちょっと気の毒な気がしますが、危険察知が少し遅かったように思えます。もちろんあのお爺さんの方に問題があったのは確かですが車を運転するということはそういうことなのです…。」

「はい。すみません。」

「…その前のお婆さんのことも不運と言えば不運でしたが…。」

「ええ…はい…。」

確かにそうだった。試験官が『気の毒』と言うほど不運であったことは間違いないがそれでも運転手には細心の注意を要求される。考えようによっては検定中にこういう経験できたことはいい事なんだろうと思うしかなかった。
それにしても何ということか…。極めて順調だった私の検定試験は、事もあろうにお婆ちゃんの立ち○ョンとお爺ちゃんの暴走で滅茶苦茶にされてしまった。その場は試験官の手前素直な態度を取らざるを得なかったが、なんだかんだ言って婆ちゃんも爺ちゃんもその両方の行為は違反行為ではないかっ! 特に爺ちゃん! あいつが明らかに一番悪い。なのに…なんで私が殊勝な気持ちで反省しなければならないのかっ!

 予想通り検定結果は不合格であった。まったく世の中は矛盾が多く無常である。

《現段階での免許取得のための費用は36000円である》


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