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みんなまるい人々0509/0514

21時からの配信のために書こうと決めていて、18時から台所に椅子を置き、立てた膝の上にノートを広げた。
ペンで書いて、声に出して、声が書いたことをペンで書く、を繰り返す。
なだらかな曲線をするすると描いてゆくみたいに言葉が連なってゆく。
これはなにかに似ている。
これは、眠っているひとにひとりで話しかけているときの言葉たちに似ている。
独り言ではないのだ。ここにいるあなたに話しかけている。
でも「これらがきっとあなたを守るはずだ」と信じて旅の服にお守りを縫い付けるように、独りの作業だ。
私は諳んじることのできる詩をほとんど持っていないので聞かせるための言葉を、水を汲むようにここへ。
体を、必要としている言葉だった。


「みんなまるい人々」は昨年6月にさとうさかなさんとつくった絵と言葉で時間をつくる会の名前です。

昨年春、あなたは何をしていましたか。
昨年春、ひとつの報道をきっかけに私はここを、ひとりでは立ち行かない世界と断定しました。
一年経った今も覆されることはなくあたらしい地点に立った今も同じことを思います。しかしそこにあるのは恐れや怒りだけではありません。
(ほんとうはおおきな声で言いたいよ、とてもとてもとても!たのしみだと!)

さかなさんと「みんなまるい人々」を2020年のこの世界で、それぞれの町のそれぞれの部屋から試みることにしました。
2020年初回のインスタライブをYouTubeで公開します。


2020年5月9日の私の中の、詩未然の、無加工のかたまり。
背守りのようだと思っていた言葉たちは聞いてみると、カルピスの原液みたい。言葉の源泉からただ汲んできただけのもの、という感じがしてそわそわした。もっと言えば全文の文字起こしを昨晩の朗読のあとにやったのですが、お酒がないとむずかしかった。声に、セルフイメージを揺さぶられた。この世界における自分の今のすがたかたちを知ったということだと思う。(通しでもう一度聞く日がいつ訪れるかはわからないけれど、)

いつかもうすこしかたちを整えるかもしれませんが、言葉を一部掲載します。台所で書いていたテキストのままではなく、飛び石を渡るように読んで、声が書いた言葉。

わたしたちは出会うべくして散りばめられた
たったひとつを築く 欠かしてはならない ひとつも ひとつも欠かしてはならない
小さなかけらとして ひとつ残らず
ひとつ残らず
わたしたちは再会のために散りばめられた 光 粒として わたしたち
どこからでも おいで ここに
どこからでも 呼んで いつだって
わたしたちは出会っている
たったひとつの それでいてすべての よろこびとして
わたしはあなたと出会っている

そしてさかなさんの絵。
私は今無音にして動画を流しながら書いているのですが、ほんとうになんて気持ちいいんだろう。イベントではこうして絵の移ろいをすべて見ることはできないのでうれしい。絵と言葉、あるいは絵とこの世界、交わったりそれぞれに歩いては立ち止まったり、二度と同じ瞬間はやってこないことをひりひりと感じながら、交歓にふれている。うれしいうれしいうれしい。

「みんなまるい人々」2020年2回目は昨日やりました。
既刊の詩集からいろいろ読んでます。さかなさんは鉛筆で描いてます。
(鉛筆と消しゴムの音が聞こえてすごくいいなあって思う)
これからもいろんなあそびを交えながら、まるを作ってゆくのでよければぜひ見にきてください。

■読んだもの ※順不同
『観光記』(2020)から
「思い出すのにもってこいの日」
「言葉に渡す」一部
「あなたの季節」

詩集『ほとり』(2017)
詩集『舟』(2019)
zine『あふるる朝を掬う』(2011)
こばなし「胸をあたためる」

【詩集未収録】
「体は旅」「旅先の祭り」「ふるえる」「散りばめられた子ども」


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