答えはないが生きる意味を考える

掟を破ったアダムとイブに課されたことは、厳しい労働と苦しい出産(ここでは子育ても含む)。なぜか住みにくく、それを両方担わなければならない現代社会。拘束された社会に身を預けながら危険に晒される。

人類はいずれ滅亡する、それに一歩ずつ進んでいて、本当に人類は生き残れるのかという問いに、災害、感染、食糧難・・この100年のうちに何かが起こり関係ないとは思えない。

歴史的に新感染症は抗体をつけながら時間をかけて生きてきて、アメリカが算出するこの3週間の死亡予定数(隔離で20万人)とルール大好き日本の政治の強制力(法律がないから都市封鎖できない)からすると、本当に生きていけるのかと怖くなる。

仕事や学校があるから外出して、感染を増やし、経済が後退しすぎて生活できなくなったとして、いったい何を優先し、誰の言っていることを信じるのでしょうか。ほんとは歩く場所に正解なんてない、こちらに来ない方がいいよと、敷かれたレールを歩いているだけ。歩きづらいなら真実なんて見ない方がいいかもしれない。

貢献し必要な人が生き残るわけでもなく、生きるために生きているのではないことが分かってくる。死を避けても死はくるし、死に向かっても死にきれない。思想、歴史、功績‥いつか全てがなくなるのを知りながらなぜか何かに向かって生きている。それとも人は本当の意義を見いだしてないから生きているのでしょうか。

「世界が必ず滅びるといふ確信がなかったら、どうやって生きてゆくことができるだらう」 三島由紀夫

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