娘が中学生、私も昔は中学生だった

娘が4月から中学生になる。私だって生まれた時からオバサンでは無かった、AYA45~中年デビューです。

娘「お母さんの中学生時代の話教えて」
私「お母さんの中学校の時は、、、」
遠い昔の話です

中学生の私は、1人のヤンキーが怖かった。ヤンキーはルミと言う名前で、1つ上のお姉ちゃんがスーパーヤンキー、このお姉ちゃんに目をつけられたら、この中学校では生きていけないと言っても過言では無かった。

私は中1でルミと同じクラスになった瞬間に「終わった」と感じた。そして身を守るにはどうすればいいか?と思ったその瞬間、私はルミに話しかけた。そう、

身を守るには仲良くなるしかない

教室に入って、ルミの名前を確認し、入学式の為に廊下に並ぶその数分間で私はそれを決め、実行に移したのだ。

私達は傍から見れば仲良しだった。毎日毎日教室ではルミともう一人ユキとつるんでいた。ルミとユキは家庭環境が複雑という境遇が似ていたので、3人でいてもルミは私よりもユキの方が仲良かった。私はルミの一番にはなりたくなかったので、心の中で安心していた。クラスでは、私とユキはルミの腰巾着のような存在だった。

私はルミが嫌いだった。とにかくルミは気分屋で、自分の機嫌一つで私を振り回した。ユキと3人でいても、ルミはすぐにユキを連れてどこかに行き、私をハブにして喜んでいた。クラスでルミが好きだった男子と私がちょっとでも話をしているのを見られた時は、それから3日は無視された。

それでも私はルミの腰巾着を離れず、いつでもどこでもルミの機嫌を損ねないようにした。ルミに嫌われたくない、ルミのお姉ちゃんにボコられたくない、ただその一心だった。

毎日毎日、私はルミと仲の良さをアピールしていたが、それには別の狙いもあった

これで残りの中学2年間は同じクラスになることはない

ルミは先生達からも危険人物として扱われていたから、仲のいい友達とは同じクラスにはしないだろうと私は読んだ。だから、私はルミと過剰に仲が良いフリをし続けた。しかしながら、そんな事は13歳の思春期の子供にとっては精神的にきつかったのだろう。私は呪いの人形を作り、ルミと書き、八つ裂きにしていた。カレンダーに一日一日×を付け、早く1年生が終わりますように、と毎日祈っていた。

そんな私の思いも知らず、学年1のヤンキーと仲が良い事を知った母親はとても心配した。「なんであんな子と仲良くなるの・・・」と言われたが、「私だって仲良くなんてしたくない。でも、いじめられたくない、ボコられたくない。」とは言えなかった。私がこの先、中学3年間を穏やかに過ごす為には、偽りの仲の良さを演じないといけなかった。

ルミはヤンキーだった。腰巾着になるには、自分も悪ぶらなければならなかった。小学校まで仲の良かった友人は私から離れていった。その時に声を揃えて言われたのが、

「アヤちゃん、中学生になって変わった。近寄りがたくなった。」

ルミと仲良くなった事の弊害だった。
更に、素行が悪いという印象を先生達に付けてしまったおかげで、私の成績はテストの点数に比例せず、三者面談では担任から日頃の行いを指摘されて母親を悩ませた。それでも私は大嫌いなルミに嫌われたくなかった。とにかくルミが怖くて仕方なかった。

1年生が終わり、ルミとクラスが離れ、私にパラダイスがやってきた。
中2のクラスでは、最高に面白い友達と仲良くなり、所属するテニス部ではキャプテンとしてチームをひっぱった。私は本来の自分を取り戻した。もうルミと関わらないで済む。しかしながら、残り2年も気を緩める事は出来ないと、ルミとの交換日記は続け、たまに廊下で会った時にはキャッキャッとハグして、私がどれだけルミを好きかアピールした。

そんなルミとは程よい関係になった中2の途中、ルミが私の片思い相手と付き合い始めた。
「AYAはもう、好きじゃないからいいよね?」
本当に、デスノートがあったら全頁に書きたい程憎たらしかった。
「もう好きじゃないから、大丈夫だよ」
なんて言ったけれど、こんなに悔しい事はなかった。
私の片思い相手の男子も、片親のアウトローだったから、美人で巨乳でバカで自己中で気分屋なルミに惹かれるのも今ならわかる。当時は本当に心の底からルミを恨んだ。その男子の汚い上履きに「LOVE RUMI」なんて書いてあるのを見て、また私は呪いの人形を作った。

1か月も経たないうちに、2人は別れた事をルミとの交換日記で知った。「私はやっぱり元カレが好きで、元カレもやり直そうと言ってる。〇〇とは別れた」と書いてあった。←中2です

私が片思いしていたアウトロー男子は、ルミにボロ雑巾のように捨てられたのだった。

その後、中2、中3と私は穏やかな毎日を送ったが、同級生の何人かがルミのお姉ちゃんにボコボコのボロボロにされたとの情報が入った。ルミのお姉ちゃんは、ルミよりも気分屋の美人だったが、気に触る後輩をどうしようもない理由をつけて片っ端からボコっていた。私は被害者2人から、「AYAちゃんの名前も出てたよ。次は来るかもしれないから気を付けて」と言われた。震え上がる程怖かった。ってか、ルミと仲良くしてた意味、何もないじゃん!私は卒業と同時にルミとは縁を切った。

幸い、ルミのお姉ちゃんが私の所に来る事は無かったが、代わりにルミからは手紙が来た。手紙には卒業後、ガソリンスタンドで働いている近況と、近々カラオケにでも行こうと書かれてあった。そして最後に、「AYA、〇〇の事ずっと好きだったんだね。気付かなくてごめんね。もし良かったらこれ受け取ってね」同封されていたのは、あのアウトロー男子の写真だった。10枚ぐらいあった。写真のアウトロー男子は、自宅の玄関前で学校では見たこともない笑みを浮かべていた。その笑顔は、大好きなルミに向けられた写真だと気付いた。そして、玄関の横には2枚の出前の丼が置いてあった。

この写真の意味するものは、2人がアウトローの自宅で出前を食べ、イチャイチャした後に、お互いの写真を撮り合いした時のものであると推測した。

こんな写真を私に送るルミは、本当にバカでデリカシーの無い、最低最悪な人間だと思った。

私は手紙をビリビリに破いたが、写真はとっておいた。たまに見て、ルミへの妬みと憎しみを募らせた。
ルミに手紙の返事は書かなかった。中学を卒業した後の私は、もうルミなんて少しも怖くなかった。

それからも、ルミからの手紙は何度か届いたが、私は一通も返さなかった。18歳になる前に、結婚して子どもがいるとの内容の手紙を受け取った時も、私は返事を書かなかった。それから何度かルミから手紙を貰ったが、24、5歳頃を最後にパタリと来なくなった。
最後の手紙も、私は返事を書かなかった。
いつの間にか、アウトローの写真も捨てていた。

今回、娘に話を聞かせる為に中学時代の話を思い出したが、書いてみるとわかった。

嫉妬と憎悪のオンパレード

まったく、呪いの人形何回作ってんだよ!
娘には、所どころ笑いを交えて伝えたけど、どうか私のような人間にはなって欲しくないと切に思います。


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