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【昔話】China Groveな男と仙台の夜(2577字)

音楽を聴くと思いだす人がいます。

Doobie Brothers「China Grove」

聴いたことがある人も、聴いたことがない人も特に曲は関係ないので読んで貰えたら幸いです。


少し前のこと。
同期の仲間達と飲んでいると、10年ぶりくらいに参加したマユからこんな話が出た。

マユ「アヤは最近、相沢さんには会った?」
私「ぜんぜーん。貴子の結婚式以来だからもう15年も会ってないよ」
マユ「そうなんだ。アヤは相沢さんと仲良かったからさ」
私「そうだね。何回も仙台に遊びに行ったし」
マユ「でも、仲良かったけどお兄ちゃん的な感じだよね?」
私「お兄ちゃん?」
マユ「私も相沢さん好きだったけど、お兄ちゃん的な感じで好きだったから。アヤもそんな感じでしょ?」
私「うーん。お兄ちゃん・・・お兄ちゃんだったのかなぁ・・・」

今から27年前、私は新卒でとある中小企業に就職した。
仕事は座っているだけのOLで、入社してすぐに嫌気がさした私は、毎日他の部署にいる同期達のパトロールをするという、お気楽な日々を送っていた。

入社して1ヶ月程たった頃、私の内線電話が鳴った。マユだった。
マユ「アヤ、今日はなんか予定ある?うちの部署の相沢さんがアヤと飲みたいって言ってるんだけどどう?」
マユの方を見ると、横で相沢さんが満面の笑みで私に手を振っている。
私「ちょっと怖いんだけど」
マユ「私も行くし、他の部署の人にも声かけてるから15人くらいになると思う」

そう言われたので参加した。
相沢さんは私よりも11歳上、激しい東北なまりが持ち味の独身営業マンだった。スラリとした痩せ型で顔はイケメンではなかったけど、とにかく口がうまかったので、営業マンとしても、プレイボーイとしても、社内ではとても目立つ存在だった。

飲み会で打ち解けた私は、相沢さんにこう言われた。

「平山は新入社員10人の中で一番俺の目を引いた。お前を見た瞬間、ずいぶんと生意気そうで面白そうなのが入ってきたと思ったよ」

こうして私は、入社一か月で相沢さんから絶大なる寵愛を受けるようになった。(やってないよw)

当時相沢さんには社内に半同棲中の彼女がいて、私よりも4才年上のマナさんという人だった。マナさんは美人でスタイルがよくて控え目な人だったけど、私を妹のように可愛がってくれた。

私は、相沢さん主宰の大勢の飲み会や、マナさん含めた数人での飲み会、時にはカウンター寿司、時にはディスコ、時にはテーブルが回る中華、時にはクラブ、時にはハードロックカフェ、会社の後いつも遊び狂っていた私の横の横には常に相沢さんがいた。
それは私が1年9か月後に退職するまで続いた。

私が退職して数か月後に相沢さんは仙台に転勤になった。相沢さんは仙台出身だったことと、プライベートで社内の女を食い散らかしていたこと、付き合っているマナさんを退職に追い込みたかったからだと思う。(女性社員はお嫁さん候補なので若い方がいいというセクハラ的な考え)

ある日、転勤してすぐに相沢さんから電話がかかってきた。
「平山、仙台遊びに来てくれよ。寂しいよ」
「何言ってるんですか。マナさんがもうすぐ来てくれるから、それまで我慢してくださいよ。それよりも、今度の夏のイベントよろしくお願いしますね」

私は23歳になったばかりの夏にDJイベントを開いた。その時の参加DJとして相沢さんも呼んだのだ。彼はもともとロック好きのバンドマンで、私がマナさんの伝手でDJセットを入手した時に「平山がやるなら俺もやる」と言ってすぐにDJセットを購入したのだ。

わざわざ仙台から駆けつけてくれて私たちは渋谷でイベントを成功させた。
イベント以降も、相沢さんはたびたび出張のついでに東京に来て、私たちは2人でレコード巡りなどをした。

マナさんが会社を辞めて仙台に行き、相沢さんとの同棲生活に落ち着いた頃、私は仙台に遊びに行った。ちょうど派遣の仕事が終了になり、暇を持て余していたので2週間ほど滞在した。(滞在しすぎだよwww)

滞在中、昼間はマナさんとビーズでアクセサリーを作ってまったり過ごし、夜は3人で国分町や一番町に飲みに行った。
相沢さんが「仙台は音楽の街なんだべ」と言い、ギターを片手に街に出た事もあった。そこで私たちは2人して酔っ払い(マナさんは飲めない)、飲み屋ではなぜか私が華麗なギターを披露し(ノリで弾いたのに上手かったらしいw)、相沢さんの友達に一人一人紹介された。「コイツ、アヤって言うんだけど俺の女版だからよろしく」みたいな感じで。

そこで相沢さんが「お前の好きなR&Bの音楽と、イケメン店長がいる店に連れてってやる」と言われて、連れていかれた店で私は店長に恋をした。「す、すごいイケメン!」舞い上がって一緒に写真を撮ったりしていたが、既にその時点で何軒も店をハシゴしていたので、私は完全に酔っぱらっていた。
そこで相沢さんが調子に乗って「この女、アヤって言うんですけど、渋谷でDJやってるんですよ」と煽った。すると、イケメン店長が「じゃぁ、ちょっとやってみますか?」と言われたので、その場で私はDJブースに立った。

レコードは私が持っているのと同じで、ミキサーもパイオニアのいつものヤツだ。大丈夫。大丈夫・・・

大失敗!!!

見るも無残なほど大失敗だった。
あまりに恥ずかしくて相沢さんもマナさんも大笑いしている。これはまずい。私は「す、すみません」と言ってDJブースを出たが、イケメン店長も笑っていた。そそくさと帰った。

そして翌年・・・
私は相沢さんに連れられてその店に来た。
相変わらずイケメン店長がいた。
「あのー、実は去年・・・」
と言ったところでイケメン店長は、
「去年も来ましたよね。覚えています。今年もやりますか?」
と言われて、私はまたもや図々しくDJブースに立った。
今回は失敗するわけにはいかない・・・

うまくいった

綺麗にキレイに繋げている。
そんな自分に酔いしれて3、4曲流した後に、相沢さんが
「俺たちは先に帰るからこのまましばらくやっていけよ。店長さん、いいですよね?」そう言うと、イケメン店長が
「どうぞどうぞ、朝まででもいいですよ」
そう言われて、私はその後2時間ほど店でDJをした。

もしかしたら仙台でだったら、DJとしてやっていけるかもしれない・・・

確かな手応えを感じた、25歳の私だった。


後編に続く↓











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