私は自閉スペクトラム症

私は、人とコミュニケーションを取ることが苦手だ。
特に、飲み会とか複数人で自由に話す場はだめ。
いつ、誰に、何を言ったらいいか分からないし、人の話を聞くことで精一杯になる。
場の空気は読めないから、不用意なことを言って笑われることもあるけど、なんで笑われるか分かんないことも多い。

こだわりは余りないと思ってるけど、毎日が予定通り進むこと、決まった時間に起きて寝ることが好きだ。
当直などの勤務があると、心が乱れて、気分が悪くなったり、大きなミスをしたりする。

つまり、私は自閉スペクトラム症だ。

母子手帳

私の母子手帳を開くと、1歳で言葉を覚えていない、指さししないとの記載。
これは最初の私の自閉傾向の証拠。

他には、お気に入りのビデオを擦り切れるまで観て、同じビデオを買ってもらったり、
シールをそこらじゅうに貼るのが好きで、家具にびっしりシールを貼ったり。

小学校から高校

かなりの田舎に住んでいて、小学校から中学校は1学年1クラスで、クラス替えを経験したことがない。
ずっと同じメンバーで過ごしてきて、仲良しグループはずっと同じで、特に苦労することはなかった。
高校は私立に行き、これもまた田舎で、進学クラスはほとんどクラス替えもなく、
クラスの中で控えめに過ごすことで適応してきた。
かなりの時間勉強していて、毎日決まったように行動することが好きだった。

大学から大学院

大学は20人くらい学科に入り、いつも同じメンバーで交流した。
飲み会はどう振る舞えばいいか分からずに戸惑うことはあったが、表立った問題はなかった。

ただ印象に残ってるのは、1番最初の記憶について尋ねられれた講義だ。
私は「穴を掘ってました」と答えた。
ただひたすら穴を掘った。穴を掘って何かある訳ではないけど、ひたすら深く掘るのだ。
それを先生に興味を持たれてすごくたくさん詳しく聞かれて、次の講義で穴を掘ることに関する絵本を持ってこられた。
私って普通じゃないんだなって、自閉的と思われてるなって、よく分かった。

大学院は大学とは全然違うところに行って、人間関係はゼロからスタートした。
友達といえる友達はできなかった。
院生同士の会議で、いつ、どんな発言をすればいいのか分からず、黙りこくっていて、ほんと嫌だった。
最後の方は嫌すぎてさぼったりした。

仕事

社会人になり、いよいよ自分が適応できないことに直面した。
まず、言葉が苦手で、文章をうまく書けないし、表現もできない。
複数のことを同時にやることや注意をうまく分散することが苦手で、文書を作ってるのに、電話を取ることとか、そういうことしながら視野を広くして気を利かせて動くとか、できない。
衝動的に感情的な言葉が出る。 
コミュニケーションは苦手で、特に世代を超えた交流は苦手。

自閉スペクトラム症として生きる

私は自閉スペクトラム症で、
例えるなら宇宙人か何か人間ではないもので、でも人間の形をしてるから、人間をよく観察して、それをまねて過ごすことでなんとか人間に扮して過ごすことができてるという感じだろうか。
それでも自閉スペクトラム症として生きていくしかない。

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