親の質 について

こんにちは
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます

あれからまた考えまして
例えば、「店員の質」と言った場合
知識やサービスや接客態度などから
そのお店で心地よくお買いものや食事ができるかとか
顧客満足度的なもので測られるのかな
とか

「指導者の質」なら
そのチーム・組織をどんな風に導いていけるのか
とか
それは人格(?)的なこともあるけれど
技術的なこともあるわけですが

「親の質」と言った場合はどうなんでしょうか
やはりあまり良い言葉ではないのかな
と思いました

つまりその人の質につながるもので
私からみて素敵かどうか、かっこいいかどうか
真似したいな、素敵だな、と思えるかどうかということなのかな
と思ったときに
それはあくまでも自分中心のモノの見方なので
自分の価値観や、自分に見えている部分だけで
人を判断するのは
やっぱりよくないと思うから。

でも、その組織に於いて「親の質」という言葉を使った場合
その方本人の人格的なこと(ここでいう質)ではなくて
その組織にとって協力的かどうか という観点もあるのではないかな
と考えると
確かに、
たとえば
昔は協力的な親が多かったのに、今ではそうではない
という場合
「親の質が下がった」という表現に やっぱりなってしまうのかなあ

と思いました

そういう観点で見ると私は間違いなく
小学生野球の親として
質が悪いと思いますね

なかなか付き合えないので

世の中の 母や父には本当に
頭が下がります
尊敬します

でも何と言われようと
マイペースに
自分にできる範囲で無理せず長く関わって行けたらなあ
とも思います

もし、親の参加が必須だったら
子どもに野球を習わせてあげられなかったでしょうから
小学生野球へのハードルを下げていただけていることにも
感謝します


有名人が書いたら炎上しそうな内容でも何でも
臆せず 書いてみています

不快に思われた方がいらしたらすみません

そんなわけで今日はこの辺で失礼いたします

本日も最後まで散文(独り言)にお付き合いいただき
ありがとうございました

素敵な午後でありますように



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