旦那さんの事を言い訳につかう私


旦那さんが亡くなってから旦那さんが勤めていた会社には、本当に良くしてもらいました。
月命日事にお供えやお花が会社から届き、月命日の度に同僚や上司の方がお墓参りの後、我が家へ訪問して旦那さんに会いに来てくれました。
その度に私は「旦那さん凄いな、分け隔てなく誰にでも丁寧に接していたからだよな。言うことは言うけど、その後必ずフォローしてたもんな…」と思い、旦那さんの人徳を感じていました。
最初、私はこの状況が当たり前ではないこと、全て旦那さんの人徳のおかげ。だからこうやって大勢の人が来てくれる。
家族ではないのに毎月、月命日に必ず来てくれる事が当たり前ではない。それに対し、心の底から有難い、旦那さんに会いに来てくれて有難いと
思っていたのに。いつの日からか、その考えや思いは無かったことになりました。

旦那さんに会いに来てくれていると思っていたのが、私のために来て欲しいに変わり。月命日に来てくれる事が有難いと言う気持ちが、今月の月命日も、もちろん来るんでしょ?一緒に過ごしてくれるんでしょ??になっていきました。
やってもらって当たり前、来てもらって当たり前になっていきました。
さらに新盆が過ぎた辺りから、弔問に来てくれる人の数が減っていくのが気にいりませんでした。
なんで来てくれないの?旦那さんのこと忘れたの?可哀想な私のところに来てくれるのは当然だよね。って、被害者意識で過ごすようになっていきました。私に会いに来て欲しい、可哀想な私のところに来てよ。可哀想なままでいれば、旦那さんの会社関係の方に気にかけてもらえると思い。
「月命日どうします?」と、私から会社の上司の方に連絡をするようになり、旦那さんの仕事関係の方に依存していきました。

Mさんからも「気をつけなよ。お互い依存傾向だよ。」とアドバイスを貰っていたのに…
私は「分かってます!大丈夫です。」っと言っていました。大丈夫じゃない時ほど大丈夫と言う私…

このままだと、お互いのためにならないから
一周忌を終えてから「供物、供花を今までありがとうございました。これからは、供物、供花、弔問を辞退させてください。」と言うと決めていたのに言えなかったのです。イヤ…違う…言わないと決めたのは私です。
それは言わないことにメリットがあったからです。
供物、供花、弔問全てを断ってしまったら、
・かまって貰えなくなる…
・言わなければこの先もずっと来て貰える
と、心の中で思っていたのです。
そう…自分さえ よければいいを選択したのです。
だけどそれは間違った考え方で、旦那さんの上司や同僚の方の大切な時間であって、旦那さんにその大切な時間を割くのは、もう違うんじゃないのかな。いつまでも旦那さんに縛られていて欲しくない、私もこのままの状況に甘えていたら何も変わらない。前にも進めない…
自分さえよければいいなんて、今まで私のことを支えてきてくれた人達を裏切る事をやっていたと思いました。
そんな自分は散々やって嫌だと大泣きして、ずっと気をつけていたのに…
あっという間に、前と同じ自分に戻った私。
嫌な気持ちしかありませんでした。

一周忌が無事に終わり、生活も徐々に落ち着き出した3月。私は、上司の方に連絡をしました。
「1時間だけ時間を作って貰えませんか?」と。
これを伝えるだけで、心臓がドキドキした事を覚えています。今まで私は、自分から直接面と向かって誰かに自分の気持ちを伝えるという事をせず、逃げ回っていたので怖くて仕方がありませんでした。
どう思われるんだろう。と、考えれば考えるほど怖かったです。嫌われたくないとさえ思いました

だけど、私の気持ちを伝えた後は相手の捉え方次第だから分からない。とりあえず、自分の気持ちを素直に伝えよう。と思い、上司の方に会った時
「一周忌も無事に済み、お陰様で生活も徐々に落ちついてきたので今月いっぱいで供物、供花、弔問を辞退させて下さい。月命日事の訪問、お墓参りありがとうございました。とても嬉しかったです。本当に今までありがとうございました。」と、言うと上司の方は驚いていました。
「せめて、三回忌までは来させてください。」と、話がありましたが、それも断りました。
断らないと、自分の依存が強くなるだけだと思ったからです。

「旦那さんを言い訳にしないでって」、自分で言っておきながら、1番にやっていたのは私でした。
旦那さんを言い訳にして、現実逃避をして家に引きこもり…自分の都合の悪いもの全てを見たくないから、何かあれば旦那さんの事を理由にして逃げて。
1番最低な事をしているのは私です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?