見出し画像

『本の未来を探す旅 台北』 まえがき

先週発売の新刊『本の未来を探す旅 台北』(内沼晋太郎さんとの共編著。山本佳代子・写真)のまえがき全文です。内沼さんのあとがきはこちらから。

はじめに Departure 綾女欣伸

 いきなり尾籠な話になるけれど、「トイレットペーパーを流さないでください」という貼り紙をトイレで目にして、ああ、台北に来たなと思う。老朽化した排水管が詰まるから、というのが理由なようだが、「心配ないから流してください」とも喧伝されているようで、本当のところはわからない。でもソウルに比べ古い建物が台北に多いのは間違いなさそうだ。古さは雨に映える。そんな年季の入ったビルが身を寄せ合ってどこまでも延びていくかのようなアーケードの下を、雨の中、傘もささずに歩いて行ける台北の街の歴史に感謝する。

 2016年6月、偶然にも「本の未来を探す旅」をソウルで始めた僕たちは台北を次の旅先に選んだ。前回の旅の成果、『本の未来を探す旅 ソウル』を出版する時機にちょうど大阪の北加賀屋で始まった「ASIA BOOK MARKET」(2017年5月)で韓国の独立書店や独立出版社を共編著者の内沼晋太郎さんとコーディネートしたことがきっかけで、その場に東アジアの同朋として集まった台湾の書店・出版社の面々に韓国と通じる、でも何か違った匂いのようなものを嗅ぎ取ったことが視線をさらに南へと向かわせた。2018年2月に主催者チームで次年度の出店者に会いに台北(雨)と韓国(極寒)を旅したのだが、帰国してすぐ台北を取材しようと決めた。もはや東アジアの出版をめぐる旅友となった内沼さんとともに、今回の写真は(田中由起子さんが育休につき)「チーム未完成」の“ぴっかぱいせん”こと山本佳代子さんにお願いした。LIPの田中佑典さんが台湾出版界に築いてきた信頼がなければ、ここまでスムーズに取材アポイントメントは取れなかっただろう。

 過酷な旅であることは変わらない。東京から4時間のフライトの先で、なにせ7日間で20カ所以上、インディペンデントな書店や出版社を訪ねて通訳の方々と一緒に街中をタクシー (初乗り280円ほど)で駆け回る。今回も台湾の代名詞、小籠包や魯肉飯を落ち着いて食べる時間などなく、台湾総統府も故宮博物院も中正紀念堂も視界には入ってこない。それはここ台北の出版界にも「観光」をはるかに超える「胎動」が蠢いているからだ。2018年4月中旬の1週間は、僥倖のようにずっと晴天に恵まれた。

 「ソウルと違う台北の本屋の面白さって、何ですか?」 帰国後によく聞かれたその問いを、旅のあいだ僕たちは絶えず自問自答していたと思う。台湾は(国と言って良いのなら)韓国に輪をかけた小国だ。人口は約2357万人(2017年末時点。韓国の人口は約5142万人)で、その1割にあたる268万人ほどが台北に住む。少子高齢化は進み、人口相関型業種とも言える出版業が厳しい(初版部数はたいてい2000部前後)のは同じながら、ソウルと同様、1980年代生まれを中心とする若い世代が自らの力でどんどん本屋を開いては出版社を起こしているのも共通している。興味深いのは両国の「民主化」が同時期に始まり(韓国の民主化宣言と台湾の戒厳令解除はともに1987年)、その後に10代の青春を送ってインターネットに出会い、世紀の変わり目に社会に出て30代に入る前後で独立した若者たちがそのムーブメントを牽引しているという同時多発的な現象だ。その符合はいったい何を意味しているのだろうか。元来が少人口社会の台湾や韓国の「現在」に、人口減少社会・日本の出版の「未来」の手がかりを探る。その試みの中では空間移動がそのまま未来への時間旅行に転じる。

 違いと言いながらもつい共通点ばかりを探してしまうが、取材の途中から、台北の書店主・編集者たちが頻繁に「時間」という言葉を口にすることに気づいた。あるいは経過や蓄積、そのメタファー。対して、ソウルの本屋や出版社を思い返すとき、聞こえてくるのは「実験」の響きだ。書店で働いた経験がなくても気軽に本屋を始める。むしろ異業種の強みを活かす。思いついたアイデアはすぐに実行する。しかしその代償というべきか、あれから2年ほど経ったソウルでは、閉店し、休業し、移転する本屋も少なくはなく、それにも増して新しい店もでき、変化の風はますます強まっている。そう、ソウルの本屋を思うとき、いつも一陣の「風」が体を吹き抜ける。

 台北では、「雨」が肌を伝っていく。その流れが時間を描くかたわらで、みな変化を率先して受け入れつつも、10年、20年といった長いスパンで物事を考えようとしている感じがする。豆乳スープと揚げパンを求める毎朝の街の光景が今後何十年も変わらないような気がするのと同じように。タクシーに乗れば「有効期限:民國108年」とドライバーの登録証があって、すでに64年(昭和)や31年(平成)を飛び越えて進行中の年月の行き先を示す。そんな時間と変化を同時に受け入れる空間が、台北では本屋なのだろうか。その実態と真偽は本書の中に探ってもらうしかない。けれど、自国の「顔」のタピオカミルクティーに常に突き刺さるプラスチック製ストローを世界に先駆けて規制していく、というニュースを聞くと、国民性のひとつに「持続性」が染み付いているのではないかと思ってしまう。水溶性かどうかはともかく、建物の未来を考えるとトイレに紙は流したくないのだ。

 再取材をした今年8月の最終日、時間の隙間に立ち寄った美術館を出ると、山々の見える景色の向こう側から雨が足音を立てるようにしてこちらに駆け寄ってくる美しい瞬間に立ち会った。雨は街を一瞬やわらかく洗い流し、数十分後には西日の輝く街路の散乱をさらにまばゆく補強する。そしてまた雨がやって来る。僕たちは何かと未来を先取りする話に忙しいが、循環する自然のサイクルはそんな未来をとっくに包み込んでいる。「時間」を意味する中国語「時光」の中で、時が光を内包しているように。

 台湾生まれ・日本語育ちの作家、温又柔の『空港時光』の中に、台湾を旅しながらも、複雑な家族の来歴に思いを馳せてしまう自分に苛立つ場面が出てくる。「台湾にいる限り、私は祖父母のことを考えずにはいられないようである。何かと時間を遡りたがる。〔中略〕これでは東京の自分の部屋で夢想しているのと変わらない。この旅が、私の夢の一部でしかないのなら、私は何のために日本から台湾にはるばると移動したのだろう」

 「台湾から見た日本」に特化するカルチャー誌『秋刀魚』のエヴァさんが言ったように、本当の交流、そして旅の醍醐味というのは、「相手を通して別の目を獲得する」ことだと感じる。韓国と同じく、台湾と日本のあいだにも意識せざるをえない問題はたくさんあることはたしかだけれど、まずは部屋から、夢から出てみることが第一歩だ。きっと10年、20年と時間が経てば状況は変わっているだろうが、本書には、本の仕事に携わる彼・彼女たちが“いま”何を思い考えているのかを丹念にじっくりと記録したつもりだ。先述のように追加取材しに再度台北に赴き、その後の情報も適宜補足している(ため時間がかかった)。

 台湾と日本は違う。韓国とも違う。もちろんそうだけれど、違うのに隣国にも同じような問題がある、だけでなく、その問題を異なる角度から考え解こうとする人たちがいる、とわかるだけでも、どんなに心強いことだろう。一瞬の祭典や博覧会に頼って自国をアピールしたり回顧したりするより、旅を通じてそんな視線を重ね合わせていくほうが基盤になりはしないだろうか。魚自身にとっていちばん意識されないのは水だが(マクルーハン)、水の中で魚が流す涙も外には見えない(王璇)。僕たちはその水だけでなく、その涙をも可視化して、あいだに水路を通していく必要がある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?