論語

有名な論語の教えのひとつだ。意味は、やり過ぎることは、やり足りないことと同じで、どちらも良くないことである。というもの。つまりは何が言いたいのかと言うと、中庸が大事ってこと。いや、中庸ってなんやねん。中庸とは、両極端にならず、中正であるさま。中性洗剤でも、中世ヨーロッパでもない。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、には、この言葉が生まれるきっかけとなった出来事がある。元の漢文は、過猶不及。昔昔、中国には孔子という偉い人がおったのじゃ。そして、ある時孔子の弟子である子張と子夏が孔子に、我らのうちで優れているのはどちらか、とたずねたそうな。すると孔子、こう答えた。「子張はゆき過ぎている。子夏はゆき足りない。」これを聞いた子貢という弟子が、「では、子張の方がすぐれているということなのですか。」と聞き返した。これに対して孔子がこたえたのが、「過ぎたるは猶なほ及ばざるがごとし(行きすぎていることは、足りないことと同じようなものだぞ)」というわけだそうな。へえへえへえへえだし、子張のやり過ぎぐせには共感するものがある。中学生のときに、あまりにも無理をした。ブレーキがきかなくなるまで勉強に走り、調子を悪くしてしまった。
昔の人の教えって、ホント偉大だ。現代に生まれて得すぎる。と、いうわけで、積極的にこのような教訓を学ぼうと思う。今からでも遅くなーい!
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