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祈りのぐるり

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特定の信仰を持たず、それでいて目には見えないものを頼りにしてきた自分がこの度牧師を務めとする人と結婚するにあたり「祈り」について考えたり、言葉を拾ったりしたものを書いてゆきます。
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記事一覧

贈り物の只中で

祈る人の姿

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その人のその時へ向けて送り出す手紙

 #うちひらくれば 9通目を送り出した。封を閉めるときいつも、この紙に載っていることがどれだけの重みを持つのだろうという当てのない問いが浮かぶ。「その人のその時による」という答えを知っているからこそ問うのだろう。自分にとって信仰の話は今もそういうものなのだ。その人のその時によって、心の奥深くまで届いたり届かなかったりする。その時が移ろえば、いつかうっかり届いたりもするかもしれない。この世界は案外至るところにキリスト教のピースが散りばめられているので、どこかここより遠いところで

正しく間違っている

めでたしきよしこよい

祝い合える世界がいい

 冬至。夜が最も長いこの日がクリスマスと関係があることを教えてもらった。陰が極まるこの日を境に夜はすこしずつ短くなってゆく、明るさが生まれてゆく、すなわち光が生まれる日であると。世の光であるイエス・キリストの生誕を祝うクリスマスは、別名「光の降誕祭」と呼ばれる。  今日は光が育ちはじめて、一日目。陽が極まる夏至に向かって歩みを進める一日目。クリスマスの気配を濃く帯びた今日の日は年末の気配も纏っている。ちょうど一年前の私は心の風邪をひいていた。今は冬における避けようのないイベ

ひとりの朝に(祈りの進捗)

前回の記事が「十の月を歩く」のテーマからすこし離れていたので、今日はがっつり祈りについて書きました。 -----------------------------------------------

一人分の安心

 世界への信頼について、考えている。 これは「人が死なないために働きたい」という思いの延長であり、手当てにあてると決めたこの十年の中で取り組むテーマでもある。世界への信頼は、世界への安心であり、ここにいることへの安心に繋がっている。安心をつくることができるだろうか。安心は分かち合えるだろうか。安心を忘れずに済む方法はあるのだろうか。それらの答えは今もわからない。ただ、まだすべてがわからなくても大丈夫。そう言える一人分の安心だけがここにある。  愛は自らの内から満ち溢れないと

親愛なる身体への便り

 身体はままならない。ずっとそう思っていた。心の在りように反して痛んだり、心の在りようを増幅させ痛んだりする。気持ちをうまく抑え込んでも、身体は痛みや苦しみを体現する。私の精神より自由なやつ。もしも内臓に性格があるなら持ち主とそうかけ離れてはいないだろうに、私よりずっと繊細で癇癪持ちでまるで幼い子のようにも思えた。その子は大きい声で泣ける。その子は痛みを不平とする。その子は自分が一番がいいのだ。だから、胃腸なんかは私にとって最も気を遣う相手だった。いつからか従えようとするので

祈りの中に、こころみの中に

 「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」  この祈りを、別の言葉で、信じるものによらず、別の場所で、異なる名の、あるいは名もなき、おおきな力に向けて、祈っている人で溢れているのが、わたしたちのいるこの世界だ。今日生まれるかもしれない人に向けて世界のことを教えるとしたら、この世界には様々なものを信じる人がいることを教えたい。そうしたことが時に困難な世界であるけれども、しかし必ず可能であるべきだという希望を、希求する心を教えたい。生まれたばかりの人のつややかな瞳、ただ

贈り物と喪失の時を見つめる

 「幸せになる」という言葉がずっとよくわからない。高校生のときから、今に至るまでよくわからないまま、わからなさを自ら許したまま生きることができたことは多分幸せなことだろう。よくわからない言葉をわかっているよう装うことや、わからなさを揶揄されるような場面に立ち会うことは大したことではないが感覚が息を止める瞬間には違いない。そういうことがないまま、ここまで至ったことは幸せなことだ。そう、幸福感についてはわかる。安心できる眠り、誰かとの食事、成すべきことを成したとき、行きたい場所へ

理解の進捗

 まず、私たちはわかり合えなくていい。  私がひとりで信じ頼ってきたもののこと、誰ひとりわからなくてもいい。どんなに近しくてもわかり合えなければいけないことはない。わかり合えなさを力任せに否定することはとても簡単だ。わかりたいのにわからないとき、わかってほしいのにわかってもらえないとき、くるしく感じてしまう私たちは「わかり合えないこと」に耐えられない。わかり合えない私たちでも一緒にたのしく過ごすことはできる。思いに共感できることもある。また会いたいと思ったりする。それでも、私

うつくしい贈り物

教会と教会みたいな場所のこと