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連載小説|Suite 1101 -Chapter 6-

I think the thing to do is to enjoy the ride while you’re on it.
やるべきことは、今やっていることを楽しむことだ。

Johnny Depp

「ちょっと見てきます。」
と広川に挨拶をして、由美子はエントランスに向かった。エントランスでは椿が靴を脱いでいた。その後ろには野球帽を被り、黒縁メガネの背の高いアメリカ人がいた。由美子の視線に気づいた椿が
「これは、スーさんの甥っ子でひきこもりのJJです。」
「引きこもりの?」
と由美子が聞き返すと、JJと紹介された男が不機嫌そうに
「ひきこもりではなく、ひきこもり希望です。」
てっきり日本語がわからないと思っていたので、由美子はびっくりして椿に目線をおくった。椿がおもしろがって
「アニメと漫画で日本語を勉強した秀才です。」
と言うとJJは
「よろしくお願いしまーす。」
とやけっぱち気味に高校球児のように帽子をとって頭を下げた。由美子も
「佐藤です。よろしくお願いします。」
と頭を下げた。そして、画商の山下の言葉を思い出して
「JJさんは、ジェームズさんですか?」
と質問した。本人より先に椿が
「そうです。よくご存知。たいちさんに聞きました?」
と答えた。
「山下さんから伺いました。年上のなんとかだなって仰っていました。」
「なんとか?」
JJが聞き返した。
「名前だったのですが・・・メトロポリタン美術館の話をしている時でした。」
と由美子が口ごもるとすかさず椿が
「あー、クローディアの弟のことじゃない?」
と言いJJが
「ジェレミー?多分?和は気の利いたこと言ったと思ったんだろうなあ。」
とそれを引き継いだ。山下の言っていたとおり、2人は兄弟のような間柄らしいと由美子は思った。そして
「たいちさんとおっしゃるのは?広川さんですか?」
と椿に訊いた。
「そう。広川太一郎、太郎の太に、一番普通の一郎で、太一郎というのだけれど、太一郎はアメリカ人には言いにくいからと、たいちさんにしたみたい。長男ぽい名前ですね」
「確かにたいちさんの方が呼びやすいですね。書斎にいらっしゃいます。」
と由美子は答えて、トレイを戻しにキッチンに向かった。JJとマリーも一緒について来た。JJは気軽に冷蔵庫を開けると水のボトルを2本持って書斎に向かった。由美子はノートの会員 : 広川 のページを開き、太一郎と書き足して、さらに

・牡丹の生徒 / 美術部部長
・コロンビア・ビジネススクール MBA
・ヨックモック 
・玄米茶
・話好き

と書き、新しいページを開き

JJ
James J ?
・水はガスなし
・日本語OK
・アニメと漫画?

と書いた。

そして、牡丹(オーナー/ 椿の祖母)のページ戻り

・元女優(映画)
・教育実習
・美術部

と書いていたら、書斎の方から広川と椿の笑い声が聞こえてきた。気がつくとマリーの姿はなく、アンヌが足元からじっと由美子のことを見上げている。猫は飼ったことのない由美子だが、アンヌには親しみと好意を感じる。
「由美子さーん。」
と書斎から広川の声がした。由美子はアンヌに
「一緒にいこう。」
と声をかけて足早に書斎に向かった。アンヌはピンつ髭を張り詰めて、由美子の後ろをついていった。
 書斎では広川が先ほどと同じ席に、その隣に椿が座っていた。椿の前に先ほどの水のボトルが置かれていた。JJは腕組みしてぶらぶらと歩きながら本棚の本を見ていた。由美子は改めてJJをじっくりと眺めた。多くのアメリカ人に肉がつき始める20代後半に見えるが、贅肉のついていない細身の体、明るい茶色の髪はくしゃくしゃだが、スッと整った眉と太い黒縁メガネの奥の瞳は緑色だった。日本に行ったら、モテるだろうと由美子は思った。しかも日本語まで話せる。由美子はちょっと眉を寄せた。  
 由美子の亡くなった夫も日本語がとても達者だった。椿ほどではないが、アクセントも少なく、電話だったら日本人が話していると思われるかもしれないほど流暢に日本語を話した。4歳年下だったので、出会った頃は今のJJくらいだったのかもしれない。大人同士だと思っていたが、あんなにも若かったのか。長身なのは同じだが、夫は背中にも手の甲にも、ふんわりとした脂が乗っていて、背の高いことを申し訳ないと思っているかのように少し前屈みで、動きもゆっくりだったので、穏やかな熊のようだという人もいた。JJと違い、特に女性に好まれるという外見ではなかったが、それでも日本では寄ってくる女子はいたようだ。若い時の夫のことを思い出したのは、久しぶりのことであった。


由美子が遠のいていた意識を書斎に戻すと
「スーさんは左の膝下の骨の細い方が折れていました。」
と椿が広川にスーさんの病状を説明しているところだった。
「足だからギブスをするということなの?」
と広川が質問すると
「それもそうなんですけど、その前にビス?を入れて骨を固定しなくてはいけないそうです。」
と椿は答えた。
「そうなると、また全身麻酔で?」
広川の質問が続く。
「はい、そうみたいです。オペだと言ってましたから。」
「それはお気の毒だ。椿ちゃん、またお見舞いに行くのでしょう?来週なら時間がとれるから一緒に行くよ。」
と内ポケットから取り出した携帯を見ながら言った。
「たいちさん、ありがとうございます。」
と2人の座っているテーブルから離れたところからJJがお礼を言った。
「でも、あの人変わってるから、全身麻酔はぐっすり眠れて、目覚めた時にすっきりするから気持ちがよくて好きだと言っていたから、心配しなくても大丈夫っすよ。」
とそっけなく言った。
「JJはひきこもりなのに、今日みたいな日に病院に行ってるのは偉いじゃないか。」
広川が大袈裟にJJのことを褒めると、椿も便乗して
「そうですよね、ひきこもりなのに、良いところありますよ。」
と言った。JJは面倒臭そうに
「ありがとうございます。でも、俺は今はひきこもりではないですから。」
と言うと、部屋の端にある本棚に歩みよった。
「椿、あれを見せてもらっても良いかな?」
と爽やかな笑顔を見せて言った。
「手は綺麗?」
椿は真剣な顔で尋ねた。なんのことかわからず、由美子は成り行きを見守った。
「JJの大好きなあれですね。」
と広川もにやにやしながら2人を見ている。JJは大袈裟に腰のあたりで手を拭って、椿の方を見る。椿はもったいぶった調子で
「どうぞ、ご覧くださいませ。」
と言うと、JJは
「ありがたき幸せです。」
と言って、本棚から1冊の半透明のグラシン紙でカバーされた本を引き出す。なんの本なのかは由美子の場所からはわからない。JJは閉じた状態でくんくんと匂いをかいでから、そっと表紙を開いた。広川は腕を組んで、椿はにこにこしながらその様子を眺めている。どうぞという仕草を由美子に送ってきた。由美子は自分の胸のあたりを指差し、私も良いのですか?と表情で尋ねる。広川までもが、どうぞという仕草をしてきたので、由美子はそっとJJに近づき肩越しにそれ見ようとするも、JJの背が高く、うまくいかない。由美子に気づいたJJが、由美子に見やすいように向きを変えた。
「素晴らしいでしょう?」
JJがうっとりとした様子で示したそれは漫画銀河鉄道999のたメーテルのが描かれていた。メーテルの横顔の下には、作者の松本零士のサインもあった。
「え、漫画ですか?」
と言う由美子に
「そうですよ。松本先生のサインだけでも貴重なのに、このメーテルの髪のラインを見てください。しかも帽子もかぶっているんですよ。本当に美しい。」
JJのうっとりとした様子に広川は、
「JJも牡丹さんのファンなんですよ。その貴重なサインは牡丹さんがファンの方から頂いたものなんだそうです。」
と説明を付け加えた。
「ファンと言うと女優さんの時のですか?」
と由美子が言うと
「良い質問ですね。女優になる前も、辞めた後にもファンはたくさんいますからね。そうです。これは、女優時代に頂いたと言ってましたよ。牡丹さんがメーテルに似ているからと、ファンの方がわざわざ松本先生にお願いして描いてもらったものを、映画会社に届けてくださったんだそうです。」
「映画会社にですか?牡丹さんにはお会いしてないってことなのでしょうか?」
と言う由美子の問いに椿が
「そうなんです。全然知らない方、と言ってましたよ。」
「牡丹さんは、メーテルに似ていらっしゃるんですか?」
と由美子は広川に問うと
「ほっそりしていて、目がとても印象的なので、そう思う人も多かったと思います。」
と答えた。
「凄い方なんですねぇ。」
由美子が言うと
「牡丹さんはとても美しいけれど、それだけではないんだ。俺は彼女から大切なことをたくさん教わったと思う。」
とJJは言うと、丁寧に本を棚に戻した。


 それから広川の号令で4人はリビングに移動した。
「今日は久しぶりに会員さんが2人も来てくれたから。」
と椿がスパークリングワインとフルートグラスを用意した。JJは
「俺はここに来た時はアサヒが飲みたいんだ。」
とスパークリングワインを辞退して、自分で冷蔵庫にビールをとりに行った。4人がグラスを手にしたところで広川が
「倶楽部のますますの発展を」
と言うと椿が
「スーさんの全快を祈って」
と言いJJは
「天才松本零士とメーテルに」
と言った。3人に視線が由美子に集中して、由美子は咄嗟に
「元女優のオーナー牡丹さんに。」
と早口で言うと、3人から賞賛の声が上がり4つのグラスのグラスの合わさる音がリビングに響いた。マリーは広川の足元に、アンヌは由美子の背中の後ろで乾杯に参加していた。

「元ひきこもりの若者は最近は何をしているのかな?」
と広川がおどけた調子でJJに尋ねると、広川の足元にいるマリーを見て
「特に何も。俺も28だから、もう若くはないんですよ。キャットシッターになろうかなって思っているところです。」
と笑った。それを聞いた椿が横から
「キャットシッターはなりたい人が多いし、鍵も預けることになるから信頼も必要、さらに猫からのレビューも良くないとなれない競争の激しい仕事だから難しいと思う。」
と言った。JJは
「なかなか厳しい世界だな。」
早くも弱腰になった。
「しかも、コロナ以来リモートで自宅から働く人が増えたから、キャットシッターの仕事が減ってるらしいの。」
と椿はは付け加えた。
「椿ちゃんはなんでそんなにキャットシッターに詳しいの?君もキャットシッターになろうとしてるの?」
と広川が質問すると
「友達がカリスマキャットシッターなの。彼女はカリスマだから、仕事をキープできてるけど、廃業した人もいるって聞いたの。」
と言うとスパークリングワインを口にはこんだ。
「カリスマって、一般と何が違うの?」
とJJが面白そうに尋ねた。
「とにかく、その子は猫に好かれるの。そして、たっぷり猫と遊ぶの。彼女が旅行とか用事があって行かれない時に、同業の代理の人や猫好きのお友達に行ってもらうと、猫のオーナーがOKだけど、Average だから、あなたに来てほしいって猫が言ってるって言われるんだって。猫の様子でわかるからって。クリスマスとか猫の名前でクリスマスチップがテーブルに置いてあるから嬉しいって言ってた。廃業した人の分も彼女のところに回ってきてしまって、今はキャンセル待ちなんだって。」
「マリーもその方なら甘えたりするのかもしれませんね。」
と由美子が言うと椿は
「きっと、そうだと思う。」
と言ってから
「マリーちゃまがクールなのはいつものことだから、由美子さん、気にしないでね。私もいつもスルーされてるの。」
と拝むポーズをして見せた。広川は
「マリーはクールなのかい?」
と訊くと、長い尻尾をゆらりゆらりと振って見せた。
「ほら、違うっと言ってますよ。」
と広川は笑った。それから
「そのカリスマキャットシッターさんは素晴らしいですね。私もそのくらいクライアントや部下に喜んでもらえる仕事をしないと。」
と真顔で言った。
「このメンバーでそれを言うたいちさんは立派だと思う。由美子さんは別ですけど、JJはひきこもりで、私はプー太郎ですよ。」
と椿は笑った。JJは
「俺は今はひきこもりじゃないんだ。スーのお見舞いだってちゃんと行ってるだろう。」
とボソボソと言いながら新しいビールをとりに行った。
「僕らの世代は仕事をしないと言うオプションが考えられなかったし、良い時代も経験してるから、働いてる方が自然なんですよ。」
と広川は言うと、
「わたしもアサヒを頂こうかな。」
と立ち上がったので、慌てて由美子がとりに行こうとすると、広川が手でそれを制して、さっと立ち上がった。椿も悠々と座っているので、由美子もソファに座りなおしたが、落ち着かない気持ちで、アンヌの頭を撫でた。ビールをとりに行った男たちはキッチンで何かを話しているようだった。マリーは広川についてキッチンに行ったようだ。

リビングは由美子と椿の2人だけになった。由美子はグラスをテーブルに置くと
「お客様がいらしてお礼が遅くなりました。今日は貴重なチケットを譲っていただきありがとうございました。」椿に頭を下げた。
「いえいえ、スーさんのチケットですから。いつか直接お礼と感想を伝えてください。とても喜んでいましたよ。」
と答えた。それから、2人の間に沈黙がながれた。椿は全くそれを気にかけていなかったが、由美子は何か話した方が良いのかと話題を探していた。すると
「由美子さん、今、何か話した方がよいのかしら?って思ってました?」
と椿が笑いながら尋ねた。
「はい、そう思ってました。なんでわかったんですか?」
と由美子が訊くと椿は
「なんとなく。」
と言って笑って、由美子と自分のグラスにスパークリングワインを注いだ。
「私、最初に公園で話しかけた時から、由美子さんのこと、すごく良いなぁと思っていて、今はその時よりも、もっとそう思ってますから。ここへはただ来てくれるだけで十分です。牡丹さんもきっと同じことを言うと思います。」
と言うと、携帯を操作して音楽を流した。
「これは?」
と由美子が言うと
「そうゴタイゴです。999の曲」
と椿は真顔で答えた。
キッチンからビールを手に戻ってきたJJがとても正しい発音で曲に合わせて歌いはじめた。広川は
「私はささきいさお派です。」
と言うとソファーに座り、マリーを抱き上げた。立ったまま真剣に歌い続けるJJを見て、椿は大笑いしていた。本当に今日は盛りだくさんな1日だと由美子はまた思った。

小説 Suite 1101 | New York Map■

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