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その人のその時へ向けて送り出す手紙

#うちひらくれば 9通目を送り出した。封を閉めるときいつも、この紙に載っていることがどれだけの重みを持つのだろうという当てのない問いが浮かぶ。「その人のその時による」という答えを知っているからこそ問うのだろう。自分にとって信仰の話は今もそういうものなのだ。その人のその時によって、心の奥深くまで届いたり届かなかったりする。その時が移ろえば、いつかうっかり届いたりもするかもしれない。この世界は案外至るところにキリスト教のピースが散りばめられているので、どこかここより遠いところであなたは思い出すのかもしれない。「うちひらくれば」はそういう希望を持って送り出す手紙だ。私は毎度(手前味噌も甚だしいのだけれど)「こういうものが読みたかったなあ」と思っている。9ヶ月続けてもついに容易い仕事だと思えることはなかったが、ここまで大切な仕事であり続けた。

 何度か同じように書いていると思うけれど、何かを信じる心はその人の心臓に繋がっている。信仰を知ることは様々な時代、様々な国の人の生命に触れることであり、隣にいる人の中に脈打つ心臓を思うことだ。人を傷つけないために学ばなければいけないと思っていた時を過ぎて、手当てしながら人と生きるため、また自分をさらに生きるために学ばなければいけないと最近は思っている。何を書くにも言葉が足りないことは自分が一番よくわかっている。言葉にならないものを愛する態度として詩を書くために、多くの言葉を求めることが矛盾しないことを、私は歩きながら知りたい。

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514字

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