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第六夜 にぎやかな未来と本当に価値があるもの

 こんにちは、あやのです。

 先月は、家の解約手続きのために、二週間ほど都内に戻っていました。先月末にようやく住民票等の手続きが終わり、満を持して島の民となりました。今日は、西表島で感じたことではなく、都内に戻った時に感じたことをメインに書いていきます。

 たったの二週間でしたが、都内の生活はマジできつかったです。とにかく空間を埋め尽くす広告や宣伝が多すぎました。電車の広告、バス車内に流れる宣伝、街に並ぶお店の看板、車には会社名が書かれており、歩く人々が持っているのは文字の大きなショッピングバッグ…と、なんというか文字がうるさい。特に一番きつかったのはコンビニで、店内のBGMは言わずもがな、無駄な修飾語の多い説明、商品名はもちろん特大ゴシックフォント、大きく写真を使った商品パッケージ、それらが狭い棚に隙もなくビッッッッチリと陳列され、「さあ、すぐ手に取って!!買うんだ!!」という威圧感を真正面から食らってしまい、ゲッソリしながら店を後にしました。

 不思議なもので、コンビニに入る前までは何も思っていないのに、店に入ると「今すぐこれを買った方がいいのかも?」と勝手に手に取る瞬間があったのです。その時期、どのコンビニでも、いちごを使った商品がたくさん並んでいました。店に入る前は何も思わなかったのですが、「そういえば、いちご食べてないなぁ」と思って購入したんですが、よく考えるといちごの収穫って春だから、1月は旬じゃないですよね。ビニールハウス栽培だとしても、1月にこぞってどのコンビニでも取り上げる必要ないよなぁと。ということはやはり、「自ら欲して買ったのではなく、情報を使って自ら欲したように見せかけて、実は買わされてるんだな」と思いました。

 もっと不思議なのは、この情報・文字の多さに、都内に住んでいたときは全く気が付かなかったことです。今までコンビニにいっても普通でいられたのは、元々持っている自分の感性や、感じ取る力を自ら鈍感にさせていたんですよね。これ自体は悪いことではなく、生存戦略の一つであり、適応能力のすごさというか、わたしよく頑張っていたなと思いますよね(笑)。この、「自分の感じ取る力によって苦しさが出てしまう→感じないように蓋をする」という反応は、わたしが鬱っぽくなって心療内科に通っていたときも感じていたことです。要は「苦しい思いをしたくない→あらゆるものに対する反応をやめる(心を消費電力モードにする)→お腹が空かない・~したいとか行動したいと思わない・楽しい感情が湧かない」という心と体の反応が、鬱の正体と言えるのかなと思います。実際、体調がよくない時期に、気分が落ち込みそうになった私が無意識にやっていたことは、「両耳を手でふさぐ」という行動でした。情報を一時的でもシャットアウトしたかったんですね。(会社のデスクでこれやっても、周りからは「あーなんか大変な考え事してるのかな」くらいで済んでいた…と思う。たぶん。)なお、心を消費電力モードにするのは、恐らく交感神経がやっていることで、これが1日中続くから、上手く眠れなくなるのかなっと感じました。薬を使ったり、無理矢理でもいいから副交感神経優位にして、何も考えずに眠ることができれば、かなり楽になれるんですよねぇ…。

 ええと、話が大きく脱線しましたが、たったの一か月ですが、西表島という自然の中に身を置いたことで、都内に住んでいた約8年間で蓄積され続けたものがデトックスされていたということに驚きました。デトックスというよりも、元の自然な状態にチューニングされていたという方が適切かもしれません。わたしと同じような体質の方は、二週間とか一か月とか、短い期間でいいので、自然の中に身を置くと、かなり変わるかもしれません。ご自身いま思っている以上に、情報はわたしたちの隙間を縫って、容易く体に入り込んできます。情報に塗れた状態がデフォになると、思考停止しやすいです。というか、考える隙を与えてくれない。すでに情報で汚されてしまっているから。これを狙ってるんじゃないですかね、一部の人たちは。きっと。

 最後に。「情報が溢れた世界」というと、思い出す小説があります。少し前に話題になりましたが、筒井康隆の「にぎやかな未来」です。

 以下あらすじ。 

 舞台は近未来。「広告」がものすごく進歩していて、町中どこもかしこも広告だらけ。ところが、国家の財政が悪化したため、国民は家ではラジオ(国営放送?)を常時つけていなければならないという法律を国は定める(もちろん、放送は広告ばかり)。ただし、レコードをかけている間だけはラジオは止めていてよい。そして、そのレコードに入っている曲の合間にも広告が入る。安価なレコードには10秒ごとに。高くなればなるほど広告は少なくなるが…。

 オチが気になる方は(本買って欲しいのが本音ですが)、コチラからどうぞ。オチのレコードの値段も、全く手が出せないほどの高値でもなく、でも普段の生活を我慢してまでも買うべきなのか?と悩むくらいでして、貧困化が進む日本を揶揄している感じが、個人的には風刺が利いてるよなぁと思います。上記のあらすじも、以下の記事より引用させていただきました。

 これを読んだのは、小6のときかな。当時は「SFだからってそんな大げさな」と思っていましたが、すでにYoutube等で起きていますよね。(しかし、朝の読書の時間に筒井康隆のショートショートを読む小学生なんて、我ながら可愛くないよなぁと思いますが…笑) 

 西表島に来る際、羽田と那覇で飛行機会社のラウンジを利用しましたが、あそこに広告なんてないですもんね。お土産屋さんもない、テレビもない、壁は一面同じ色。電車やバスのように無料や安価で使用できるものは広告で溢れ、お金を払うことで「何の情報もない空間」を買うこのご時世において、お金を掛けずに広告の呪縛から解き放たれる西表島はまさに楽園だと思うのですが、いかがでしょう。

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