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<ネタ帳:え>えくぼの可愛い男(タイトル 2023 /本文 2023)

<ネタ帳とは>
2020年3月、自宅の本棚から2001年以前に書かれたと思われる50音のタイトルのリストとそのうちの4つの文章を発見する。2020年中に50音全ての文章の完成を目指したはずが、3年放置され、2023年4月から再びスタート。

今回のお題は「え」


えくぼって、英語でなんていうか知ってるか?と問われた。場所はニューヨークの定食屋である。問うてくるのはその店の店主だ。絶不調の仕事の帰り、彼のかわいい奥さんの笑顔に癒やされながら、女子トークをしながら遅くなった夕食を食べようとしているのに、無理に仲間に入ろうとしてくる無粋な男に、私は冷たかった。わりと、全般的に男に冷たいと言われているようだが、それは言いがかりで、すてきな殿方には優しくお仕えすることを自己申告したい。定食屋の店主の質問に対しては、えー、知らなーいと、多めにレモンを絞ったメンチカツを食べながら、話を膨らませる気ゼロだった。

Dimple って言うんだ。さすが飲食業、店主は打たれ強い、こちらの無関心さは巧みに流してくる。むむむ、敵もできるな、それならばと、付け合わせのキャベツを食べながら、へーという顔をするのみ。かわいい奥さんはいつも通りニコニコと彼の話を聞いている。何百回と聞いた話でもまるで初めてのように聞くことができる徳の高い女性である。あの頃、確認するのを忘れてしまったが、実は背中に羽が生えていたのかもしれない。

Pimpleと間違いやすいよなー、とさらに話を続ける店主に。うんうん、とうなづきながら、おみそ汁も飲む。いつも、おまけしてもらっている身であることを思い出し、さすがに大人対応が必要かと思い始め、Pimpleってなに?と尋ねることにする。おまえ、そんなことも知らないのか、ニキビのことだよ。青春のシンボルだぞ、山本ちゃんにはもう関係ねーなー、と笑う店主に、そうだねー、と一緒になって笑う。無駄な抵抗はしないのだ。ノーガード戦法だぜ、おっちゃん、と心は矢吹ジョーだ。(わかる人はいるのだろうかと危惧しつつも、書いてしまうのであった)かわいい妻はかるく店主をにらむまねをする。本当に、かわいいは世界中で常に正義だ。

ノーガードな夕食は続く。かわいい妻がグラスワインをすすめてくる。飲んでも飲まなくても良いのだが、つい頼んでしまう。気づけば、店内は自分と、遠くに座っている日本人らしい女性とアメリカ人らしいカップルだけになっている。カップルはそっとしておくという飲食店の掟を守り、料理の終わった店主はキッチンを離れ、焼酎の入った湯のみを持って、妻の隣に陣取り始める。元すし屋だったその店はカウンターのみで、なぜかカウンターの背中側と客の背中側の一部に鏡が設置されていた。

店主が過去に何度も見せたことのある悪そうな笑みを浮かべて、山本ちゃん、えくぼがかわいいねーと言ってくる。自分で見る機会もなく、褒められることもないので忘れきっていたが、確かに両の頬にえくぼがあるのだ。思わず、カウンターの奥にある鏡で自分のえくぼを確認してみる。確かにある。見えすいたお世辞に喜ぶのも、はしたないかと思い、ワインを飲みながら、ありがとう、でも、アメリカ人ってえくぼ気にしてなさそう、と謙虚発言でかえす。

店主は、大きく、身を乗り出してきて、だーかーらー、山本ちゃんは駄目なのよ!
と言う。げーーー!残業のあと、ここでもダメ出しを受けるなんて、神は死んだか?とっくに死んでいるのか?見ろよ!と店主が自分の頬をこちらに示してくる。そこにあるのはえくぼ。おお、そうでしたか、そうでしたか。

俺のえくぼ、かわいいと思わない?と問うてくる店主に、ぐったりと力を失う。ノーガードでくらうアッパーは厳しい(もう、誰もついて来ていない気がするが気にせずに進む)ひょっとして、それを言うために、えくぼの話を始めたの?と私は力無い問いを発するのが精一杯だ。そうだよ、かわいいと思わない?と不敵な笑みを浮かべながら店主は、俺は山本ちゃんと違って、自分のことが大好きだから、とのたまう。ええ、知っていました。

私は脳内で自分の体がスローモーションで宙を舞って、マットに落ちていくのを感じながら、誰かタオルを投げ込んでくださいと心の中で祈った。笑顔のかわいい男のKO勝ちだった。

あのいつもの、そしてくだらない会話をした夜はどの季節だったのだろう。大好きだった定食屋は、多くのニューヨークのお店のクローズ理由、リースの終了のため閉店してしまった。なんだかなーの日が続くと、えくぼのかわいい男の奥さんに会いたくなる。えくぼについてはその後も誰も指摘してこない。


<2023年メモ>
来ました、タイトルx本文 2023。本文があるのが50音中4編なので、道なき道が続きます。20世紀末の渋谷で自分は何を思ってこんなことをはじめたのかと、思わずじっと手を見る。あの頃、何もしていない手ねぇとお姉様方に言われていた手もすっかり変わった。今の方が何もしていないのに、なぜなんだ。世界は理不尽に満ちている。

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