久々note【彩音の音MAD活動のきっかけ】

どうも、先日高校卒業した彩音と申します。

2020年3月頃、新型ウイルスが海外から日本へと流行りだし、入学が一足遅く始まった高校生活、そしてその三年間の高校生活に、2/25をもって無事幕を下ろしました。

さて話は変わりますが、本日は最後のnote投稿から何と既に半年が経過していました。ここまで投稿してこなかった理由は、単純に書く内容が思いつかなかったからです。

なので、今回久々にnote投稿をするという事で、何か書く事ないかな~と悩んだが故に、結果的に思いついた事、私はこれまで過去に何度か、質問回答等で「私が音MAD活動のきっかけ」というのを説明してきました。今回はそれを改めて、noteにザッとまとめようと思います。

まずはじめに事の発端は…?

早速記憶としては曖昧ですが、出会いの事の発端は大体中学一~二年辺りです。この時期は音MAD活動、YouTubeを始める前はうごメモ(うごくメモ帳3D)にて小さな活動をしていました。※名義は伏せます※

どこからどうなってうごメモでの音MAD作品を見つけたかは全く記憶にはありませんが、それから何やかんやありまして、うごメモでのKyoroさんの作品を見つけました。

そこでの最初の私の感想は、「何か独特な作品だな~」としか感じませんでした。しかし、私が元々保育園生の頃から音楽が好きだったという事もあり、ある時からそれらをずっと聞いていく内に、音声や映像に対して謎の中毒心が芽生えました。非常に怖いですね。まず、音声だと「普通に綺麗な音声だ…いよいよクセになる…」であれど、はたまた映像では「いつかこんなの作ってみたいな…」という心情が芽生えました。その時に、私の作った作品を見て頂き、見てもらう人に楽しんで頂ける様な、そんな活動をしてみたいという心情も生まれました。

そこから中一~二年時点、一応スマホは持っていたので、YouTubeで「音MAD」を検索しました。すると案の定大量に出てきました。2017〜18年の作品は今と比べると、落ち着きのありクセのある古風感溢れるそんな作品ばかり。初めて音MADを知ってから約五~六年、まさかここまで音MAD界隈に変化が起こるんだなと、今では驚愕で心も体も小刻みに震えています。この小刻みに震える私を止めて下さい。助けてください。

時は進み、中二時代の一月、当時私の持っていたスマホ、iPhone5sから6sに機種変をし、そこで、「いつか自分も音声だけでも良いから何か作ってみたい…」という願望から、6sに機種変した事により、皆さん聞き馴染みのあるでしょう、「GarageBand」を使い、そこでようやく作れる状態になりました。

私のYouTubeでの初投稿が2019 9/5でありますが、正確には2019 1月上旬に音MADの音声のみを作り始めました。事実、Kyoroさんの作品をあの時見なければ、私はこの先、二度と音MADを作る事もなければ、音MAD界隈に立ち入る事もなく、至って普通の何気ない高校生活を送っていた事でしょう。

当時の作者は誰を見ていた?

特に大きく見ていたのは、勿論の事ながらKyoroさんです。Kyoroさんの「あかぞねがっさくのたんぴん」を周回するのが当時滅茶苦茶ハマっていたのを書きながら今思い出しました。尚、Kyoroさんの作品で当時見ていた作品ではっきり覚えているのは…

等々この辺りです。他にKyoroさん以外での作者を挙げると、まるてんさん。

まるてんさんの当時から見ていた作品として、同じく同時期に見ていたなんかの人さんという方が上げておられていた、「ポプテ先進国ピッピック」という作品がありまして、その作品を毎週放送後に投稿されるのを大いに期待していたんですが、まるてんさんはこれと別の派生?作品である「ボブネ先進国ミッミッミ」という作品を上げられており、それも同時に当時は見ていました。この他にも…

特にこの上のDEAD ZONEの作品はDEADだけにしぬ程ハマっていた記憶があります。この下のも異常にハマっていました。ほんと神。しぬほどこれループ出来ます。

ここからの作者記載は省きますが、この他にもまだまだ当時見ていた作品はありますので、色々記載してみます。

等々です。これ以上載せるとキリないのでこの辺りにしておきます。

最後に

という事で、これらが私の音MADを知り、そして始めたきっかけの全てです。今の音MAD界隈は色々崩壊じみていて、いつか消滅しそうな気はしてますが、それを考えなければ、割と真面目に音MAD界隈に来て、YouTubeをし始めて、本当に大きく人生が変わりました。ここに登り詰めるまでに色々困難もありましたが、その中でも作曲スキル、編集スキル、発想スキル等の観点では、鍛える事で大きく成長する事が出来ました。現在の趣味である作詞作曲という趣味を与えてくれたのは、私が保育園生の頃から音楽が好きだったという事もありますが、音MADに出会えたからだとも思っています。

現在、私彩音が活動し始めて、既に四年目に突入しています。この先無事に四周年を迎えれるか、何があるか、それは全く分かりません。高校卒業後の進路の観点から、上手くそれを活動と両立出来るかについては、前々からの説明通り不安と心配ではあります。ですので、今は皆様の応援とコメントが私にとっての励みになります。私がいつ活動を終えて、作詞作曲方面に手を出すかは、まだ私にも全く検討もついていないのでさっぱり分かりませんが、それまではもう少し私、彩音に着いてきて下さると幸いです。長文ながら、私の今回のまとめとさせて頂きます。

ここまでご覧頂き、ありがとうございました。