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はじめましての人も、そうじゃない人も ⑪

はじめましての人も、そうじゃない人もこんにちは、秋山あやです。
自己紹介を兼ねて、自分のこれまでとこれからを綴っております。今回が11回目です

1〜10回目はこちら↓

東京で子育て一辺倒で過ごしていた。子供も3人になり、テレビでよく見る、周回になっている線路の一か所に風船が仕込んであり、先頭に針のついた電車が走ってくる。ほかの作業もしながら風船の近くに電車が来たら風船を取り上げて割れないように持ち上げる。そんな毎日だった。

そんな折、オットが転勤することになった。
子どもは5歳、4歳、1歳になっていた。
必ず来ることはわかっていた転勤だったけれど、関係性を築いて、自分の居場所だと思っているところから離れるのはつらかった。

転勤先は広島だった。
ほかの場所で生活してみたい気持ちがなかったわけではないけれど、地元に帰る安心感もあった。

自主保育で子どもが育つ環境や、大人も子供も含めた人の周りの環境について思いを馳せるようになっていた私にとって、子育ての環境にこだわりが強くなっていた。

もっと、子供の育ちに関わりたかった。
そんな環境で子どもを育てたかった。
東京でできていたことが広島でできなくて残念だった。

場所や人が変わるとできることもできないこともあるとは知りつつ、子供がその子らしく存在し、信頼できる人の中で育つ環境を作れないかなぁと模索していた。
自分が求める子育ての環境を探して、幼稚園を変わったり、習い事をしてみたり、子育て一辺倒だった。

「あなたはあなた」「私は私」という環境に寂しさを感じていたのに、しばらく住んでその環境になれると、地方での暮らしを窮屈に感じるようになった。
ホームに返ってきたのにアウェイだ…とつらく感じることもあった。

自分の時間がないことやお金を稼いでいないことへの不満はあせりはあったけれど、また、何年かで転勤してしまうことがわかっていると「どうせいつか引っ越すし」と、仕事を持つことにモチベーションがわかなくて、悶々としつつ、どうにもならないでいた。


そんな時妊娠がわかった。

産もうか、産むまいか迷った。
経済的なこと、今いる子どもたちとの生活、オットと話し合った。
でも、授かった命をなかったことにはできなかった。
そして、まさかのまさかで双子だった。
私の友人に双子が2組いて、3番目の妊娠がわかったとき「私のおなかのあなたも双子でいいよ」と唱えていたのだけれど、3番目は一人だった。
双子と聞いた時、「あー私が呼んだな」と思った。




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