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13歳の時に作った理科研究に31歳無職の私がダメ出ししてみた

みなさんこんにちは!
無職の三十路女、のちこです。

3月末で働いていた会社を退職し、4月から晴れて無職になった私。
無職になったからには、今までできなかったいろんなことに挑戦してみようと、noteで「無職の三十路女が〇〇やってみた」等の拙文を晒しながら、現在絶賛人生の寄り道中です!

無職生活も早1か月が経過し、人生の寄り道どころかもはや迷子ではないかと思い始めている今日この頃。
先日無職あるあるの1つとも言える「ひたすら部屋の掃除をしまくる」を実行していたところ、懐かしい冊子を発見しました。

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中学2年生の時の理科研究……!!!

当時「真面目だけが取り柄」な典型的ダサダサがり勉タイプだった私。

スカート丈は当然のようにデフォルト丈、眉毛は剃らない、当時女子の間で流行っていた縮毛矯正もかけず、夏休みの宿題は7月中にすべて終わらせるタイプのゴリゴリ人間だったので、この理科研究もなかなかに力を入れて作った記憶があります。

昨今なかなか見なくなったレポート用紙に手書き(おそらく鉛筆)で作成された全19ページの理科研究。
今はもう住んでいない故郷で13歳の私が作った、黒い表紙の「運動と脈拍の変化」というタイトルの研究は、今の私を戦慄させるという意味でとってもデスノートだったので、31歳になった無職の三十路女がセルフツッコミという名のダメ出しをしつつ思い出に浸ってみようと思います。

<理科研究『運動と脈拍の変化』>

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<研究の動機(意訳)>
あたし、のちこ。
運動がちょっぴり苦手な13歳のフツーの女の子。
最近、少し動くだけで胸が「ドキドキ」することが多いの。
いっけなーい☆これって、運動不足ってやつぅ!?
この夏はたくさん運動して体力つけちゃお☆って思ったんだけど、動きによって「ドキドキ」の速さが違うみたい。なんでかなあ?
よーしッ!動きによってどのくらい「ドキドキ」に違いがあるのか、のちこ調べちゃおうと思いまーす!


※実際にはちゃんとそれらしいことがそれらしい文章で書かれています。

要は、様々なシチュエーションの中で自分の脈拍にどのような変化があるのか予想を立ててまとめ・考察するという、とっても真面目で健全な内容です。

しかしながら、いくら「真面目」な内容とはいえ、されど13歳。
一生懸命作ったであろうが故にちょっとズレちゃってる甘々ポイントがたくさん見つかったので、中でも特に気になった箇所を5つ紹介しようと思います!

① 固く握りしめられたヘアゴム

デジタルカメラなど持っていなかった時代。
「歩く前後」での脈拍の変化について書かれたページにはインスタントカメラで撮影された「歩く私」の写真が掲載されていました。

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写真の切り方雑!短めの半ジャー!懐かしのジャガーのスニーカー!そして

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固く握りしめられたヘアゴム!!!!!(赤いボンボン付き☆)

おそらくこの撮影前に結んでいた髪をほどいたか何かで、手に持ったまま撮影をしてしまったんだと思うけど、とりあえずどっかに置けばよくない!?別にギュッと持ってなくてよくない!?もしくは撮影者に預ければよくない!?
「歩く」写真にしては足切れてるし、むしろ写真の主役赤いボンボンみたいになってるよね!?なんかの伏線!?

まさかとは思うけど、この赤いボンボンのヘアゴムお気に入りだったから、理科研究にかこつけて、見せびらかしたかったの……?
中学生にして匂わせ!?匂わせなの!?(なんの)

確かこれ私の青春のバイブル少女漫画雑誌「りぼん」の春田なな先生の作品中、主人公がつけていたボンボン付きのヘアゴムがかわいくて、それを真似したくて買ったんだよな~~~~あ~~~~!

エピソードが超オタオタしくて震える~~~~~!!!!!

震えつつも、「そういう抜けてるところも可愛いよ、のちこ(13)」と思いながら次のページを開く。

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やっぱり握られてた~~~!!!
(しかもボンボン部分が見えるように握ってるゥ~)

「走る」のページでもやっぱり握られてたし、よく見たら手首に別の黒いヘアゴムもつけてるから、直前につけてたのを外したってよりはわざわざ赤いボンボン見せびらかし匂わせ女説濃厚~~~~~!?!?
え~~私中二病こじらせすぎ~~~~~!?!?

② 過酷な労働環境

脈拍の変化をみるための運動項目「歩く」「走る」「自転車を漕ぐ」等の中には「草取り」という意味が全然わからないただの孝行娘のお手伝い項目も存在していました。

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家の庭の手入れ 1時間程
晴れ  36℃

36℃の炎天下で1時間草取りって過酷すぎない!?

脈拍の変化あるに決まってない!?31歳がやったら5分でバテバテだよ!
若さなの!?若さゆえにできたことなの!?熱中症にならなくてよかったね!?もし学校で今これやろうもんならPTAが黙っちゃいないよ!?

草取り後の脈拍の結果に対するコメントには、「汗はびっしょり、暑さのせいだ」って書いてたけど、やる前からわからなかった!?予想しとこうよ!?チャレンジャーすぎでは!?

③ 懐かしのダイエット器具

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パンチングマシーンって!

我が家は流行り物はすぐに買っちゃう家庭だったので、当時流行っていたダイエット器具パンチングマシーンも、漏れなくもちろんありました。

家族のだれ一人として継続して使うことはなかったので、廊下でひっそりと置物と化していたヤツの唯一与えられた活躍の場が、この理科研究だったと思われます。
ありがとうパンチングマシーン。ごめんよパンチングマシーン。

にしても34℃の室内で5分間って、いつもいつも過酷な環境すぎない?
ていうかどうでもいいけど「パンチングマシーンをする」ってなんだ。動詞はそれで合ってるの!?のちこパンチングマシーンしちゃったの!?

④ そのタオル外せよ

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横になってもいいけど、その首のタオル外せよ…!

「草取り→パンチングマシーン」の灼熱地獄の流れで完全に熱中症状態だったんじゃないかというくらい顔色も極悪だし、おそらく汗が止まらず致し方なくタオル巻きっぱなしだったのだと思われるんだけど、中学生女子体張りすぎでしょ!!!!!理科研究に何懸けてんの!?夏休みは遊べよ!!!!!

あと右上に写ってるピンクの台、アイロン台だよね……?アイロン台を片付けてから写真撮ろうね……?(全体的にずっと雑)

⑤ まさかのセクシーシーン

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えっHADAKA!??!?

いいえ。「安心してください、履いてますよ」ってやつです。
ちゃんと洋服を着たまま、「お風呂に入ってる風」の写真をわざわざ撮影したのをよく覚えています。

というのも、この写真散々クラスの子たちに「えっちだ!」といってからかわれまくったんですよね……(遠い目)

今や無職を高らかに公言しちゃう厚顔無恥でおなじみののちことはいえ、この頃の私は花もはじらう思春期女子。
クラスメイトからハチャメチャにいじられたので、今でも恥ずかしかった記憶が昨日のことのように思い起こされます。

今だったら、たまったお風呂の写真をいい感じに撮ってごまかしたんだろうけど、13歳ののちこは、「全写真に被験者がちゃんと出演しなきゃ!」という融通の利かない一途な使命感をもっていたようで、何故か由美かおるリスペクトなお風呂シーンを撮影した模様。

noteで記事を書くにあたって「顔出し問題」にウジウジ悩んでいたのちこ(31)、顔出しどころかセクシーお風呂シーンまで撮影しちゃってた体当たりな13歳に完敗です!


というわけで、13歳の私へ贈る31歳無職からの5つのダメ出しは以上です!!!


■ 先生からの言葉

理科研究最後のページを開くと、先生からの評価が小さくメモされていたことに気づいた。

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まじめさや、努力が伺えるよ
ごくろうさん

自分のことながら、本当にその通りだと思った。
31歳の私がみた「13歳の私」は何事にも真面目で一生懸命だった。

散々内容にツッコミをいれてこき下ろしたが、当時の私は13歳なりに一生懸命生きていたということを、文字から写真から文章から感じ取ることができた。
そしてありがたいことに、その努力を周りの大人たちは本当にあたたかく見守ってくれていたように思う。

事実、粗削りで今見れば決して理論的ではないこの理科研究は鹿児島県の理科研究記録展で賞をとった。きっと研究自体が評価されたわけではなく、おそらく「真面目に取り組んだ努力」を評価してもらえたのではないだろうか。

体当たりで根性タイプの物事への取り組み方は、ある種今私が書いているnoteの記事たちにも通じるような気がした。
「無職の三十路女が〇〇やってみた」等と謳い書き続けた作品のイズムは、もしかしたらこの時から持ち合わせていたものなのかもしれない。

成長していないともいうべきか、変わらないというべきか、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。

「13歳のお前を笑ってやんよ!」と見始めた理科研究だったが、昔の私に今の私を見つけた時、いくつになっても、大人になっても、変わらないものが私の中にもあるんだなと、少しだけほっとする自分がいた。

■ 13歳の私へ

さて、私はこの理科研究を見ていて、13歳の私がある種「意固地」とも思える、とある決意をもって学生時代を過ごしてきたことを思い出した。

ちょうど私が13歳になろうとしていた時。
私の人生にとってちょっとした転機が訪れていた。

両親が離婚したのだ。

元々父親のことはあまりすきではなかったし、ほとんど仕事で家にいなかった父がいなくなるといっても、さして大きなショックはなかった。

けれど当時超がつくほどのド田舎に住んでいた我が家に、狭いコミュニティでありがちな「噂という名の暴力」は容赦なく突き刺さった。

母がその時どのような思いをして私を一人育ててくれたのかは計り知れないが、私ですら浴びたこの洗礼を母が受けなかったはずはなく、相当の苦労があったのではないかと想像する。

「母子家庭」は今ではそう珍しくもないが、小さい町での私は確かに「母子家庭の子」だったし、母は「母子家庭の母」だった。

「母子家庭の子」として一挙手一投足監視されているような気持ちになりつつも、幼いながらにひっそりと決意していたことがある。

「誰よりも真面目に生きる」


「あの子は母子家庭の子だから」などと絶対に言われたくなかった。

私は母子家庭だったけれど、母と2人幸せだったから。

だから私は、スカートを絶対に短くしなかったし、眉毛も剃らなかった。

今思うと安易で子どもっぽくてばかばかしい対処方法だったと思うけれど、たぶんあの時の私は切実で必死だった。バイアスのかかった目で見る人には、やりすぎくらいにわかりやすい真面目さを見せつけるしかないと思っていた。

少しの不真面目さも私は私に許さなかったのだ。

この信念が果たして正解か不正解か、そんなことはわからなかったけれど、13歳は13歳なりに、不器用にも一生懸命踏ん張って生きていた。

そしてその信念が、今の私のアイデンティティを形作る大きな要因となったことは間違いない。

理科研究の中の私の姿にその決意を見た時、幼く意固地で小さな、だけど力強いプライドが、31歳の私にはとてもまぶしくて愛おしく感じられた。

ちょっとは肩の力を抜いてもいいんだよ、「ごくろうさん」と背中をさすってやりたいような、そんな気持ちになりながらも、13歳の私は31歳の私より、もっとずっと大人の顔をしていたような気がする。


13歳の私が31歳の私に問いかける。

ちゃんと生きていますか?
真面目に誠実に頑張れていますか?
親孝行できていますか?
一生懸命に悔いなく毎日を過ごせていますか?
人生の真ん中を、私らしくまっすぐに生きられていますか?

13歳の私へ――。


31歳、のちこは現在無職です。


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