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白い去塔

『罪善教授の総回診です』
大名行列宛らに白衣の一団が、泌尿器科病棟を闊歩してゆく。先頭をゆくのは、ナニわ大学病院第一泌尿器科部長・罪善朧(ざいぜんろう)教授である。
ペコペコとかしずく准教授や助教たちをチラとも相手にせず、次から次へと矢継ぎ早に訪室しては患児たちを診察する。それぞれの患児の担当看護婦は直立不動で逐一、状態を報告し、罪善はまともに返事もせずに患児たち(特に陰部)を診てゆく。診察の介助をするのは第一泌尿器科病棟の婦長であり、その背後には、すし詰めとなって若い医局員や研修医が見学していた。
「そう。ではそろそろ手術した方がいいでしょう」
罪善の言葉に、婦長が素早くカルテに記載する。
「えっ!?ぼ、ぼく、もう手術なんですか!?」
驚き、怯える患児。
「ええ。とった方が良くなるわ」
「あ、あのう」
おずおずと担当看護婦が口を挟む。
「お言葉ですが、この通り、まだ僕を私に矯正できてませんし、まだ手術は早いのでは……」
一看護婦の意見に医師団が凍り付く。次期病院長とも噂される才媛、罪善朧教授に楯突くなど、命知らずにも程がある。
だが当の罪善は、微かに笑っただけだった。
「逆よ。早く切ってしまえば、僕も私に変わるものよ」
なるほどぉ、と准教授らが大袈裟な相槌を打つ。婦長が小声で「黙ってなさい」と看護婦を咎めた。
「兎に角、手術です。早い方がいいわ。明日の午後にしましょうか。では、お大事に」
唐突な手術の決定に、パニックとなる患児とそれを宥める看護婦を置き去りに、罪善教授は病室を後にした。
概ね、教授の回診はこのような有り様である。
一に手術、二に手術。
罪善朧は冷血の外科の女だった。
日本有数の大病院、ナニわ大学病院の第一泌尿器科部長の地位に、若くして上り詰め、更には、院長の座に着こうとすらしている。資産家である開業医、罪善氏の娘養子となる政略結婚により巨大で強固な地盤を持つ。彼女の患者であった政治家や実業家に太いパイプとコネを有し、あちこちの医学博士にも顔が利く。
また、向学心が強く、大変な勉強熱心で、去勢手術では日本の泌尿器科医で五本の指に入るとされる。罪善式去勢なる、経尿道的精巣摘出手術の考案者であり『陰茎から精巣を取り出す』パイオニアだった。
そして、これは大きな声では言えないが、彼女には複数の愛人がいるという…………
医学界でも彼女と肉体関係をもった人は数えきれないのでは?と囁かれる。引退した先の部長や、現婦長とも…………
ひとえに美貌の人であるが所以であろう。
罪善教授は、泌尿器科学界のカリスマであり、ナニわ大学病院の顔でもあった。

その日までは─────────

『そんなバカな❗❗』
先日、執刀した患児、佐々木陽くんの訃報を耳にして、罪善は、狼狽した。信じがたい。泌尿器科のオペで、ていうかキンタマの手術で患者が死亡するなど、有り得るのか。
病理解剖の結果、精巣に小さな静脈瘤があり、それが経尿道的精巣摘出術により破裂したらしい。あまりに小さく、術前検査でも見落としていた。それが内視鏡に刺激され、内出血、梗塞を起こしたものと思われるそうだ。
『バカな………』
手術を急いだ、
効率を重視し、己の技量に慢心していた。
もっと、
もっと、
じっくりと時間を掛けていたら…………

「どのような治療を受けても死は避けられなかったのですね?今でもあなたの考えに変わりはありませんか?」控訴審。佐々木陽くんの両親から医療ミスを民事訴訟という形で問われた罪善だったが、一審は棄却。だが、控訴審では担当看護婦の証言などもあり、限りなく旗色は悪かった。
死亡事故ではないにせよ、他の治療法を検討、提示する必要を怠ったとして、責任を問われたのだ。
罪善は手術の女だった。
手術原理主義とすら言える。
「私の治療は一点の曇りなく妥当でした」
迷いなどない。
裁判長の言葉に罪善は頷いた。
「判決。被控訴人、罪善朧は控訴人へ慰謝料として金1600万円を………」
「何が悪い」
「静粛に」
「タマを切除しようとしたんだっ❗❗❗何がわるい❗❗️❗️❗ナニが悪いんだっ❗❗❗❗❗」
罪善の咆哮に騒然とする法廷。

罪善の意識はそこで途絶えた。

「この私が……前立腺癌?」
信じられない、と目を見開く。
「……ええ。残念だけど」
罪善の同期でライバルと目された泌尿器科医、集児里美(しゅうじさとみ)医師はそう呟いて、長い睫を伏せた。
手術の女、罪善とは対照的になるべく切らずに、化学療法による去勢を専門としてきた里美は、親友として認めながらも、互いのやり方に反発してきた。今回の医療訴訟でも、里美は原告側についている。
「みっともない……泌尿器科医が、泌尿器疾患、しかも取らずに遺していた前立腺だなんて」
ふふん、と自嘲する罪善。
罪善も、
彼女もまた、かつて去勢された男子だった。
自らも泌尿器科医となって、少年たちに手術を行い、更なる完成された術式を求めていたのは、自分も患者であったからに相違ない。
手術、手術と拘り続けた罪善の秘密だった。
「ねえ、どのくらい生きられる?あなたの診断を聞かせてくれない?」
「……ステージ4………もって三ヶ月」
「私の見立てと同じね。流石だわ」
「ねえ、私の病院に来ない?緩和病棟もあるし、私が担当する。化学療法で何とか」
「それは出来ないわ。大学病院の人間は、他で死ぬことは出来ない」
「そんな………そんなの気にすることないじゃない❗」
「ありがとう、里美……私に不安はない。ただ、無念だわ」

ナニわ大学病院第一泌尿器科部長、罪善朧教授はそうして亡くなった。
遺体は医学の発展の為、泌尿器科の研究の為、貴重なサンプルとして解剖され荼毘にふされた。

「罪善………」
遺されていた遺書を広げる里美。

“私は今でも去勢には外科手術が第一選択だと思っている。だが、様々な患者の様々な病状に対応する為、医者の主義主張など二の次にするべきだと考えを改めた。それは里美、あなたのような切らずに潰す泌尿器科医が必要となる。あなたと共に去勢センターを開きたかった”

「罪善っっっ」
涙で文字が滲む。

“佐々木陽くん、ごめんね。陽ちゃんにしてあげられなかった先生を赦して下さい。あなたのタマを切らずに潰してあげるべきだった。ごめんなさい”

患児への贖罪と共に、遺書はこう締め括られていた。

“泌尿器科医とあろうものが、前立腺を取らずに、病に倒れるのを恥じる”

Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see. 

奇しき御恵(いと麗し響き)、
惨めな我を救い賜わし。
かつて見失いしも、今は迷わじ、
かつて見えざりしも、今は見ゆ。



……すんませんでした😭
……オマージュです😭

(了)

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