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Oh My Ethereum (イーサリアムと私)

今年Ethereum FoundationのExecutive Director に就任してから、色んなところで共通に話して来ていることがある。「なぜイーサリアムを応援しようと思ったか」だ。いくつか理由があるが、今回は物理的にどんな経緯があったかについて。

もともとブロックチェーンに興味を持ったきっかけはビットコイン。2011年に話を聞いてから、ビットコイン・ブロックチェーンの持つ技術が、これからの世の中を変える、特に自分の関心があった、途上国でのファイナンシャル・インクルージョンにおいて新しいことが色々可能になると思った。

そして2013年に業界に飛び込む。今では850人以上のKraken(クラケン)チームだが、私は最初の立ち上げメンバー数人の一人だった。その頃サンフランシスコで、いくつかの業界のチームが立ち上がっていたり、初のそこそこのサイズのビットコインイベントがサンノゼであって盛り上がったのもあり、ものすごい勢いで新しいことが毎日起こるのを目の前で見て体験した。(この辺の面白い話はまた別で)Krakenが最初から飛び抜けていたのは、半端ないレベル(世界中でどこから探して来たんだというハッカーなど)のオタクなメンバーと当初から複数のコイン(当時は他はビットコインにしか注目していない頃)を取り扱って色んな技術の将来を支えていたことだった。

その年の2013年後半、サンフランシスコのKrakenのオフィスで一人の ティーンエージャーと出会う。それがVitalik Buterin (ヴィタリック・ブテリン)。当時から不思議な雰囲気を醸し出していたが、彼が天才であることだけはすぐにわかった。彼がその時オフィスで書いていたのが、 イーサリアムのホワイト・ペーパー。今考えると当時のビットコインコミュニティは本当に奇才が集まって、ビジネスの前にお互いを助け合ったり相談したりするところがあり、そこから色んなアイデアが生まれた。今ではビットコインとイーサリアムを対抗させるような話が良くあるが、あの頃があっての今の業界だと思う。

当時ヴィタリックはBitcoin Magazine において、若くしてものすごくいい文章を書くライターとして知られていた。彼は世界を旅しながら、ビットコインのコミュニティメンバーにインタビューをして、ブロックチェーン技術を向上させる案を考えていた。サンフランシスコを旅をするヴィタリックに、当然のようにKrakenのCEOが泊まる場所を提供して、オフィスを使わせていた。それもあって結果的にイーサリアムが生まれた時にはチーム同士がすでに近く、どこよりもEther(イーサ)を早くリストしたのがKraken だった。

イーサリアムが生まれたことによって、ブロックチェーンの可能性が一気に大きく、そして広くなった。ビットコインはお金のような役割をするのに対して、イーサリアムは何にでも使えるブロックチェーンを提供する。契約がブロックチェーン上に起こせるスマートコントラクト機能を持ち、 新しい形の世界のコンピュータ (World Computer)の役割をする。例えばファイナンシャル・インクルージョンのマイクロファイナンス一つを取っても、今まではその金銭取引や決済の部分にフォーカスしていたのが、ID(身分証明)、クレジットの経歴、ローン契約といったありとあらゆる部分が向上されることが可能になる。さらにこのスマートコントラクトによって、誰もが簡単に新しいトークンを作ることが出来る。トークンによりプロダクトの柔軟性が増え、そして付随して生まれたICOによって、世界中の資金調達のあり方をガラッと変える。今一部 のみ書き並べてもイーサリアムが起こしている革命には鳥肌が立つ。そしてブロックチェーンの中で私の関わりたかった部分の可能性も一気に広がった。

イーサリアムの革命が世の中に理解されるのには何年かかかったが、こういう出来事の裏で、私の側での精神的変化が起きていた。仕事が落ち着いてきた頃  、いや正直落ち着いたことは一度もなかったが、業界が育って来た頃、色んな機会や偶然の出会いに恵まれたこともあり、社会に良い影響をブロックチェーンで作りたいという自分の当初の思いが、どんどん強くなっていた。2013年当時にブロックチェーンとソーシャルインパクトの話をしても興味を持ってくれる人がほぼいなかったのに対し、だんだん共感してくれる人も増えて来た。やりたかったことに関われないのなら、むしろ業界を出て全く違うことをすることもありかと思い始めた。好奇心が強いので、他にやりたいこともたくさんある。そこまでの覚悟が出てからは、思い切って自分の情熱を口に出すことにした。イベントでもしたい話をするようになった。そうして途上国使えるブロックチェーンのプロダクトや、社会の問題を解決するプロジェクトをアドバイスする機会が増えていった。

そしてそのままソーシャルインパクト のプロダクトを応援していく事業を始めようと思っていた頃、2017年後半に、Ethereum Foundation (EF) を手伝ってくれないかという話が来る。正直迷った。ヴィタリック率いるEF が担当するのは、このオープンソースのプラットフォームを研究者や開発者と改善していくという、全体のインフラのかなりオタクな部分。私がやろうとしていたことはレイヤーの上の方の、現場で役に立つプロダクトのサポート。決断をするために色んな人と色んな会話をした。業界がものすごい勢いで大きくなる中、スケーリングを含め、イーサリアム自体の技術がまず解決しなければならないことが山のようにある。これを解決することが、私の応援したいプロダクト(dApps)の将来に与える影響がいかに大きいかを考えると、とりあえず手伝わずにはいられないと思ったのが最後の決断の理由だった。

しかもイーサリアムはコミュニティと文化がかなりユニーク。これに惹かれて、賢い人材が世界中でどんどん集まり、自然にコミュニティが出来ている。イーサリアムがただ将来性があるというだけの技術で、このコミュニティがなかったら、自分が参加する決断はしなかったと思う。

EF は「財団」なので、研究開発を自ら行う上に、プロジェクトやプロダクトに助成金を出すこと、コミュニティ活動や教育活動を盛り上げることなどもメインの活動で、私のバックグラウンドにあっている。といってもこれはむしろ入ってからはっきりわかったこと。イーサリアムの技術と一緒で、組織もかなり分散型で、私が入った時には活動の内容はきちんと理解されていなかった。ということで、入ってから時間をかけて中の人と動きを観察し、自分でそのヴィジョンとミッションを定義付けてから、役割がやっとわかった。

こうして正式に就任したのが今年2月。私のずっこけワクワクなイーサリアム生活が始まった。どんな風ににずっこけでワクワクか 、そしてもう一つの理由のイーサリアム・コミュニティと文化についてはまた。

これは就任してから少して、カナダのトロントであったEdconで「なぜ」についてとEFの役割を語った時。この写真のユニコーンのTシャツには思い入れがある。チームに参加するのを決めた頃、自分で本当にやるんだろうか?と少し現実味がない気がしていた。分散型組織なので、契約とかが普通の会社の様には始まらない。私はこのスイス財団の取締役でもあるので、もちろんたくさんの紙の契約もあるんだが、アメリカの会社の様に、サインした時が全てという感じがしない。実はそれよりずっと前にシンガポールの空港で決断の話をした時に、ヴィタリックがこのイーサリアムのTシャツを「Welcome!」とにっこり笑って渡してくれた時があった。これはEFの慣習な訳ではないので、今考えたらなぜそうしてくれたのか不思議だが、振り返るとチームに参加したんだと実感したのはあの瞬間だった。

因みに唯一の後悔は、仕事が変わる時にバケーションをちゃんと取らなかったこと。。いつも相手の事情とかタイミングを考え過ぎたり、仕事とプライベートの境がそれほどないために機会を逃すけれど、やっぱりそこはわがままになって、休みをきちんと取っておけば良かったと思う。これは最近周りにも心配されることだしから、今後改善しなきゃと思ってます。はい、本当に。

まあボブ・マーリーに言い訳してもらうとするなら、、

😆敢えて訳しません😅


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