6/19セッション

今日はトマト農園のバイト後、Mさんとのセッションだった。
今回、仏画制作をお願いしたKさんの所に謝罪に行けたのは、Mさんから強制的に行くように話があったからで、私が自発的に行こうとした分けではない。この事実を忘れて、私は「謝罪に行けて謝れた私、凄い。」と勘違いしていた。だから、Mさんのセッションが始まり提出した課題の見直しをしていた時、私の態度はものすごく悪かった。「なんで、一生懸命やったのに、色々言われないといけないの?」と思っていた。Mさんから、「認知バイアスの本読みましたよね?レポート書きましたよね?レポートを、読んで下さい。」と言われ、自分で書いたレポートを読んだ。自分で書いたレポートなのに読んで、「ヤバい。今の私だ。Kさんの所へ謝罪に行っても何にも変わってない。謝罪に行く前と行ったあとの自分は、何も変わっていない。」と思った瞬間、Mさんの話を聞く態度を改めた。Mさんからも、「自分で分かったでしょ。態度が変わったの。」と言われた。
今回のセッションで、自分のバイアスの強さや、国語が出来ない事がより一層分かった。
以前日記で書いた、「付和雷同」はことわざだと思ったら、慣用句だったこと。Mさんは、ことわざではない事。慣用句で、故事成語であることを知っていた。私は慣用句という言葉を聞いたことはあるけど、慣用句の意味までは知らない。故事成語という言葉は始めて聞いた。学校で習っていたと思うけど勉強が嫌いで逃げた結果、慣用句の意味を知らない。文章を書いても文脈がおかしい、主語がない文を書く、句読点がおかしい。漢字も、しっかり書けない。
ここまで、自分が日本語に弱いなんて知らなかった。いや、それは嘘だ。小さい頃、父親に「Aの言っていることは意味がわからない。」「主語がない。」「何を言いたいんだ??」「文章を書く時、必ず下書きをして何度も読み直してから、清書をするようにしなさい。」と、父は私に言ってくれていた。そのアドバイスを素直に聞いていればよかった。今は、Mさんのアドバイスを素直に聞いていない、全く同じことを繰り返している。同じことを繰り返すのは、もう嫌だから素直にアドバイスを聞こう。

セッションの帰りに、慣用句のドリルをMさんに選んでもらうことになり、本屋に寄った。
小学五年生のドリルを購入し、帰宅して直ぐにやってみた。漢字の成り立ちや、音読み訓読みの問題があり、問題文や説明文を何度も読むけど全く分からない。それでも何度も繰り返して説明文を読んでやっと答えを書けた。
ドリルをやって、私は何も出来ないと思った。
何も出来ない自分ってなんの意味があるの?と思ってしまった、だけどそれは違うな。出来ないのなら、何か一つでもいいから出来るようになろうと思った。
今は、このドリルをやり込んでみよう。
そして、日記やセッションの課題に反映させよう。
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・句読点がおかしい
・主語がない
・Ⅿさんから強制的に・・・→強制的にではない。Ⅿさんを陥れる文章。→(訂正)Ⅿさんから半ば強制的に

・私が自発的に行こうとした分けではない。→分けではないないの「分け」の漢字が間違えている。→(訂正)私が自発的に行こうとした訳ではない。

・故事成語という言葉を始めて聞いた。→「始めて」の漢字が間違えている。→(訂正)故事成語という言葉を初めて聞いた。

・漢字も、しっかり書けない。→日本語がおかしい→(訂正)漢字も書けない。→(訂正)漢字が書けない

・小さい頃、父親に/「清書するようにしなさい。」と父は・・・→文章に統一感がない。→(訂正理由)父親と書いたり、父と書いて統一していない。

・何も出来ない自分ってなんの意味があるの?→悲劇のヒロイン丸出しの文章。



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